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ポスト・ケインズ派によるインフレの説明

 

  • コストにマークアップを乗せる価格設定
  • 生産の弾力性と価格の弾力性
  • インフレ率に影響する様々な要因
  • 貨幣賃金と実質賃金について
  • インフレ率と実質賃金と貨幣賃金
  • アメリカのスタグフレーションの初期などにみられた、インフレスパイラル
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買占めによる転売は、消費者だけでなく、生産者にとっての不利益になる。

この記事ですること

生産者の手が届かない地域への供給(貿易も含む)であれば、転売が生産者や消費者に悪影響を与えるとは限らないのであって、この記事ではそういった事例は想定しない。この記事で扱うのは、転売屋がいてもいなくても、供給量が変化しない事例だ。

買い占め→定価より高額で転売

というビジネスモデルが、経営的理由で、生産者(とついでに消費者)の不利益になることを説明する。

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数学と自然科学と社会科学と技術と学問(?)の違い、ほか

数学は、当然そうならなければならない物事の知識を拡張する手段である。想定する条件下で「これは常に成立するものとする、理由なんか必要ない」という前提、すなわち公理を作り、解釈の余地が残らない方法で様々な定義を行い、公理や定義から「ほかの答えがあり得ない」議論や結論(定理など)を導く。求められるのは証明であり、証拠・実証ではない。公理や定義は、未来永劫不変であり、そこから導かれる定理も不変である。後々間違いが指摘されるかもしれない、などといった性質のものではない。

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ポスト・ケインズ派の特徴をまとめ書きたい(仮)

※これは編集中の記事です。内容の修正・追加や、編集長の仕事的な意味での編集を、今後行う予定 多分間違いだらけだから、今読まれるのは恥ずかしいデス

 

  • はじめに
  • 〇ポスト・ケインズ派(PK)の特徴を列挙
    • ポスト・ケインズ派の根本的特徴
      • 歴史的動学的時間の重視
      • 有効需要の原理の採用
    • ポスト・ケインズ派の補助的特徴
      • 「制度」の影響の重視
      • 記述的議論
      • 根本的な不確実性
      • 多元的な価値観の採用
    • その他、細かい特徴
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これが信用創造です。信用創造を理解したければ、最初に少しだけ日商簿記3級の勉強をお勧めします

最初に注意事項

信用創造を理解するのに最適なルートは、最初に複式簿記の知識をつまみ食いすることだ。仮に簿記の知識が全くないなら、日商簿記3級の本や動画、例えば下の動画リストを摂取して、少しだけ勉強することをお勧めする。「経済学はわかるけど簿記がわからない」なんて、「刺身作るのは得意だけど包丁の使い方は知らない」みたいなもんだ。簿記の表現に慣れたら、この記事の信用創造の説明も、理解していただけると思う。

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これだから経済学は使えない。制度と経済や金融の安定した成長が、自身の不安定性の原因になる

経済学は使えないシリーズ一覧

 

 

経済は本質的に不安定である。それは、根本的には、

・人の期待が不安定で、当初の予測を裏切る形で行動することも多い。ロンドンの心理学系のシンクタンクが仮に人間行動をかなり精度良く予測できたとしても、その予測はまだ市民権を得ていない

・経済が慣習や技術などいたるところで不可逆な変化を繰り返しており、その変化の行く末を、我々は正確には予測できない

といった理由からだ。経済の不安定性について語るとき、金融が経済に与える影響の大きさを無視することはできない。金融の発達のおかげもあり、近現代の資本主義は発達した。しかし同時に、資本主義経済や市場経済は、金融の発達によって不安定性を増大させたのかもしれない。経済の不安定性についての議論を私なりにまとめたページを、下に貼っておく

rokabonatttsu.hatenablog.com

市場は非市場的な仕組みによって支えられており、その時々の状況に合わせて、規制・制度を整備することで、市場とそれを形作る人々の判断が本質的に内包している不安定性を、緩和させることができる。それは、一言でいえば、大きな政府が好ましいという言い方になるのかもしれない。まぁ、どんな基準で何を比べて大きいのかって話ではある。曖昧なニュアンスの言葉だ。私はあまり使いたくない。

市場が持つ本質的な不安定性にどのように対応することができるのか?市場が非市場的な仕組みによって支えられているとは?そのあたりの詳しいことを知りたければ、こちらの本がおすすめかも。

bookmeter.com

 

 

経済学がしばしば行う「市場は均衡に向かってその状態を収束していくので、市場の外で起こるショックがなければ安定化に向かうものだ」などといった想定は、市場が非市場的な仕組みの上で機能しているという現実を軽視しすぎだ。経済学は非市場的な仕組みとセットで市場の性質を説明しなければならない。市場の外からの影響をなんでもショックだと片付けるのは、職務怠慢だ。そもそも経済学が時間の概念を無視した理論体系を作り始めた時から、「市場の外で起こるショックがなければ安定化に向かう」という信仰は始まっていたのだろう。知らんけど。

 

 

経済学は使えないシリーズ一覧

これだから経済学は使えない。歴史的動学的時間から見た均衡の無意味さについて

経済学は使えないシリーズ一覧

 

 

現在主流の経済学の学派の理論では、「均衡」が多用される。「均衡」を用いた理論には、時間の概念が存在しない。

例として、とりあえず、完全競争市場の需要と供給の均衡を考える。

 

需要曲線は、市場でその価格が実現した時、どれだけの量の財が取引されるかを示す。取引には時間がかかる。今月これだけ売れました、今日何個売れました、この一時間でこの量売れました、といった方法でしか、取り引きは観測できないし、実現しない。では、需要曲線は具体的にどの程度の時間を想定しているのか?需要曲線とは「欲しくてその購入のために支払うことができる」ことを含めた概念だ。「支払うことができる」というのは、どの程度の時間幅を想定しているのか?経済学では、そんなことをいちいち考えないのだ。考えなくてもいい、成立しない概念でも構わない、というスタンスをとっているのが現状だ。

ちなみに、均衡を用いる需給分析は、普通、「仮想上の時間幅の中で限界費用や限界収益を変化しないものとみなす分析」でもある。仮想上とはどういうことか?現実の経済では、物事は刻々と変化し続けるのが普通だ。一つの取引とその次の取引の間程度の時間幅でも、限界費用や限界収益は変わる。複数の連続する取引に共通の需要と供給の均衡が存在するという想定が、現実的ではない。

仮に需要曲線と供給曲線の交点で均衡するという説明が実用的だったと仮定しよう。言い換えると、一つの取引から次の取引までの時間などの短期間で均衡点が移動することができないということ。すると新しい問題が持ち上がる。古い均衡から新しい均衡に時間をかけて大きく移動とき、その遷移の経路そのものが人々の思考に影響を与え、新しい均衡点の位置を変化させる(一定の速度で徐々に価格が下がれば、人々は、しばらく待てばもっと価格が下がると期待し、買い控えするかもしれない。一方で、一度の急激な価格の下落を見た場合、人々は、今が買い時だと思って買いだめするかもしれない。などといったこと)。外生的な変数の初期値と移行後の値がすべて同じであっても、過去の一定期間が次の一定期間の性質に影響するという経路依存性があるせいで、新たな均衡への移行経路自体が、新たな均衡の場所に影響を与えることになる。

 

供給曲線に関しても似たようなものだ。

結果、「完全競争市場におけいて、需要曲線と供給曲線の交点で均衡する」という説明には、時間の概念が含まれないこととなった。

 

 

限界費用や限界収益の均衡を用いた議論も、それ以外の多くの均衡を用いた議論でも、根本的に時間の概念が含まれないのが現実だ。面倒なので、すべての○○曲線に対していちいち説明する気はないが、そこは、一事が万事。一度よく考えてみてほしい。

 

 

 

経済学が均衡によって物事を説明できると主張した結果、経済学からは現実の時間の概念が失われた。経済学において、時間は、微分方程式を解くための仮想上の存在にすぎない。

現実の経済は、”期待値”を正確に推定することすらできない根本的な不確実性を有し、不可逆な変化を繰り返す存在である。時間の概念を失った経済学には、時間を横断する分析が不可能ではないにせよかなり険しい道のりとなる。そのせいで、経済学の主要な関心は、根本的な不確実性を考えずとも成立する議論である「分配効率」にシフトした。資源の分配、労働力の分配、貨幣の分配、etc. 最高の分配効率を定義し議論するために、経済学は均衡の議論を導入した。分配を考えることは悪いことではないが、経済学に期待されていたはずの仕事は、現実の経済を説明し、現実社会の中長期的な発展を考えることである。時間を失った経済学は、経済成長を考えるための重要な能力までも失ってしまった。「保護貿易を一時的に採用して国内産業を育成し、国際的な競争ができるまで強化されてから保護貿易をやめる」という、過去に多くの成功例がある方法を、多くの経済学者が忌み嫌うのも、偶然ではない。彼らは時間を失ったことで貴重な資源の分配に偏重し、貴重な資源を大量生産する方法や、不慮の出来事に見舞われても生産量を安定させるような方法を探ることを、軽視しすぎるようになってしまった。

資本主義*1社会は、効率の良い資源分配(石油や水だけでなく、時間や人間の労働も、ここでは資源)ではなく生産力の強化によって、人々の生活水準を向上させてきた。生産に用いる資本を強化すること優先するイデオロギーである”資本主義”を今後も継続したいのであれば、平等と効率のトレードオフなどと真顔で主張する経済学に別れを告げるべきだ。

 

 

 

経済学は使えないシリーズ一覧

 

 

*1:私が資本主義というときは、これを市場原理主義と区別する。「豊かさを手にするためのもっともよい方法は、労働者一人時間当たりの生産諸力を増強することだ」と考え、生産に使われる実物資産=資本を強化することをほかの多くの物事よりも優先するなら、そのイデオロギーを私は資本主義と呼ぶ。競争市場の導入は、資本の増強に寄与する場合のみ、資本主義に即している。民主主義の手法として投票を採用することはできるが、投票制度は民主主義ではない、北朝鮮投票率はとても高い、みたいな話。

これだから経済学は使えない。合理的期待の不可能性について。

経済学は使えないシリーズ一覧

 

 

難しいことを考える必要はない。問いは一つだ。

「あなたは、未来を正確に予測できますか?」

私は無理だ。経済学者にも無理らしい。なぜわかるかって?経済学者が、実業家に対して良いコンサルをするとは限らないし、投機で勝ち続ける人もほとんどいないからだ。もちろん、確度の高い予測ができる場合もある。確かさのために我々は”約束”するのだ。しかし、未来のたいていの物事を予測できないことは変わらない。

そもそも、我々が生きるこの世界では、ラプラスの悪魔以外、未来を正確に予測することができないことになっている。期待値分布ですら、正確に予測できる人はいない(仮にいたとしても、それを反証可能性がある方法で示せる人、言い換えれば、科学的に証明できる人はいない。)

ところが、ニュー・ケインジアン(の少なくとも一部。ニュー・ケインジアンは現在主流の経済学の学派だ。)やリアル・ビジネス・サイクル理論などを中心に、新古典派系列の学派の多くで、合理的期待が可能な経済主体を前提に理論を作っている。何が悪いって、経済学を教える教科書やそれに類する媒体の非常に多くが、この前提を使って議論をしている。いや、正確に予測できるんだったら、そもそも経済学なんていらなくね?経済学者って、ほんとバカ。

 

もし仮に、私だけが未来の事象の確立分布を正確に予測できるのなら、私なら経済学者なんて絶対やらない。投資や投機に参入して死ぬほど稼ぐ。もちろん「予測」が正確だから、当局に目を付けられるようなことにはしない。

もし仮に、ほとんどの人が未来の事象の確率分布を正確に予測できる世界なら、どうして過去の未来予測が外れ散らかしてきたのか、説明してもらわないと。

 

 

経済学は使えないシリーズ一覧

インフレ率とGDP成長率の関係から考える。どの程度のインフレは許容範囲内?財政支出の指標として、インフレ率は使える?

 

 

この記事の目的意識と、何したか

この記事では、「どの程度のインフレは許容範囲なのか?」をなんとなく考え、インフレ率以外に気にするべきことについても触れる。

とりあえず、以下のページからデータを引っ張ってきた。

インフレ率の推移の出典(CPIではなく、CPIの年間増加率=インフレ率)

https://data.worldbank.org/indicator/FP.CPI.TOTL.ZG

実質GDPの推移の出典(実質GDP成長率ではなく、実質GDP

https://data.worldbank.org/indicator/NY.GDP.MKTP.KD

 

ページの右のほうで、CSVファイルをダウンロードしてデータを入手した。実質GDPはドル換算のはず。2015年の為替レートでドル換算してるようだ。CPIは知らん。

CPIと実質GDPのデータが1962年から2019年まで、全てそろっている国のデータだけを分析対象とした(この記事を書いた2022年1月時点の最新データを用いていないのは、この記事が過去に公開していた記事と同じデータとその処理結果を使いまわしたから。特に意図はない)。分析対象となった国は注釈*1にて列挙。データがそろってる国を選ぶと、どうしても先進国が多くなりがち。

 

 

 

1961年と2019年の、物価とGDPの倍率

まず最初に、途中経過を無視して1961年と2019年を比較するしてみる。1961年から2019年までの間の、世界各国のCPIとGDPのデータを拝借して、物価とGDPの変化の関係を見ることにする。

 

1961~2019の統計値が存在する国を選んで、CPIの累積(1961~2019の間に物価が何倍になったか)とGDPの変化率(1961~2019の間に実質GDPが何倍になったか)の関係を散布図でプロット。結果がこちら。

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縦軸が物価の倍率、横軸が実質GDPの倍率。何%増加したか、ではなくて、何倍になったかを示す。

物価の倍率がやたら高いデータがあるせいで、ひどいグラフになってしまっている。そこで、同じデータを使って、縦軸の物価の変化の大きさを対数表示にしてプロットしてみた。

f:id:rokaboNatttsu:20210603170301p:plain

方対数グラフに回帰直線を引く意味はないが、どうも、物価の上昇とGDPの増加がトレードオフになっているように見えないこともない。

・高インフレ低成長=左上

→インフラが整っていない、あるいは紛争の影響を強く受けた発展途上国

・低インフレ高成長=右下

→インフラが整って急激に発展した(元)発展途上国。2019年の時点では発展途上国化先進国か微妙なライン

・低インフレ低成長=左下

→先進国

といったところだろうか?

左上の国はどこかな?と調べてみると、物価の上昇倍率が高い順に、

f:id:rokaboNatttsu:20210603171245p:plain

だった。この5か国の中では、トルコが最も実質GDP成長率が高く、1961年から2019年までの間に、実質GDPが15倍弱までふくらんだ。

ついでに確認したところ、GDPの倍率トップファイブは、

f:id:rokaboNatttsu:20210603171548p:plain

だった。アジア通貨危機の面影はどこへやら。。。。ってくらい、地域的に偏ってる気がする(東南アジアで高度経済成長し始める&東南アジア各国が、なぜか国際金融市場の規制緩和を行う→様子を見ていた米国などの金融機関が短期の外貨化取引市場に参入、東南アジアの企業が金利の低さを理由に短期で外貨を大量に借り入れた→いろいろあって、固定為替レートの維持ができなくなり、返済や利払いが難しくなり、倒産する企業や失業が相次いだ という物語があるので、アジア通貨危機を食らった地域のほうが経済成長しているのは、説明可能な現象ではある。)。これらが右下の国々だ。ミャンマーの実質GDPは26倍、韓国は59倍だ。同じ時期の日本のGDP倍率は約7倍。

左上はインフラ整備が十分でない発展途上国

右側はインフラがある程度整って一気に経済成長し、発展途上国から先進国に仲間入りするかどうかくらいの国、

そんなイメージで大体合ってるだろう。

 

なんとなく直観とも合致するデータだったのではなかろうか。

ただ、上で行ったのは1961年と2019年の比較であって、途中でどのような経過をたどったのかは全くのブラックボックスだ。上の散布図では、どの程度のインフレ率を許容できるかを考えるには不十分すぎるので、途中経過に注目した分析が必要になる。

 

 

各国各年の、インフレ率とGDP成長率の関係

そこで今度は、任意の国・任意の年のデータを1つの点として、インフレ率とGDP成長率の関係を散布図プロットした。

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インフレ率とGDP成長率の関係

インフレ率12000%近い点がある。経済学の世界におけるハイパーインフレの定義には、ぎりぎり届かない。インフレ率が低い点の分布を見たいので、インフレ率50.5%以下限定で同じ図をプロットすると、このようになった。

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インフレ率50.5%未満限定、インフレ率とGDP成長率の関係

散布図だと点が重なりすぎて密度がわからない部分がある。そこで、同じデータを2次元ヒストグラムにするとこうなった。

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インフレ率50.5%未満限定、インフレ率とGDP成長率の関係

インフレ率5%付近が、最もGDP成長率が高くなりやすいように見えなくもない。この散布図とヒストグラムGDPは物価の影響を調節した実質GDPである。

ついでだから、どの程度のインフレ率でGDP成長率の期待値がどうなるのか、調べておく。横軸インフレ率、縦軸がGDP成長率の平均としたグラフを作るとこんな感じだった。インフレ率を1%間隔で区分けして、インフレ率が0.5~1.5%までのときの実質GDP成長率の平均をとる、みたいな感じ。GDP成長率の平均をとるときには、重みづけとかしてない。

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インフレ率ごとの、実質GDP成長率の平均

インフレ率 -9, -7, -5, 43% のデータはない

10%程度のインフレを恐れるのは、アレルギー反応ではないだろうか。

端の方はサンプルが少ないので不安定だが、大体の傾向は見て取れる。インフレ率5~10%くらいのときに最も実質GDPが成長しているように見える。端の方はサンプル数が少ないので誤差も大きいはずだ。そこで、端の方のデータは表で確認すると、

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インフレ率で昇順に並べたデータ

 

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インフレ率50.5%未満のデータ限定で、インフレ率で降順に並べたデータ

インフレ率が-5%未満のデータに関しては、あまりにもサンプル数が少ないので、平均GDP成長率の解釈に対して、個別のケースで対応しないとまずいのではないだろうか。経済成長率と物価上昇率の散布図を見る限り、インフレ率は外れ値でも、GDP成長率自体は外れ値ではないように見えるが。

 

インフレ率 -5%以下のデータの取り扱いについて

インフレ率が-5%以下を示すデータは、とても数が少ない。共通していたのは、発展途上国で、基本高いインフレ率が乱高下している、という点だ。低インフレ記録トップ15の中に、先進国所属は一つも含まれない。これをどう解釈するかは、あなた次第だ。先進国が含まれないのは、それなりの理由があると思われる。

 

 

 

先進国に限定したら、インフレ率とGDP成長率の関係は?

先進国のリストは注釈*2にて。先進国だけのデータを使って、毎年のインフレ率とGDP成長率の関係をプロットしたところ、このようになった。

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インフレ率とGDP成長率の関係、先進国限定バージョン

点が重なって密度がわからない部分があるので、一応ヒストグラムを作ると、下のようになった。

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インフレ率とGDP成長率の関係、先進国限定バージョン

若干、正の相関があるように見える。(相関係数は計算しない。回帰直線も計算しない。意味がないので。) なお、先進国に限定したことで、こちらの記事の「・複数の原因が重なり合って一つの結果を生み出すとき、ランダム化比較試験ですら役に立たないかもしれない」の項目で言及される統計マジックを発動している可能性が高まる。

続いて、どのインフレ率のとき実質GDP成長率の平均がどの程度だったのか知るためにプロットしたグラフがこちら。

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インフレ率ごとの、実質GDP成長率の平均、先進国限定バージョン

このグラフでは、インフレ率26, 30%のデータが存在しない。

インフレ率3~7%をピークにGDP成長するように見える。インフレ率が7%より高い分には、GDP成長率が急に下がったりはしないが、4%より低い方は比較的急激な変化だ。ただし、端の方はデータ数が少ないので、誤差が大きい。そこで、個別のデータを見てみると、

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インフレ率で降順に並べたデータ

 

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インフレ率で降順に並べたデータ

サンプル数の関係上、インフレ率25%超のときの平均GDP成長率の値は、正直あてにならないだろう。インフレ率-2%についても同様。

デフレ大国は日本とギリシャ、と言いたいところだが、ギリシャは高インフレの年も多いので、発展途上国に近いというべきか。少なくとも先進国では、高インフレは20世紀、低インフレは21世紀に経験しているという傾向がある。

 

 

 

大事なのはインフレ率の維持ではない。生活水準の向上だ。

以上の結果をもって、インフレ率が3~7%程度になるまでは総需要が拡大しても構わないだろうから、政府が求められている分野に投資額を増やすべきだ、などと主張したくなるかもしれない。そしてそれは多くの場合、望ましい結果をもたらす可能性が高い。(もしインフレ率5%程度にもかかわらず不況などの問題が発生した場合、「供給力が弱くなる事件や政策がなかったか」「所得格差が広がる法律を作らなかったか」「資源価格が上がったから」などなど、インフレ率を左右する要因を検討してその時々に必要な対策をとるべきだ。)

ただ、ハイマン・ミンスキーやランダル・レイなどが主張するように、いくら総需要を増やしても、一部の大企業や金持ちに金融資産が集中するような社会の仕組みをとっていた場合、財政支出がインフレをもたらすばかりで中間層や低所得者の収入が増えない、なんてことは普通に起こりうる。

 

この記事は、「インフレ率とGDP成長率を要素に含む、何かしらの因果関係」を説明したわけではないし、大事なのはインフレ率をよさげな水準にキープすることではなく、生産能力を高めることだ。考えるべきことは、皆が欲しいものを手に入れることができる環境をつくることである。投資は増やし続けるべきだが、それはインフレ率を保つためではない。

生産力が最も高まる需要の増やし方をすると、インフレ率が5%前後に収まる。という可能性はあるかもしれないが、「IT系の技術を使った生産力の拡大は、多くの場合物価を下げる」などの様々な時代特有・国特有の事情があるので、「良い状態」はその時々で異なるはずだ。

実質GDPは、生活水準の指標として、現状広く普及しているほかのどの指標よりも、適切だとされているものの、生活水準の指標としては、数多くの問題を抱えていることもまた事実だ。本当に大事なのは実質GDP成長率ではなく、もちろんインフレ率でもなく、長期的な生活水準の向上である。

 

 

経済成長率が高かった時代について

総需要の拡大を重視する政策が主流だった時代は、経済成長率が高かったといわれることがある。その手の政治勢力が弱ったのは、オイルショックによるスタグフレーションを解決できなかったからだとか(米国のスタグフレーションは、オイルショックだけでなく、米ドル安が進行したことにも支えられていた。あと、スタグフレーションに対処できなかったのは新古典派総合、あるいはオールドケインジアンの理論であって、ケインズ自身の理論ではないし、ケインズサーカスやポスト・ケインジアンの理論でもない。)オイルショックは1973年と1979年に発生している。

GDP成長率平均の推移を、データがそろったすべての国と、先進国限定とで、グラフにしてみた。重みづけとかしてない。世界のGDP成長率みたいなのとは、そういう意味で違う。

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GDP成長率の推移

 

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先進国限定、GDP成長率の推移

2度のオイルショック大恐慌がよく見える。もっと昔のデータが無いと、総需要拡大が盛んに叫ばれていた時期に経済成長率が高かったという主張の真偽は分からない印象。

 

 

 

最後の挨拶と注釈

最後に、この記事の内容の解釈について、大切だと思うことを(くどいだろうが)箇条書きしておく。

・この記事ではGDP成長率が高いことを全とするような書き方をしたが、正直言って簡略化しすぎた思考だ。無料の取引がGDPに加算されないことなどを考慮し、習慣や技術などの変化にも気を使いつつ、GDP統計の中身を見て解釈する必要がある

・過去はあくまで参考程度であって、時代が変われば状況が違うのだから、「こうすれば万事よくなる」みたいな解決策はない

・インフレ率は指標にすぎない。大事なのはインフレ目標ではなく、資源のひっ迫や貧困層の拡大などといった問題が発生しないことである

 

ついでに、「この記事と関連がある、当ブログ内の記事」を一覧しておく。

 

・何がインフレ率を決定しているかについてまとめた記事

rokabonatttsu.hatenablog.com

 

・インフレよりほかにもっと気にすることあるだろって言ってる記事

rokabonatttsu.hatenablog.com

 

 

財政支出GDP成長率に与える影響について言及した記事

rokabonatttsu.hatenablog.com

rokabonatttsu.hatenablog.com

rokabonatttsu.hatenablog.com

 

・日本・アメリカ・イギリスなどの国がいまだに財政破綻していない理由について言及した記事

rokabonatttsu.hatenablog.com

 

以上だ。

 

 

*1:分析対象になった国は、
'Trinidad and Tobago',
'Uruguay',
'Belgium',
'Sweden',
'Guatemala',
'Egypt, Arab Rep.',
'Italy',
'Philippines',
'India',
'Haiti',
'Portugal',
'Post-demographic dividend',
'Canada',
'Nigeria',
'Norway',
'Myanmar',
'Latin America & Caribbean (excluding high income)',
'Austria',
'Sri Lanka',
'Mexico',
'Sudan',
'Costa Rica',
'Peru',
'Israel',
'Iran, Islamic Rep.',
'Colombia',
'Malaysia',
'Bolivia',
'Turkey',
'United States',
'Spain',
'Pakistan',
'Paraguay',
'Ecuador',
'Luxembourg',
'Japan',
'Greece',
'Kenya',
'France',
'Singapore',
'Thailand',
'Korea, Rep.',
'Burkina Faso',
'Dominican Republic',
"Cote d'Ivoire",
'Honduras',
'Australia',
'Netherlands',
'United Kingdom',
'Latin America & the Caribbean (IDA & IBRD countries)',
'South Africa',
'Denmark',
'Panama'

*2:データが利用された先進国一覧

Belgium
Sweden
Italy
Canada
Norway
Australia
United States
Spain
Japan
Greece
France
Ireland
United Kingdom
Austria
Netherlands
Switzerland
Denmark
Portugal
Korea, Rep.
Luxembourg

これだから経済学は使えない。均衡モデルの実用性の否定から見た、経済学のポンコツさ、まとめ(仮)

#編集用メモ*1

 

理論の内容そのものへの批判

rokabonatttsu.hatenablog.com

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IS-LM分析について 期待の不確実性や、金利の水準の関数とする仮定の無理、マネーストックが外生的という想定の無理。

 

rokabonatttsu.hatenablog.com

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・経済学は技術だ。科学ではない。科学ではないのに科学のふりをすることが、経済学の使えなさの一助となる(制度や慣習などの影響が市場や経済の性質を左右することに言及)

・効用のスカラー表現(需要の代替が可能との主流派の思想)とベクトル表現(欲求の可分性)から、無差別曲線と予算制約線を用いた議論の厳しい制約を。PKの消費者理論に触れる。ついでに、資本と労働力が代替できないことについても。資本と労働が代替できるという想定が、最低賃金が0になる前に完全雇用状態が実現するはずだという幻想の原因の一つになっている

・紙幣が増えても、預金が増えても、それ自体が物価を上昇させることはない。投資需要の増加が借り入れ増加に伴い通貨の流通量を増やし、借り入れの返済のための価格転嫁や需要と供給のバランスの変化によって、少なくとも一時的に物価の上昇圧力となる。紙幣や預金が増えるのは、将来の消費需要の期待を発端とした、投資需要などを経由した借入増加の結果。紙幣や預金の増加は、財政支出によってももたらされるので、必ずしも将来の消費需要の期待が紙幣や預金の増加の原因ではないが。いずれにしても、マネーストックの増加自体は物価を上昇させるわけではない。

・経済学は、金融と経済の結びつきを軽視しすぎている、あるいは金融の機能を勘違いしている

・生産者は同時に消費者である。生産者余剰を拡大し、広く所得として広く分配された場合、やがて需要曲線が上がり、その影響で多くの場合取引量が増え、消費者余剰も大きくなるであろう。広く分配されることが前提にはなるが、生産者余剰の増加はほかの市場を含めて取引量と消費者余剰が増加する。ただしこれは、完全競争市場での話。生産者と顧客がともに無数いる場合の話

・長期的な生産力の成長は、需要の誘導によってある程度可能である

 

非人道的思想を内包することへの批判

・「ほとんどの問題は市場さえ使えば解決する」という信仰は嘘だ。市場が得意な分野と、市場が不得意な分野があって、我々は良心的に仕組みを選択することを望む。市場原理主義的な思想は、計画経済至上主義的な思想と同じように、科学や技術の発達の機会を奪い、大衆の生活水準の向上の機会が失われてきた可能性が極めて高い。

・世界の文化的多様性を保つには、異なる価値尺度を持ち、異なる政治体制を持つ多数の集団(それは多くの場合、国家が適していると思う)の共存が必要不可欠である。経済と価値観の世界的統合(経済の統合は自由貿易主義によって、価値観の統合は市場原理主義によって)を前提に体系を作った経済学からは、おそらく今後とも、世界の多様性を尊ぶ結論は出てこない。根本的な理由は、現実の観察結果を大事にせず、仮定が現実的であることにこだわらなかったからだろうか。多様性は、自由を手に入れるために必要なものだ。ここでいう自由とは、検討に値する選択肢が多く存在する状態である。

 

 

~~~編集用メモ~~~

追加したい要素

・自然利子率なんてない

・マクロ経済の活発さを決定する要因として、利子率の果たす役割は小さいことが、経験的にわかっている。利子率が所得水準を決定する主要因だと考えることはできない。(ヒックス=ハンセン・モデルの否定)

・資本と労働は多くの場合代替不可能

・準備率100%のとき、貸し出しの上限額は0ではない

完全雇用は「自然な状態」ではない(資本と労働は置換できる→労働需要が供給より小さくなると、労働価格が下がる→労働の価格が下がると、資本が労働で置換される→最低賃金がない限り、失業はあり得ない という一連のロジックは、現実では資本等労働力が置換できないので、成立しない。)

・競争市場的ではなかったことが、技術革新の強力な推進力になってきた。基礎研究は(研究する現場の経済主体にとっての)採算度外視で投資して、初めて成果を上げる。巨大な市場で商売する大企業ほど、投資費用の回収が容易なので、投資に積極的になりやすい条件の一つを有する。「完全競争は単に不可能であるばかりでなく、劣等なものであり、理想的能率のモデルとして設定されるべき何らの資格をも有しないものである」

フィリップス曲線は、存在するかどうかが怪しい。新古典派の議論の欠陥を埋めるために場当たり的に採用された現実離れした仮定だ。

・均衡を多用するのが主流派の特徴。バッファを多用し、均衡で説明できない要素を重く見るのがPK。(均衡を無視しているわけではない。バッファを食いつぶすと均衡モデルっぽくなると説明する。経験的に、多くの場面で、バッファは存在する。バッファの種類は、例えば、商品の在庫の変化・稼働率の変化・家計の預金残高の変化・公開市場操作 など。バッファがある間は、商品の価格が変わらなかったり、賃金体系が変わらなかったり、消費の習慣に変化がなかったり、金利が一定の範囲内でしか変化しなかったりする) バッファを認めると均衡モデルが使えなくなるからか、バッファの概念を無理くり組み込もうとしたのが硬直性だと思う。予測不能な未来に備えてバッファをとるという解釈のPKと、硬直で変化しない時期を説明する主流派。

・経済学は、実験の困難さゆえに検証が追い付かず、神学論争を繰り返し、多くの派閥を生み出してきた。現在主流派の学派は、観察に基づくものでもなければ検証されてもいない仮説と理論を多用しつつ、(物理学などと比べるとあまりにもショボいものの、)精緻な理屈を作ってきた。一方のPKなどは、現実的な仮定を置いて議論を始めることにこだわるので、現場の手続き手順がそのまま過程として採用されることが非常に多い。仮説が現実そのものに近いことに、比較的強い執念を燃やしているからだ(私の中では、「観察したまま仮説化主義」と呼ばれている)。非主流派のこのような方法は、主流派に言わせれば、「条件次第で結論が変わるなど、予測力を持たない非科学的な論理」ということになるのだろう。実験による検証が難しい分野=経済を扱っていて、しかも経済自体の性質が時代とともに変わり続ける以上、経済学は科学的になりえないのだが、主流派はその点をどのように考えているのだろうか?謎だ。科学を自称し物理学っぽい体系を目指しているなら、反証可能性にこだわらないとだめだよね。

 

上記の内容とリンク先の内容は、この記事を改変中

これだから経済学は使えない。均衡モデルの実用性の否定から見た、新古典派系の経済学のポンコツさの一端 - 好奇心の横断歩道を創る!

*1:

一般均衡理論は、比較静学分析であって、動学的な現実の経済の説明に適していない方法を最初から採用している。動学的と銘打つ分析もほとんどが、外生変数を変動しながら、せいぜい過去の一二種類の変数に対してフィードバックをかけつつ、静学分析を繰り返しているだけだ(期待インフレ率の算出に現在までのインフレ率のフィードバックをかけるなど)。これでは、さまざまな種類の経路依存性を取り扱うことができない。

一般均衡理論を採用するすべての学派は、(事実に対する説明能力の不足という意味で)非現実的な仮定を含んでいる。一般均衡理論を採用しない多くの学派ですら、非現実的な仮定は多用される。

以上の2点が、経済学から説明能力を奪った主な戦犯だ。たいていの問題点は、原因をたどるとこの二つに行き着く。将来的に可能であれば、そのあたりをまとめた内容をこのシリーズと別に書こうかと思う。

記事は少なくとも2本。その内容は「いつまでたっても比較静学分析が経済をうまく説明できない理由」と「経済の性質は本質的に制度特定的かつ文化特定的かつ資源特定的なものである。有用な理論は、前提条件別になものでしかありえない。ということで、採用されがちな仮定とその現実性の評価を一覧。」