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インフレ率を決定する主要因について~~需給ギャップに全面的に依存した説明は稚拙である~~

 

この記事は、ポスト・ケインズ派の価格設定プロセスの説明をした以下の記事

rokabonatttsu.hatenablog.com

と矛盾しないように、私が勝手に考えて構成したインフレ率の決定要因の説明を展開する。この記事に書かれていること=ポスト・ケインズ派の主張 とは限らないことにご注意いただきたい。*1

 

 

前提

インフレ率の説明における主流派

現在主流派とされる経済学は、インフレ率を左右する主要因を、

・企業の市場独占度や価格決定力

・期待インフレ率

・政府が市場に規制介入することで供給力が既存することが主要因

・(市中の)貨幣供給量が主要因

などと主張しがちなようだ(私の勉強した範囲)。これらを

・需要と供給、あるいは限界費用と限界収益のバランスの時間変化

に還元することもある。マンキューの教科書とか。

 

「経済の理解に必要不可欠なはずの『貨幣そのもの』や『信用創造の実態』、『財政支出などに伴う銀行間決済の実務への理解』が、ほとんどすべての経済学の派閥において(存在しなかったり)誤っている。それにそもそも、ほとんどすべての派閥で現実離れした仮定を多数盛り込んだモデルを作っていて、それでも現実をきれいに説明できるなら問題ないが、教科書を読んでも金融危機すら予測できるようにならないなんて、ポンコツそのもの。新古典派系列の経済学(新古典派総合・マネタリスト・新しい古典派・ニューケインジアンなど)のマクロ経済への理解は、ほとんどすべて使い物にならない。」

と思っている私も、最近までは、「インフレ率の説明は需要と供給のバランスでおおむね可能だ」と主張していた。オールド・ケインジアンなどの「少なくとも短期的には、インフレ率と失業率がトレードオフ」「失業率を下げるには需要を増やせ」といった、インフレ率の主要因は需給ギャップだと匂わす主張に、ほとんど賛成していた。売買の意思決定と実際の取引に時間差があるのが一般的で、しかも我々が持つ将来の効用や価格への予測能力に限りがある以上、経済学の限界主義に基づく説明は全く現実的ではないが、他に良い説明手段が無いではないか、と。

 

より一般的で現実的なインフレ率の説明の存在

ところが、世の中には様々な異端児がいるもので、ポスト・ケインズ派と呼ばれるグループは、「現代の先進国のインフレ率を左右する主要因は、多くの年において、生産コストに起因するものだ」と考えている。勉強してみると、これがなかなか素晴らしかった。経済人という非現実的すぎる仮定を必要とせず、限定合理性を基礎とする実感とも馴染む説明だったのだ。限界効用や経済合理性などという胡散臭い概念に別れを告げ、需給ギャップ主要因説から生産コスト主要因説へ鞍替え。手のひら返しは私の得意分野だ!

まぁ、ポスト・ケインズ派のインフレ率をめぐる説明は、「需要と供給のバランスの時間変化はインフレ率に影響しない」と言っているのではない。あくまで、「最近の先進国では、需要超過そのものがインフレ率決定の主要因になった年は少ない。インフレ率に影響した要因は複数想定され、中でも生産量当たりの生産コストの上下、特に労務費や人件費の上下が重要である。」と言っているだけ。実際、戦争などの理由で供給力が大きく既存したり、計画経済の失敗で供給力が育たなかったせいで高いインフレ率を記録した例は複数ある。多くのポスト・ケインズ派はその点には反対しない。

 

インフレ率の説明のための、ポスト・ケインズ派によるミクロ的基礎

インフレ率は、消費財の生産はもちろん、投資財・中間財の生産の過程からも影響を受ける。多くの人たちの価格設定の積み重ねが、インフレ率を形作る。ご興味ある方は、読み進める前に、以下のリンクなどで、ポスト・ケインズ派の価格設定の説明を摂取してみてください。

rokabonatttsu.hatenablog.com

ポスト・ケインズ派による価格設定の説明は、かなり大雑把に言えば、

単位生産量あたりの利潤=利潤マークアップ×単位生産量当たりの生産費用

で利潤マークアップを定義した時の、

価格=(1+利潤マークアップ)×単位生産量当たりの生産費用

である。生産費用には、「仕入費」「材料費」「経費」「人件費」などが含まれる。マークアップの水準は、「企業が業界内でどの程度権力を持つか」「市場がどの程度好景気か」「従業員と株主の相対的な権力の大きさはどの程度か」「借入資金の利率はどの程度か」「資本金に求められる利回り(言い換えれば配当)はどの程度か」「投資支出額を賄うためにはどの程度の税引き後利益が必要か」などに影響を受ける。

 

ポスト・ケインズ派によるインフレ率の説明の基本

説明① インフレ率 ≒ 貨幣賃金上昇率 ー 生産性上昇率

ここで、ポスト・ケインズ派によるインフレの説明を思い出そう。ここでは、入門的な内容に終始する。今やポスト・ケインズ派の中でも古典ではあるが、

物価=K × 平均貨幣賃金率 / 平均労働生産性

としたときの K が安定的なことを発見し、物価の対数を時間で微分することで

インフレ率 ≒ 貨幣賃金上昇率 ー 生産性上昇率

で精度良く近似できると主張した人がいる(シドニー・ワイントロープ)。平均貨幣賃金率は、単位労働時間当たりの賃金の名目値の平均。生産性上昇率は、生産性の上昇率で、生産性とは、労働者一人当たりの付加価値生産額ではなく、労働者一人時間当たりの生産量のこと。

K が比較的安定しているというのは、前年比程度のタイムスパンで見れば安定しているという意味であり、20年間安定しているというニュアンスではない(安定する時期もあった)。Kの中長期的な変化の理由は主に、労働分配率に影響を与えるもの、例えばビジネスモデル・生活習慣・法律・資本などの変化だと思う。これら物価やインフレ率の近似式は、理論的な必然性というよりも経験則に基づくものだったので、社会環境の変化とともに成立しなくなる可能性もある。

 

説明② インフレ率 ≒ 貨幣賃金上昇率 - 実質賃金上昇率

ポスト・ケインズ派の想定では、貨幣賃金率*2と実質賃金率*3について、以下のことが言える。

・貨幣賃金率は、貨幣単位を用いて提示・交渉され、短期的にはほとんど変動しない。労働者と企業の賃金交渉の結果が、貨幣賃金率に現れる。

・実質賃金率は、購買力を単位とする賃金で、賃金分配率が一定という仮定*4を追加すると、社会全体でみた実質賃金率は社会全体で見た労働生産性に比例する。

平均労働生産性∝(1/賃金分配率) × 平均実質賃金率

の賃金分配率が一定とすると

平均労働生産性∝平均実質賃金率

ということ。これを認めた時、

物価=K × 平均貨幣賃金率 / 平均労働生産性

= L ×平均貨幣賃金率/平均実質賃金率

(Lは定数)

ということもできる。もちろん厳密には賃金分配率は時間に対して一定ではないので、

物価≒ L ×平均貨幣賃金率/平均実質賃金率

と思えば良いだろう。この両辺を対数をとって時間微分することで、

インフレ率 ≒ 貨幣賃金上昇率 - 実質賃金上昇率

ということができる。

多くの場合、ポスト・ケインズ派がインフレについて言及するときは、貨幣賃金と実質賃金の相対的な上昇ペースを議論の中心に据える。つまり「賃金の名目値である貨幣賃金の上昇率は労働者の賃金交渉力によって説明され、実質賃金は労働者一人当たりの生産量=生産性によって説明される。貨幣賃金の上昇率が実質賃金の上昇率よりも高い場合インフレになる」というものだ。

 

原因は無数にありうる

ただ、インフレ率の説明で忘れてはならないのは、ポスト・ケインズ派が価格設定の方法を複数・無数想定しているということだ。

労働分配率が安定しているという(過去の)経験則は、厳密な意味では、労働分配率=定数 ということではないし、論理的な必然性があるわけでもない。だから例えば、貨幣賃金も実質賃金も不変のまま、生産性上昇と労働分配率低下が起こることもありうる。(日本の失われた30年で起こった出来事はこれに近いといえそうだ。)この場合、

・インフレ率 ≒ 貨幣賃金上昇率 ー 生産性上昇率

・インフレ率 ≒ 貨幣賃金上昇率 ー 実質賃金上昇率

はともに成立しない。インフレが名目賃金以外の理由で発生することもある。その点はポスト・ケインズ派も認めている。インフレの原因が賃金以外にも無数に想定される以上、今回のインフレは何が原因か?という問いが重要になる。

 

インフレの種類

デマンドプル型インフレ

日本語っぽくすると、「需要超過型消費者物価指数上昇」といった感じか。読みにくいので、この記事ではデマンドプル型インフレと呼ぶ。

何らかの理由で総需要が総供給力を上回り、財不足・サービス不足になると、営利企業はしばしば、財&サービスの価格を上げたがるであろう。これがデマンドプル型インフレ。

ポスト・ケインズ派(MMTerを含む)がデマンド・プル・インフレと言うときは、たいてい、「生産力の上限から売上を引いた部分である、一種のバッファ(=「価格設定理論において、生産量の変化に対して平均費用がほぼ不変」と想定できる生産量の上限)を、食いつぶし済み」といった暗黙の了解を共有している。デマンドプル型インフレは、

企業が現在と未来の超過需要に対応して生産を増やそうとする

→ 投資支出額の拡大&内部資金の減少・借入の拡大&原材料や労働力の不足

→ 材料費や人件費等の生産費用の上昇&拡大した借入の利子の支払い・投資支出額の回収・内部資金を目標水準に維持・シンプルに企業利潤を増やす ために、マークアップを上昇

→ 物価上昇

といった現象だ。デマンドプル型インフレに該当するのは、

現在の超過需要や将来の超過需要の見込み→物価上昇

という因果関係がインフレの主要因だった場合だ。

ただ、後の「生産力と需要の増加が、経済成長の正体である」の部分で言及するが、超過需要は必ずしも物価上昇をもたらすとは限らないし、現代の先進国ではデマンドプル型インフレはあまりメジャーではない。

ポスト・ケインズ派はたいてい、現代の先進国の物価を、デマンドプル型インフレではなくコストプッシュ型インフレで説明する。

 

コストプッシュ型インフレ

日本語らしくすると、「生産費用拡大型消費者物価指数上昇」かなぁ。

原材料費や労務費や人件費や税金といった生産活動の過程で払う費用が、インフレ率を上昇させる主要因の場合、これをコストプッシュ型インフレと呼ぶ。

ポスト・ケインズ派(MMTerを含む)がコスト・プッシュ・インフレと言うときは、「需要水準が、生産力のバッファ(=「価格設定理論において、生産量の変化に対して平均費用がほぼ不変」と想定できる程度の生産量)の範囲内にいる。材料費や経費や人件費などの平均費用が増加している。」といった暗黙の了解を共有している。コストプッシュ型インフレは、

単位量当たりの生産費用の上昇

→ 物価上昇(マークアップが概ね一定)

という現象と説明される。コストプッシュ型インフレに該当するのは、

生産力には余力がありつつ、単位生産量当たりの生産費用が上昇→物価上昇

という因果関係がインフレの主要因だった場合だ。典型的なパターンは、原油などの輸入物価が上がった時・名目賃金(貨幣賃金)が生産力よりも早く上昇したとき・増税したときである。いずれも、需要にこたえるための生産力には余裕があるが、生産費用の支払金額の上昇に対応するために値上げしている。

 

マークアップ上昇型インフレ

名称は私が勝手につけた。多分同じような意味の言葉はあるんだろうけど、少し調べただけでは見つけられなかったので。

このタイプでは、企業の持つ価格決定力に注目する。企業がほかの企業や消費者に対して自信が決定した価格を受け入れさせる力を持つ場合、商品の価格を決定するときに生産費用に上乗せする利潤マークアップを上昇させることが、インフレの原因になりうる。マークアップの拡大は、価格を決める企業の交渉力だけでなく、生産にあたってどれだけの投資支出を行ったか、どれだけの配当を払う予定なのか、将来の投資支出に備えたり内部資金を目標水準に近づけるためにどの程度の利潤が必要か、などの影響を受ける。

ポスト・ケインズ派(特にMMTer?)は、コストプッシュ型インフレほどではないかもしれないが、このパターンのインフレにも頻繁に言及している印象がある。

 

インフレの種類の曖昧な境目と、それでも区別することの有用性

コストプッシュ型インフレとデマンドプル型インフレ、あるいはマークアップ上昇型インフレとデマンドプル型インフレに明確な境目はない。例えばサプライチェーンの序盤でデマンドプルによる価格上昇が起こると、それ以降の生産者と消費者にとっては、コストプッシュの価格上昇と同質である。それどころか、デマンドプル型インフレとコストプッシュ型インフレ、デマンドプル型インフレとマークアップ上昇型インフレは、言葉の定義として区別できるかどうかすら怪しい。

例えば、原油の輸入価格が上昇することで国内の物価が上がった場合、国内ではコストプッシュ型インフレと説明される。その一方で、原油を取引する市場においては、旺盛な需要に生産量が追い付かないから価格が上がっている、デマンドプル状態かもしれないのだ。

サプライチェーンの序盤のデマンドプル型の価格上昇が、サプライチェーン終盤のコストプッシュ型の価格上昇を引き起こすこともある。賃金コストの上昇によるコストプッシュ型インフレであっても、労働の需要に供給が追い付いていないからかもしれない。コストプッシュ型のインフレとデマンドプル型のインフレの差は、「説明者がどこに着目しているか」という程度の差しかないともいえる。その意味で、デマンドプル型インフレとコストプッシュ型インフレの間に明確な境界線は存在しない、のではないだろうか。

輸入品目の価格が上昇したことによるインフレをコストプッシュインフレ、国内の需給ギャップに起因するインフレをデマンドプルインフレと呼ぶ人が多いが、私はこの立場をとらない。輸入物価の上昇によるインフレは輸入物価上昇によるインフレと呼べばいいだけ。そのほうが物事がわかりやすい。

 

ただ、明確な境目が存在しないとしても、コストプッシュ型インフレとデマンドプル型インフレとマークアップ上昇型インフレを区別することには、それなりの得がある。

「デマンドプル型インフレ」には、「需要に対して生産能力が追い付いていない」「消費者と消費財生産企業の関係に原因がある」というニュアンスが強く反映され、

「コストプッシュ型インフレ」には、「需要が生産能力の範囲内にあるにもかかわらず起こっている」「生産者同士の関係に原因がある」というニュアンスが強く反映され、

マークアップ上昇型インフレ」には、「企業や政府の、自身が決定したマークアップ上昇による価格上昇をほかの経済主体に受け入れさせる力に原因がある」というニュアンスが強く反映される

 

弾力的供給とコストプッシュ型インフレ、非弾力的供給とデマンドプル型インフレ

農業・水産業のように、急な需要の変化に合わせて供給を増加させるのが難しい産業では、需要と供給のバランスや限界費用と限界収入のバランスが価格を決める主要な原因になる。

情報産業や多くの製造業では、企業は生産力の余力をもちつつ操業し、売り上げに対して一定水準の在庫を保持していることも多いので、急な需要の増減に対して供給量の増減で対応するのが一般的だ。価格上下で対応しないのは、価格を安定させることが市場シェアを維持向上するために重要だと企業が判断するからだとか、いろいろ理由があると思われる。現実問題として、多少の需要や供給の変化は、価格よりも生産量によって対応されている。

これらの結果、供給が非弾力的(短時間で供給量を大きく変化させることができない)産業では需要供給バランスがマークアップの上下を通じて価格に反映されやすく、供給が弾力的(短時間で供給量を大きく変化させることができる)産業では生産費用や起業の価格交渉力を通じて価格が上下する傾向がある。

公的セクターが市場介入して供給のバッファを作っている場合(野菜の買取補償があると、常に余剰生産状態を維持できる。など)、生産の非弾力的な財であっても弾力的に供給される。まともな先進国では、安全保障分野において、政府の政策によって供給のバッファを作るのが常識だ。(軍隊を常備するとか、野菜や穀物の買取価格の最低保証とか)

 

一般的なインフレの説明

インフレ率を決定する主要因は複数ある

ご存じの通り、インフレ率は消費者向けの商品の物価を使った指標である。そして、ポスト・ケインズ派の価格決定に関する説明は、価格決定プロセスが手続き上の理由によって多様であることを示すが、同時に

①価格決定者は、しばしば、生産費用を基準にして価格決定する

②価格決定者は、しばしば、投資資金の調達や借入の利払いや配当の支払いに必要な水準を目標にして、生産費用にマークアップを上乗せする

③需要と供給のバランスの影響は、価格決定を左右する数ある原因の一つ。しかし、需要曲線と供給曲線を用いたモデルほど重要な要素ではないし、明示的な言及の必要がない(需要と供給の均衡や限界費用と限界収入の均衡を用いた価格決定の説明が、生産総費用とマークアップの水準の変化を用いた説明で代替可能だから)。

④市場の独占度によるマークアップ水準への影響は存在する(寡占・独占が進むほどマークアップは上昇する傾向にあるだろう)。それがどの程度なのかは、商品の性質や市場に適応されている規制のデザインなどによる、経済主体の立場次第。市場あるいはサプライチェーンにはしばしば、価格水準を(比較的)自由に決定する「価格決定力の高い企業」が存在し、同業他社が「価格決定力の高い企業」が提示した価格と歩調を合わせて価格設定したり、「価格決定力の高い企業」が設定した価格をサプライチェーン前後の企業や消費者が受け入れたりしている。

⑤合理的経済人など存在しない。入手する情報は限られているし、正確に期待値分布を知ることはできない。利潤の最大化が目標になるとも限らない。存在するのは、”ほどほどに合理的な経済主体”だけだ。だからこそ、需要と供給のバランスだけで価格を説明することはできない。

と主張することがわかる。

数多くの経済主体の価格設定が積み重なった結果を用いて、インフレ率は算出される。したがって、ポスト・ケインズ派による価格設定プロセスの説明は、インフレ率も①~⑤の影響下にあるとの主張とおおむね同義だ。

 

消費財の価格水準」={「輸入物価(税抜き)」+「税金」+「賃金(税抜き)」+「企業の利潤(税抜き)」}÷「生産量」

インフレ率や物価を上下させる原因が複数想定されることは分かった。ここで、変わった角度から考えてみる。価格の原因ではなく構成要素に着目する。

⑤はそれ自体は物価の上昇圧力でも下降圧力でもない 点を考慮すると、インフレ率の説明の際に重要なのは①~④である。

(原価が価格の決定要因になること)は、インフレ率に影響する要素に、労務費や人件費・税金・輸入物価といった原価の構成要素を追加する。

(利益率・利潤率の目標を先に決定して、後から価格設定すること)と④(企業がどの程度自身のマークアップを自由に決定できるか)は、インフレ率に影響する要素に、株主配当・内部留保・借入金の利息&元本の返済 が追加されることを示す。

③は、需要と供給のバランスがインフレ率に影響することを認める。それと同時に、需要曲線と供給曲線の時間変化を用いた物価の説明は、”分配の変化”を用いた説明で、代替可能だと主張する。

 

ここでサプライチェーン全体に視野を広げてみる。

消費財の価格は、その原因を突き詰めると、「輸入物価(税抜き)」「税金」「労務費および人件費(税抜き)」「生産する経済主体の取り分(税抜き)」「資本家の取り分(税抜き)」の合計を「生産量」で割ったもので構成されている。中間財の仕入費や経費なども、サプライチェーンをさかのぼると、「輸入物価(税抜き)」「税金」「労務費および人件費(税抜き)」「生産する経済主体の取り分(税抜き)」「資本家の取り分(税抜き)」に行き着く。中間財の価格ももちろん、「輸入物価(税抜き)」「税金」「労務費および人件費(税抜き)」「生産する経済主体の取り分(税抜き)」「資本家の取り分(税抜き)」で構成されている。

長くなってしまったのでもう一度。今度は使う言葉を変える。

消費財の価格は、「輸入物価」「税金」「賃金」「企業の利潤」「家計の不労所得」の合計を、「生産量」で割ったもので構成されている。

「企業の利潤」は、債務の元本返済・内部留保・将来の投資資金に使われる(ほかにもあるかも。キャピタルゲイン(orロス)は、「企業の利潤」には含まないこととする。ただ、「企業の利潤」の水準は、キャピタルゲインなどの営業外の収益や損益に左右される場合もあるだろう。所有していた債権が不良債権化して、手元の流動性資産が足りないってことで、企業の利潤の拡大のために商品の価格を上げるとか。)。 生産のための投資支出額が大きくなると、しばしば借入に伴う信用創造がおこり、返済(元本の返済は信用収縮と言い換え可)のために必要な「企業の利潤」が増える。

 

③の影響は究極的には、「輸入物価」「税金」「賃金」「企業の利潤」「家計の不労所得」に置き換えできる。超過需要の影響は、企業の利潤(名目値)を増やす・賃金(名目値)を増やす・輸入物価(名目値)を引き上げる などの形で現れることだろう。③は、①と②の言いかえということだ。

インフレ率は、「より高い賃金を求める労働者の取り分」と「より高い利潤を求める企業(株主を含む)の取り分」と「政府による徴収分」と「輸入先のすべての経済主体の取り分」の間で行われる協調と競争の結果を反映している。

消費財の物価に含まれる、「輸入物価(税抜き)」「税金」「賃金」「企業の利潤」「家計の不労所得」のそれぞれの割合は、日本や米国や中国のような輸入対GDP比率が(比較的)小さいな国では、賃金が最も大きなウエイトを占める。その事実だけで、「物価水準(名目値)の長期的な変化に最も強く影響するのは、生産量当たりの賃金だ」と言えそうだ。(輸入対GDP比が十数パーセント程度の日本のような国であれば、特殊な事情による為替の乱高下やオイルショック並みの輸入物価上昇がなければ、輸入物価が国内のインフレ率に大きく影響しない。企業の利潤と賃金の分配の割合は、決算書を読んだり労働分配率と資本分配率の比較を見たりしていれば、ほとんどの企業で 内部留保<賃金、配当<賃金 と察せられる。税金(法人税・消費税・所得税など)は、ちゃんと調べていないからわからないが、企業の利潤(税抜き)<税金<賃金(税抜き) の範囲にたいてい収まるんじゃないかな。)

 

インフレ対策

まずは「何が原因でインフレになったのか」を考えるべき

増税あるいは減税が原因で許容できないインフレをもたらしたのであれば、インフレ退治のためには税制を改定するべきだし、

際限のない賃上げが原因で許容できないインフレが生じたのであれば、賃上げ交渉力を下げるような法律なり思想なりを導入するべきだし、

企業が市場の混乱に乗じて価格を釣り上げたことが原因で許容できないインフレが生じたのであれば、同様の現象が再現されないように市場の参入障壁を下げる方法を提示できるかもしれないし、

輸入物価の上昇が原因で許容できない水準のインフレになったのであれば、新たな輸入経路を作ったり、自国内で自給自足や代替手段を開発したりするべきだ。

インフレには原因がある。その時々により、インフレの原因は異なるだろう。インフレ退治したいのであれば、原因を特定・解消することが大事なのだ。それに、インフレが必ずしも悪いこととは限らない。デマンドプル型インフレが良いインフレで、コストプッシュ型インフレが悪いインフレ、などの主張は、議題にすべき論点がずれている。

 

インフレ対策と安全保障

「安いから」という理由で、何かに強く依存する経済を作ると、平常時はよいが、何かが起こった時に経済が深刻なダメージを食う。サプライチェーンが世界規模で統合されて多くの国にまたがっていると、どこかの国で紛争や災害などの不調が生じたときに深刻なダメージを負う。経済が破綻するということは、我々の生活水準が下がるということである。少数種類のリソースに依存した経済とは、いつ生活水準を下げさせられるかわからない経済である。「少数種類のリソースに依存した経済」は、未来が予測不能な現実の世界において適応的ではない。それに、主権者(日本であれば選挙に行ける人)が影響を及ぼせない誰かが生産活動のボトルネックになる種類のリソースを独占すれば、民主主義は事実上機能しないだろう。

 

日本にとっては食料も同様の問題をはらんでいるのだが、ここでは原油を例に説明する。

現代のグローバル市場主義的社会では、経済は原油に全面的に依存している。材料として原油に依存していたり、発電手段として原油に依存していたり、自動車燃料として原油に依存したりしている。原油に全面的に依存した経済を作れば、原油の価格が上がった時にインフレが起こり、人々の生活水準が下がるのは、当然のことだ。

危険が伴うのになぜ原油に依存した経済を作ったのか?その主な原因の一つが、「経済を市場任せにしすぎたから」だ。企業や家計が原油に依存するのは勝手だが、もしも主要な輸入先に何かが起こったらどうするのか、もしも原油が世界的に不足したらどうするのか。その対策手段として、できるだけ多くの、原油の輸入に替わる手段を、平時から開発し続けるNPO団体が必要でる。このバッファ・無駄・遊びを担うNPOとして、政府が機能するべきなのだ。安全保障の基本中の基本である。

 

一経済主体にとっての”コスト”と、インフレ対策としての利上げの不能

多くの商品の価格は、限界費用と限界収益のバランスや、需要と供給のバランスでは決まっていない。

ポスト・ケインズ派の価格設定理論でも、我々の実感でも、価格は、生産費用(の予測)に期待する利潤を上乗せする形で決定されている。その方法であれば、限られた能力しか持たない人間にも可能だ。価格設定のシンプルな説明は、

利潤目標の設定→価格の関数としての売上と利潤の憶測→価格の決定→売上→利潤の確定

である。借入で調達した資金を投資に使っていた場合、借入の元本と金利の返済が利潤目標水準を決める判断材料の一部である。市場が十分な好景気だったり、企業の価格交渉力が高かったりする場合、外部資金の借入の金利の上昇は、上昇分の金利の返済を賄うための価格上昇に直結し、生産量や消費量の減少をもたらさない。インフレ抑制のために政策金利を上昇させることに消極的なポスト・ケインジアンが多い理由の一つは、金利の上昇が返済必要金額の上昇を通じて利潤マークアップの上昇に結び付き、物価上昇圧力になる可能性すらあるというものだ。政策金利の上昇は必ずしもインフレ対策にはならない。(政策金利の2・3%程度の上昇がインフレ対策になるとの証拠は、非常に弱い。さほど相関強くないことに加え、インフレ率上昇→政策金利上昇 の因果関係を取り除くことができたとすると、正の相関が残るかどうかもわからない。)

 

賃金とインフレ

「現代の先進国の多くの年に、インフレ率を左右した主要因」について考える

先進国においては経験的に、好況の時代はインフレ率が高いことが多く、不況の時代にはインフレ率が低いことが多かった。好況とは、言い換えると、家計の実質所得と実質消費支出が同時に多くなる時期である。過去の例を見ると、物価と実質賃金の両方が同時に上昇することが多かった。逆に不況とは、家計の所得と消費支出が同時に増えなくなる・減る状況である。物価と実質賃金の両方が上昇しなくなることが多かった。

 

好況期にインフレ率が高く、不況期にインフレ率が低かったという、歴史的経験・傾向を説明できるのは、少なくとも「賃金以外の生産費用が上昇することによるコストプッシュ型インフレ」ではない。賃金以外の生産費用が上昇すると、消費需要が伸びないからだ。

「好況とインフレが同時に起こりやすかった一方で、不況と低インフレが同時に起こりやすかった」という経験は、「実質賃金が上がるためには生産量が増える必要があるが、生産量増加率が高いときは、貨幣賃金上昇率が生産量増加率よりも高い」ことを示唆する。

 

賃金の上昇の影響について

仕入先の企業の賃金や利潤や税金・電気代など経費を支払う相手の企業の賃金や利潤や税金の上昇は、企業にとって、生産費用と投資支出額の上昇につながる。特に投資支出額の上昇は、それをまかなうために、企業の利潤の増加を必要とする場合も多い。

労働者が彼らの交渉力によって、企業の利潤に比例して賃金を増加させた場合、賃金上昇→必要な利潤の上昇→賃金上昇 のループが回る可能性がある。

この時起こるインフレは必ずしも社会的に悪影響とは限らない。インフレは所有する金融資産の格差を解消する圧力になりうるし、インフレ圧力自体が借入を伴う投資を簡単にする。しかしその一方で、企業の内部資金が対物価で目減りし続ける状況は、投資資金調達のために負債を大きくさせる圧力となり、社会全体で見た不況への耐性が弱体化する可能性があるし、インフレ率が高いこと自体も不便であることは否めない。賃金上昇には生産性向上が伴っていて、物価の上昇率はさほど高くない(年率5%以下とか)状態が、理想的な在り方だろう。

 

投資とインフレ

投資がマークアップに与える影響について

商品の価格水準にとって重要な要素は、賃金だけではない。投資支出額も重要だ。投資の意思決定は、銀行からの金利付きの借入や、過去に積み上げた内部資金や、未来の内部留保への期待などから影響を受ける。投資支出額を回収するために、数年、場合によっては十数年を費やすことも考えられる。また、投資の成果自体が、数年・十数年後にようやく表れる場合もあるだろう。投資がその会社の「目標利潤の水準」に即座に反映される一方で、既存の商品の生産量の増加や新商品の発売がそれに遅れる、といったことは普通にありうる。投資の成果が発揮され始めるまでの期間、「投資費用の増加」と「生産力の停滞」と「目標利潤の上昇」が商品の価格上昇をもたらすかもしれないし、新しい商品を生産するための投資支出額を事前に確保するために、今売れている商品の価格(利潤マークアップ)を上げることもありうる。

 

不況は投資につながらない内部留保を増加させ、投資につながらない内部留保の増加が不況の一因となる

ほかの条件が同じ場合、不況は企業の生存確率を下げる。不況は、企業の「いざという時のための資金をため込む」動機を強化する。1997年以降の日本の長年の不況は、企業の内部資金の増加をもたらしたが、それを使う投資が増えたわけではない。何しろ不況なのだ。不況下では投資するメリットが小さい。(低インフレでもあったので、内部資金を使って投資して、投資支出分以上の利潤(名目値)を上げることが、一層難しかった。)

内部留保の増加は、その分の賃金の減少と対応する。投資の減少はそれそのものが需要の減少であり、生産の減少であり、同時に社会全体で見た賃金の減少に直結する。投資につながらない内部留保の増加自体が不況の一因となることもあるだろう。

 

消費構造の変化とインフレ

インフレ率とは、消費者物価指数CPIの一年あたりの変化率である。

y年のインフレ率は

インフレ率(y)=100×(CPI(y) - CPI(y-1))/CPI(y-1)

で計算される。インフレ率の意味を知るには、CPIの意味を知らねばならない。CPIは、ものすごく大雑把に説明すると、

これ以降

年yにおける品目iの消費量をQi(y)

年yにおける品目iの価格をPi(y)

と表記する。

 

消費構造の基準年をy0としたとき、定数Aを用いて、y+⊿y年のCPIは

CPI(y0+⊿y)=CPI(y0)×Σ {Pi(y0+⊿y)×Qi(y0)} / Σ {Pi(y0)×Qi(y0)}

で算出される。

(ただし、

・CPI(y0)=A×Σ {Pi(y0)×Qi(y0)}

・多くの場合、CPI(y0)=100 になるようにAの値を定める。)

 

CPIには、基準年の選び方の違いの基づく種類があり、最新の統計が示す消費構造を基準として定義されるものもあれば(この場合、Δy≦0)、一定期間ごとに基準年を更新していくものもある(この場合、Δy≧0)。

といった感じだ。毎年消費構造が変化(Qi(y)≠Qi(y+1)≠Qi(y+2)...)しても、CPIの計算に使われるのは基準年yの消費構造の基づく値Qi(y)である。

CPIが消費構造の一年ごとの変化を反映しないので、

インフレ率(y)=100×(CPI(y) - CPI(y-1))/CPI(y-1)

で計算されるインフレ率にも、消費構造の変化が反映されない。

 

好況で安物から高級品への乗り換えが進んでも、商品の単価が一定ならインフレ率は0。不況で百均ショップが繁盛する代わりに高級品が売れなくなっても、商品の単価が一定ならインフレ率は0。

超過需要で割高な商品も多く買われるようになっても、商品の価格が変化しなければインフレ率は0。超過供給で割高の商品の売り上げが下がっても、商品の価格が一定ならインフレ率は0。

技術的な進歩により既存の商品を代替するより安い商品が普及していったとしても、商品の価格が変化しなければ、インフレ率は0。

所得が底上げされて今まであまり売れなかった嗜好品が多く売れるようになっても、商品の価格が一定ならインフレ率は0。

インフレ率が同じでも、消費構造が変われば生活水準の維持に必要な費用は変わる。インフレ率はCPIの変化率であって、生活水準の維持に必要な費用の変化率ではない。ただ、消費構造が1年で大きく変わることは珍しい。Piの変化率がQiの変化率よりも大きいと想定される場合には、インフレ率≒生活水準の維持に必要な費用の変化率 という考え方もできる。

ちなみに、うえで説明したCPIの計算の説明は、集計方法をはじめとした情報を落としている。インフレ率には消費構造の変化のほかにもいくつかのバイアスを持つ。

 

経済成長と投資とインフレ

生産力と需要の増加が、経済成長の正体である

消費財の価格水準」={「輸入物価」+「税金」+「賃金」+「企業の利潤」+「家計の不労所得」}÷「生産量」

の式において、この節で注目するのは「生産量」の変化だ。仮に、輸入物価と税金と賃金と企業の利潤が変化しないとすると、生産量の増加が消費財の価格を下げる。

生産した消費財がすべて売れることを仮定すると、生産量の増加は消費量の増加に直結する。このとき、消費の増加と賃金の増加と企業の利潤の増加であり、民間経済の成長そのものだ。生産性の向上ともいうし、実質賃金の上昇ともいう。

民間経済の成長のための条件は、

・将来にわたって、生産したら売れること、すなわち有効需要が十分に期待されること

・上の条件に加えて「生産量」の増加率が高いこと

この2つだ。生産量の増加は主に、「将来にわたって需要がある」と期待した生産者の、投資や暗黙知の蓄積などによっておこる。(将来にわたって需要を期待できなければ、操業停止したり、今期の利益を最大にするために投資支出を渋ったりするのが、人情だろう)

将来にわたって需要が十分に見込まれるとき、その中でも特に生産量の増加が需要増加に追い付いていないとき、企業は利益を求めて価格を引き上げることも多い(将来の生産諸力を伸ばして将来の市場シェアを獲得するために、成功する確信がなくても設備や人材や研究開発に投資したくて、現在の市場シェアに多少悪影響が出る可能性があっても価格を上げて利潤を稼ごうとする、かもしれない)。民間経済の成長の条件の一つ目は、条件付きだが、インフレ圧力として作用する。

その一方で、民間経済の成長の条件の二つ目は、「生産力の強化と単位生産量当たりの生産費用の低下がしばしば同時に発生する性質(費用面の要因)」や、企業の価格決定力が弱い場合は特に「供給が増えたことによる需要と供給のバランスを反映した価格下落(売上量当たりの利潤マークアップの側面)」によって、デフレ圧力として作用する。

経済成長と物価水準は、単純な関係を結べるものではない。インフレ率とGDP成長率に相関が出たりでなかったりしても、全く不思議ではない。インフレ率とGDP成長率の関係に一貫した傾向が出る保証はない。特に、以下のような現象が起こらない場合は。

 

「高度経済成長」と「賃金上昇によるインフレ」は共通の原因を持つ場合が多い

過去の経験では、

①旺盛な需要への期待が投資を促し、投資が生産所力を伸ばし、経済成長する

②旺盛な需要が人手不足を促し、人手不足が労働者の賃上げ交渉力を上げ、賃金上昇型インフレを起こす

ことが多かった。経済成長と賃金上昇を原因とするインフレが、旺盛な需要という共通の原因を持つことが多かった。

家計や政府や海外の消費需要が増えたり、増えるはずだと信じられたりすると、企業は消費需要の拡大を見て生産力を高める投資を増やし、労働者一人当たりの生産量が増える(0から1への増加を含む)。上で触れた通り、売上金額当たりの賃金への分配率は、さほど大きな変動を示さなかったので、生産者一人当たりの生産量の増加は、実質賃金増加をもたらす。実質賃金が上がると、たいていの労働者は消費者の立場になったとき(物価調整後の実質値でも)消費支出を増やす。消費需要の増加は、産業分野によっては人手不足に直結する。マクロでも少なくとも短期的には、実質賃金上昇に伴う消費需要の増加が社会全体で人手不足を促す傾向にある。

「雇用を増やしさえすれば売り上げを伸ばして利益や利潤を増やせる状況だから、競争企業などから人を引き抜きたい」「労働者が少しでも離職すると今のサービス水準が維持できなくなる」などと企業が判断し、同時に「人手不足の業界がたくさんあるから、転職・再就職も比較的容易だ」と労働者が判断すると、労働者の交渉力が、雇用主や株主の交渉力よりも相対的に強まり、貨幣賃金上昇をはじめとする雇用環境改善が進みやすくなるかもしれない。ただ、どんなに人手不足になろうとも、労働者がもつ相対的な権力が経営者や資本家や政府と比べて小さいままなら、部下の交渉力が上司よりも小さいままなら、待遇改善は進みづらい。権力は文化的な背景や組織の仕組みや価値観などからの影響が強く、需要と供給だけで決まるものではない。賃金上昇率が生産量の増加率よりも高いとき、賃金上昇を原因とするコストプッシュ型インフレが起こる。

貨幣賃金の上昇は、企業の技術投資や設備投資への動機を強める。人を雇うより機械化したほうが安い、といったこと。賃金が上がり続ける見通しがあるときは、比較的安く支出できる今この瞬間に投資支出を増やして、将来の生産量当たりの賃金を減らすほうが、利益を確保しやすい。

実質消費需要増加→人手不足と投資増加→労働者一人当たりの生産力の強化→実質賃金増加→実質消費需要増加→人手不足と投資増加→労働者一人当たりの生産力の強化→実質賃金増加...... 

このループを途切れさせずに急速に成長する経済は、「高圧経済(high pressure economy)」と呼ばれる。放置しておくと、人手不足がもたらす名目賃金上昇が価格に転嫁されて物価上昇したり、収入の割に支出しない経済主体に資金が集まって滞留したりして、実質の所得や需要が低下し、ループは簡単に減衰する。が、財政支出(と税収)を徐々に増やしたり、海外の需要が伸びたりして、実質消費需要増加が続いている場合は、ループは安定して回ることができる。「高度経済成長」と「賃金上昇が原因のインフレ」に共通する原因の一つは、旺盛な需要(の期待)とそれに対応して供給力を伸ばすための投資、ではないだろうか。

 

ちなみに、将来の需要が確信できない場合は、投資して資本を増強して資本集約的な体制を作るよりも、現状の資本と労働力をフル稼働することで、現在の需要増加に対応したくなることも考えられる。将来の需要が確信できないときであっても市場の価格競争は消えないので、投資も雇用の増加もせずに長時間労働を強いて投資支出を削った分、商品単価を落とすシナリオは、容易に想像できる。不況と人手不足は両立しうる。(ブラック企業が問題になるのは、労働時間の増加よりもむしろ、人間関係をはじめとする労働時間以外の労働環境が悪化した時がほとんどではないかと、個人的には思っている。昔と比べて人口当たりの労働時間(家事を含む)は減っているなんて話を聞くくらいだし。個人主義が浸透した世代が上司になると、部下を育てることを仕事の範疇だと考えないにもかかわらず成果だけは求める上司が増え、部下にとっての悪い職場と化すかもしれない。知らんけど。)

 

経済成長を促す、効率の良い投資について

話を変えるが、多くの人にたくさんの機会を与えることは、社会全体で見たイノベーション促進方法の王道の一つだ。教育によって優れたエリートを量産したいのであれば、良家に生まれた子供だけに英才教育を施すよりも、すべての子供に一定の水準の教育を施して、頭角を現した子供に追加で教育を施すほうが、投資効率が良いはずだ。何しろ遺伝の世界には「平均に回帰する」傾向があり、天才の子供の多くが天才ではない(もちろん、親と子供はある程度似るが、無性生殖の生物と比べると明らかに親子が似ない傾向にある)。過去に成果を出した研究者だけに研究予算を与えるよりも、過去の成果で研究資金にあまり差をつけないほうが、全体的には研究成果が上がりやすいことを示唆する研究も多い。不確実な可能性が無数にあるのなら、広くベットしたほうが当たりやすいし、大抵のイノベーションは他の複数のイノベーションを前提としておこるものなので、たくさんの可能性に投資するほうが、社会全体でみたイノベーションは促進される。総中流社会は多くの子供に一定の教育を施す機能を自然と持った社会であり、生まれてくる子どもの才能を社会全体でうまく使いこなすことにつながるのではないだろうか。(それは、個人間の競争を激化させると同時に、才能に恵まれた人がその才能を発揮しやすくし、効率的な分業体制を築くということでもある。)

ピケティ本の図やジニ係数と経済成長率の推移の図などを見ているときに感じる「所得格差が小さい時期の方が経済成長しているように見える」現象は、このあたりが原因かもしれない。経済成長していたから格差が小さかったんだ、という因果関係を逆にした説明もできるかもしれないが(私には思いつかない)。

 

ベンチャーキャピタルを要する生態系がシリコンバレーなどで成功した例を見るに、圧倒的な金持ちがいたほうが何かとうまくいく場合はおそらく存在する*5。しかし同時に、子供の教育のために保護者や本人に対して多くの出費を必要とする状態が続く限り、総中流社会のほうが人材の生産が進みやすい状態も続くと思われる。

「金持ちが多くいたほうが良い」と「総中流社会が良い」は矛盾するように見えるかもしれないが、必ずしもそうでもない。金持ちが積極的に投資するならば、その投資支出が中間層の収入と支出を経由して金持ちのもとに再集結する。金持ちが投資を決定をするには、①金持ち自身が可能性に投資したがる性格で、②市場に旺盛な需要が見込めると信じることができて、③投資がより大きい金額になって帰ってくるための資金源すなわち赤字を恒常的に垂れ流す政府または海外が存在する 必要がある。

 

 

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主な参考図書

bookmeter.com

bookmeter.com

bookmeter.com

bookmeter.com

*1:ポスト・ケインズ派の議論を、非常に多くを学べるかなり有益なものだと思っているのは事実だ。SFCモデルなどのアイデアは、本当に素晴らしい資産だと思う。ただ、私自身はポスト・ケインズ派ではない。ポスト・ケインズ派を名乗るにはあまりにも勉強不足だと思っているし、彼らが全面的に正しいとも思っていない。加えて、ポスト・ケインズ派のアプローチに全面的に満足しているわけでもなくて、より一層の説明能力の向上のために、現状の路線だけでなく行動経済学生態学複雑系の議論をもっと取り入れるべきだと思っているし、才能ある人が協力して取り組めばそれができるはずだとも思っている。限定合理性を前提としたり制度の重要さを認めたりと、ポスト・ケインズ派には、心理学的な研究や複雑系の研究を取り入れやすい素地があると思う。

*2:単位労働時間当たりの賃金の名目値の平均

*3:単位労働時間当たりの「購買力を基準とした賃金」の平均

*4:カルドアの定型化された事実の一つ。カルドアが活躍した時代には確かに成立していたが、オイルショック以降はさほどでもないようだ

*5:例えば、多くの銀行は、ハイリスクハイリターンな事業への融資に消極的だが、多くのベンチャーキャピタルはそのような事業の株式を買うことを通じて資金提供することに銀行より積極的かもしれない。事業がどんなにうまくいっても融資による銀行の取り分は金利しかない一方、大株主であればかなり大きな利益を上げられる可能性があるため。