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これだから経済学は使えない。そもそも市場は、格差拡大を促す仕組み。「効率的な資源の分配」は必ずしも実現しない。

経済学は使えないシリーズ一覧

 

 

・余剰と豊かさはあまり関係ない(効用はスカラー量で表現できるものではないし、余剰と比例するものでもない)。総余剰の最大化は豊かさの最大化ではない。

・市場は、(財の価格が高いところから少しづつ下がるような場合にはその効果が緩和されるが、)基本的には、安く提供する者と高く買うものを優遇する。高く買う用意がある人と高くしか売れない人、安くしか買わない人と安くても売る人をマッチングするのが、少なくとも短期間では取引量を最大化する(競争市場がやっているのは最も取引量が減る選択だ)。右肩上がりの供給曲線と右肩下がりの需要曲線を仮定し(経済学では標準)、総余剰を最大化する取引を行うと、取引量が最小化され、利益を得られる人の数もおおむね最小化される(格差拡大)。

・需要曲線は所得分布に強く依存する。所得格差の大きい社会では、供給曲線の形を同じと仮定する場合、財の取引量は少ない。一方で、金持ちは同じ商品にも高い金額を支払う用意があるので、消費者余剰は大きくなる。この消費者余剰は、消費者の”お得感”とあまり関係がないので、消費者余剰が大きいほうが良いといった理屈は、”お得感”とは違う何かを追い求めている

生産者余剰は、完全競争市場を仮定しなければ解釈することすらできない概念である。生産者余剰は、生産者の”お得感”とあまり関係がないので、生産者余剰が大きいほうが良いといった理屈は、”お得感”とは違う何かを追い求めている

・多くの分野では、ある程度の生産量まで、規模の経済が存在する。そのような分野では、寡占や独占が当たり前である(一種の格差)。寡占や独占が起こるのは、純粋にそれらが高い生産効率を示すからだ。

 

 

格差の存在が悪いとは思わない。市場をなくすべきだとも思わない。むしろ、経済成長を促す仕組みを採用しようとするとき、必ず発生するものだったのだろう。ただ、市場が生産や分配に平等なを提供しているというのは嘘だし、効率的な資源の分配は必ずしも実現しない。

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