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これだから経済学は使えない。需給均衡と余剰について

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この記事では、「完全競争市場においては、需要曲線と供給曲線を引いて、均衡点で価格と取引量が決まる」「寡占・独占の市場においては、限界収入と限界費用が均衡点を作り、価格と取引量が決まる」などといった言説の理論的な問題点と、実用上の不能さを指摘する。

 

・需要曲線も、供給曲線も、仮に観測できたとしても、時間の経過とともに変化するものなので、観測結果に基づく議論はすぐに役に立たなくなる。寡占or独占市場では、限界費用と限界収入の均衡点を起点に考えるようだが、上記と同じことがいえる。

・生産者がが規模の経済を強く効かせる場合、無数の供給者がいる場合よりも少数の生産者が寡占or独占するほうが、採算がとれる単価がかなり安くなる。経済主体一つ当たりの生産量増加に伴って限界費用は下がり続け、供給曲線は右肩下がりになる可能性もある。

・生産量の増加に伴って限界費用が下がる場合、完全競争市場でしか生産者余剰を考える意味はない。

・そもそも需要曲線が右肩下がりになる保証はない。「高いから買う」という種類の需要は存在する。

・消費者余剰の解釈について。消費者にとっての「お得感の総量」と比例するものではない。ある程度は関係するだろうが、それは断じて強く相関するものではない。

・生産者余剰は、完全競争市場というフィクションの上でなら、消費者余剰と「お得感の総量」くらいの関係はある。しかし、普通は完全競争市場は実現しないので、生産量増加に伴って限界費用が下がる産業分野では、生産者余剰は生産者と関係ない概念である。

・短期的な分析に限っても、余剰が富の基準にならない以上、自由貿易が総余剰を拡大するからと言って、自由貿易が富を増やすとは限らない

・供給曲線や限界費用曲線は機会費用を含めた生産総費用を想定しているはず。しかし現実には、機会費用の計算などという難しすぎる意思決定をする経済主体はほとんどなく、機会費用を除いた生産総費用に利潤マージンを上乗せるようにして価格設定するのが普通なので、価格は限界費用と限界収入のバランスだけで決まるものではない。限界収入を考えるにはあらかじめ需要曲線を知らなければならず、約束事ではない全ての事象の期待値分布を正確に予測できない我々人類には、限界収入を正確に算出することなどできない。在庫処分などの理由で一気に価格を下げることもある。現実的な価格設定についてはこちらの記事で説明した。

・供給曲線の3つの仮定

①企業は、短期における純収益の最大化をはかる

②(完全競争市場において、)企業は価格受容者である

③一生産者にとっては、(少なくとも通常の生産量の近辺で)限界費用逓増の法則が成り立つ。平均費用は生産量に対してU字あるいは右肩上がり。

は、少なくとも工業分野では、いずれも一般には成り立たない。多くのサービス業でも成り立たない。③に関してはむしろ、限界費用逓増どころか、一定あるいは逓減すらよくある。(大口の顧客が安い単価で仕入れたり、生産量を増やすために資本を追加したとき「資本に費やした費用当たりの生産量」が増えたり。)

 

 

 

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