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買占めによる転売は、消費者だけでなく、生産者にとっての不利益になる。

この記事ですること

生産者の手が届かない地域への供給(貿易も含む)であれば、転売が生産者や消費者に悪影響を与えるとは限らないのであって、この記事ではそういった事例は想定しない。この記事で扱うのは、転売屋がいてもいなくても、供給量が変化しない事例だ。

買い占め→定価より高額で転売

というビジネスモデルが、経営的理由で、生産者(とついでに消費者)の不利益になることを説明する。

 

転売が起こる市場の特徴

転売は、供給が固定的な市場で起こりやすい。(供給が弾力的な市場では、生産者が売る定価の商品が品切れにならないから、転売がそもそも儲けにならない。) 供給が固定的な理由は、需要が生産能力を超えているから、あるいは生産までに時間がかかるからである。

品薄にならない市場では、転売は流行らない。生産者にとってみれば、収益が安定しているときほど転売が流行り、逆に売れ残るほど転売が起こらない。

 

市場原理主義の否定

一見関係ないように見えるだろうが、1分だけ我慢して読んでほしい。

ほとんどの経済学部卒の人たちには悪いが、加えて聞きかじった程度の経済学の知識しか持たない自称知識人には悪いが、企業の利益は「需要と供給が均衡する場合」や「限界費用と限界収益が均衡する場合」に最大化されるのではない。該当する財の短期の売上だけを考えれば済む場合には限定的に、需要と供給の均衡・限界費用と限界収益の均衡が企業の利益を最大化するが、現実の世界では過去があり、未来があり、消費者には消費習慣がある。企業の利益にとっては、今だけでなく未来の市場の大きさと市場シェアの大きさが重要なのだ。それにそもそも、「価格設定の瞬間に、販売のタイミングにおける均衡点を知る能力」はない。

(新古典派系の)経済学の使えなさに関しては、当ブログ内でも言及している。

rokabonatttsu.hatenablog.com

 

転売が生産者の不利益になりうる理由

現実の世界では、企業にとっては今期の利益だけではなく、将来の市場を予測したり宣伝などを通じて市場を創出することや、市場シェアをいかに多く占めるかといったことも重要だ。「価格の均衡」は贔屓目に見たとしても現実世界の価格設定においてその役割の一部しか担えない。

そこで企業は、商品の価格を決めるとき、その商品で最大の利益を上げることではなく、むしろ今期と将来の市場シェアを拡大するために、しばしば少し安めに価格設定するものだ。消費者の行動はある程度「習慣づけ」ることができる(ガンプラを子供がお小遣いで買える価格に維持することで、将来のお得意様を作ろうとするなど)し、それを企業は知っているので、今商品を売れれば、それは将来につながると考える。企業はしばしば、価格の変動ではなく、生産量の調整によって、市場の需要に対応する。

転売は、このような企業の生存戦略を妨害しうる。転売屋が生産者と消費者の間に入ることで単価が上がり、消費者の一部が消費を断念すると、それは消費者の習慣に影響し、将来の市場を小さくするかもしれない。転売屋から高値で買うほど熱心ではなかったり資金不足だったりする客層も、「今回は手に入らなかったけど次は手に入れるぞ」というモチベーションを維持している限り、消費者の消費習慣は維持される。転売屋が高値で売ることで、現在の消費者が消費習慣を手放すと、将来の生産者の利益を損なうかもしれないのだ。

 

よくありそう(?)な転売肯定派の意見について

「より高い支払いをする準備がある消費者に優先的に商品を供給することができるから、転売は良いことだ」との主張もあるだろうが、これは所得格差(というと経済学っぽいので収入格差と読み替えても良い)が頭から抜け落ちている人間の発想であり、高収入は本人の努力の成果が主要因だという幻想に支えられている発想でもある。支出する用意がある金額は、収入にとても強く依存している。収入は、努力だけで決まるものではなく、環境という名の運や遺伝子の影響もう強く受ける。救えないのは、努力する傾向すらかなりの部分が遺伝で決まるという現実があるということだ。さらには、稼ぎの良い仕事が社会を良い場所にする仕事とは限らないのに、金持ちにしか権利を与えない様な社会は、多くの人が望んでいない。サンデル教授を持ち出すまでもなく、「より高い支払いをする準備がある消費者に優先的に商品を供給することができるから、転売は良いことだ」といった種類の転売肯定派は、過激な利己主義者(マキャベリストサイコパス、反社会勢力などのラベルは一応避けておく)に他ならない。