好奇心の横断歩道を創る!

自分の思考をラバーダック・デバッグするためのブログ

多様性とは一体???多様性が大事とは???

昨今、多様性が大事だとの声をよく聞く。「そういう時代」なのだそうだ。なぜ多様性が大事なのかと聞くと、生産性が上がるからとか、倫理道徳の発露だとか、グローバル化時代への適応だとか、よくわからないことを言う。いくら聞きただしても、だれも因果関係を説明してくれない。仕方がないから、少しだけ自分で考えてみた。

 

まず、思考するときに必要な手続きをとろう。言葉の定義だ。

「多様性」とは何か?

とても抽象的な言葉だ。ばらつきを表す言葉である。「○○の多様性」と言えば、何でもそれっぽく聞こえる。肌の色の多様性、マナーの多様性、政治思想の多様性、宗教の多様性、文化の多様性、収入の多様性、労働条件の多様性、能力の多様性、言葉の多様性、住所の多様性、性格の多様性、性愛の多様性、治安の多様性、義務の多様性、権利の多様性、食の好みの多様性、法律の多様性、.............何でもありだ。さらには、同じコミュニティーの中にいる人間が多様なのか、性質の異なるコミュニティーが無数にあるという意味の多様性なのか、誰も教えてくれない。多様性が大事だと言ってる連中で、これらを細かく区別してる人を見たことが無い。多様だから良いというスローガンは、どう考えても思考停止している。

どうやら、言葉の定義を考える人があまりにも少ないことが、多様性賛美の源泉だったようだ。道理でテレビ崇拝者は多様性を賛美するわけだ。

 

まず、同じコミュニティーの内部で「必要な多様性」「あった方が良い多様性」「有っても無くても、何方でも良い多様性」「あると害になる多様性」「成立しない多様性」に分類する。分類対象は、

肌の色・マナー・政治思想・宗教・文化・収入・労働条件・能力・公用語・住所・性格・性愛・治安・義務・基本的人権・食の好み・法律

とする。もちろん他にもいくらでもサンプルはある。分類は私の主観だ。

 

「必要な多様性」

能力・住所・性格・労働条件・義務

能力が多様じゃなきゃ、協力して生活することはできませんよね。すべての専門職をこなせる人なんていません。能力の多様性は必要です。同じ理由で、労働条件も多様でないとね。職種によって適した労働環境は違う。住所や性格も義務も同様。

 

「あった方が良い多様性」

文化・収入・食の好み

文化は多様じゃないと、面白くない。収入が多様じゃないと、仕事のやる気が出ない。でも、文化が多様過ぎると「あいつのことは分からない」「あいつとは共感できない」って類の弊害が強くなる。収入も同じく。多様性はほどほどに。過ぎたるは及ばざるがごとし。

 

「有っても無くても、何方でも良い多様性」

肌の色・性愛

まぁ、反論はないかな。

 

「あると害になる多様性」

マナー・政治思想・宗教・公用語・治安・基本的人権

マナーの多様性は、もはやマナーではない(笑)。皆がお互いの振る舞いへの不満を我慢しなければいけなくなる。政治思想が多様だと、すぐ革命がおこる。常に政情不安。宗教も、国内で多様だとすぐ対立する。公用語が多様だと、ひたすら不便。治安が多様だったら、オシャンティーな通りの1本横がスラム街。良いわけあるか!基本的人権に多様性があったら、皇帝と貴族と平民と奴隷と、あとは家畜かな?無い方が良いでしょう。

 

「成立しない多様性」

法律

法律の多様性って何とかのパラドックスみたいだ。ここでは俺が法律だ!

 

 

 

「生産性を上げるためには多様性が重要だ」は解像度が低すぎる。

言葉が通じなかったらアイデアが伝わらないし

政治思想やマナーが違ったら仲良くなりずらい

でも、多様性が全て悪いわけじゃなくて、

能力や認知は多様じゃないと  1+1<2  になる。

 

 

 

 

 

最低でもこの記事程度の解像度をもって、多様性の影響を議論してほしいものです。まあ、何も考えず何も意見しないという選択もありなのかな?思考停止は基本的人権に含まれていますからね。