好奇心の横断歩道を創る!

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様々な、社会の仕組みをめぐる「主義」の分類

目次

 

 

この記事で扱う「主義」の一覧

社会主義共産主義・資本主義・自由放任資本主義・修正資本主義・国家資本主義・グローバル資本主義・株主資本主義・新自由主義無政府主義全体主義・民主主義・ナショナリズムグローバリズム帝国主義保守主義リベラリズム

 

 

それぞれの「主義」の、本記事内の定義一覧

社会主義の定義

国家内で全体最適を求める主義。全体最適の基準までは言及しない

 

共産主義の定義

国家内で、財産の共有によって平等を目指す主義

 

資本主義の定義

生産に用いられる資本を最大化しようとする主義。資本の最大化のために、様々な規制デザインの市場を使う

 

自由放任資本主義の定義

資本主義のなかでも、政府が市場に干渉しないことを求める主義

 

修正資本主義の定義

資本主義を基本としつつ、公平や正義や福祉や市場の独占の禁止などの、他の価値観を強く反映させる主義

 

国家資本主義の定義

政府による強い介入を行い、国家全体で資本を最大化しようとする資本主義

 

グローバル資本主義の定義

国家間での交易や投資や投機などの活動を、市場原理に任せ、国家の介入を排除しようとする主義

 

株主資本主義の定義

株式会社は株主の利益の最大化を目的とするべきだ、という主義

 

新自由主義の定義

市場原理を崇拝する主義。しばしば、規制緩和の言い訳に使われる

 

無政府主義の定義

政府による仕事をなくそうとする主義

 

全体主義の定義

国家内の構成員全員に同じ価値観を求める主義

 

民主主義の定義

社会の構成員全員の意見を、政府の運営に反映させようとする主義

 

ナショナリズムの定義

国内の国民の利益を最大化しようとする主義

 

グローバリズムの定義

国境を超える際の規制を撤廃しようとする主義

 

帝国主義の定義

侵略によって国家を広げ、武力を使ってでも多様な構成員を管理ようとする主義

 

保守主義の定義

問題の解決のために、現状の仕組みを改変・調節しようとする主義。革命や現状の仕組みの全面的な廃止を嫌う

 

リベラリズムの定義

個人の自由を最大化しようとする主義*1

 

 

 

 

 

「主義」の、様々な視点での分類

以下の分類には、私の主観が強く入っています。知識水準次第で認識が真逆になるセンシティブな問題なので、参考程度に見てください。意見や誤りの指摘を待っています(←ここ大事)。

上の定義に従う分類です。その主義に属する人の多数派の特徴ではなく、「その主義を採用したとき、そうせざるを得ないこと」で分類しました。

 

 

改善か一新か

今の日本の問題を解決するために必要な事とは?

◎改善派

修正資本主義・国家資本主義・ナショナリズム保守主義

 

◎一新派

共産主義・自由放任資本主義・グローバル資本主義・株主資本主義・新自由主義無政府主義全体主義

 

◎どちらでもない、どちらでもよい

社会主義・資本主義・民主主義・グローバリズム帝国主義リベラリズム

 

 

自給か調達か

何かが不足しました。解決策は?

◎自給派

国家資本主義・ナショナリズム

 

◎外部から調達派

自由放任資本主義・グローバル資本主義・株主資本主義・新自由主義グローバリズム帝国主義

 

◎どちらでもない、どちらでもよい

社会主義共産主義・資本主義・修正資本主義・無政府主義全体主義・民主主義・保守主義リベラリズム

 

 

 

私有財産か共有財産か

◎強い私有財産

自由放任資本主義・グローバル資本主義・株主資本主義・新自由主義無政府主義グローバリズム

 

◎強い共有財産派

共産主義

 

◎中道派、あるいはどちらでもよい

社会主義・資本主義・修正資本主義・国家資本主義・全体主義・民主主義・ナショナリズム帝国主義保守主義リベラリズム

 

 

外国に対する態度は、侵略か協調か

外国との付き合い方は?

◎侵略派

グローバル資本主義・株主資本主義・新自由主義グローバリズム帝国主義

 

◎協調派

 

◎どちらでもない、どちらでもよい

社会主義共産主義・資本主義・自由放任資本主義・修正資本主義・国家資本主義・無政府主義全体主義・民主主義・ナショナリズム保守主義リベラリズム

 

 

構成員が生活水準を向上する手段は、搾取か協力か協調か

社会の構成員が自分自身の生活を豊かにするためにするべきことは?限られたパイを奪い合うのが搾取派。パイを大きくして全員の取り分を大きくするのが協力派。限られたパイを分け合うのが協調派。

◎搾取派

自由放任資本主義・グローバル資本主義・株主資本主義・新自由主義グローバリズム

 

◎協力派

社会主義ナショナリズム

 

◎協調派

共産主義リベラリズム

 

◎どれでもない、どれでもよい

資本主義・修正資本主義・国家資本主義・無政府主義全体主義・民主主義・帝国主義保守主義

 

 

社会の構成員に共通の言語が、必要か必要ではないか

国内の秩序を維持するために、共通の言語は必要ですか?

◎必要派

共産主義・資本主義・国家資本主義・全体主義・民主主義・ナショナリズム保守主義リベラリズム

 

◎不要派

株主資本主義

 

◎国内の秩序の維持は、必要ない、あるいは望めない派

自由放任資本主義・グローバル資本主義新自由主義無政府主義グローバリズム

 

◎どれでもない、どれでもよい

社会主義・修正資本主義・帝国主義

 

 

社会の構成員の宗教・価値観・文化が、多様になりやすいかなりにくいか

国内の人々の多様性に対する態度は?

◎多様な方が良い

自由放任資本主義・グローバル資本主義新自由主義グローバリズム

 

◎多様過ぎると困る

社会主義共産主義・資本主義・修正資本主義・国家資本主義・全体主義・民主主義・ナショナリズム保守主義リベラリズム

 

◎どちらでもない

無政府主義帝国主義

 

 

大衆の権利をどの程度保証できるか

大衆の個人の権利はどうなる?

◎広く保証される

民主主義・ナショナリズムリベラリズム

 

◎少ししか保証されない

共産主義・自由放任資本主義・グローバル資本主義・株主資本主義・新自由主義全体主義グローバリズム

 

◎どちらでもない、どちらでもよい

社会主義・資本主義・修正資本主義・国家資本主義・無政府主義帝国主義保守主義

 

 

 

主権者は大衆かエリートか、それとも外国人か

主権(国内で行使できる排他的な権利)は、だれが有していますか?

◎国民全員

社会主義・資本主義・国家資本主義・民主主義・ナショナリズムリベラリズム

 

◎同じ国のエリートのみ

社会主義・資本主義・国家資本主義・全体主義帝国主義

 

◎外国人を含むエリートのみ

自由放任資本主義・グローバル資本主義・株主資本主義・新自由主義グローバリズム

 

◎主権など存在しない

共産主義無政府主義

 

◎どれでもない、どれでもよい

修正資本主義・保守主義

 

 

 

国境の存在を、肯定するか否定するか

国境を超える際の、規則・規定・武力行使の能力などの存在は、肯定するか?

◎国境肯定派

社会主義・資本主義・修正資本主義・国家資本主義・全体主義・民主主義・ナショナリズム

 

◎国境否定派

共産主義・自由放任資本主義・グローバル資本主義・株主資本主義・新自由主義無政府主義グローバリズム

 

◎どちらでもよい、どちらでもない

帝国主義保守主義リベラリズム

 

 

国家安全保障は誰の仕事か

◎政府派

社会主義・修正資本主義・国家資本主義・民主主義・ナショナリズム帝国主義保守主義

 

◎民間派

自由放任資本主義・グローバル資本主義・民主主義

 

◎安全保障の概念が存在しない派

共産主義新自由主義無政府主義グローバリズムリベラリズム

 

◎安全保障に言及しない派

資本主義・株主資本主義・全体主義

 

 

国内の治安維持は誰の仕事か

◎政府

社会主義・修正資本主義・国家資本主義・民主主義・ナショナリズム帝国主義保守主義

 

◎民間

グローバル資本主義・民主主義

 

◎治安維持の概念が存在しない

共産主義新自由主義無政府主義グローバリズムリベラリズム

 

◎治安維持に言及しない

資本主義・自由放任資本主義・株主資本主義・全体主義

 

 

国内の規制は誰の仕事か

新自由主義者にとっては、自動車免許は市場原理に反し、個人の自由を損なうらしい。ということで、国内法は誰が作るか?誰が執行するか?

◎政府派

民主主義・ナショナリズム社会主義・資本主義・修正資本主義・国家資本主義

 

◎国内外の金持ち・政府以外の権力者

自由放任資本主義・グローバル資本主義・株主資本主義・新自由主義グローバリズムリベラリズム

 

◎どちらでもない、どちらでもよい

リベラリズム帝国主義保守主義

 

◎規制という概念は存在しない

共産主義無政府主義

 

 

それぞれの主義の、実現可能性について、主観で分類

それぞれの「主義」は人間社会で実現可能なのでしょうか。コンピュータが人間から完全に主権を奪うなどというSFチックなことは、ここでは一切考えないことにします。

○○主義なんてのは、ただの概念で、厳密には存在しえないものだと、私は感じます。

 

◎比較的厳密に実現可能

社会主義・修正資本主義・国家資本主義・グローバル資本主義全体主義ナショナリズム帝国主義保守主義

 

◎それっぽく見えることは実現可能?

資本主義・株主資本主義・新自由主義・民主主義・グローバリズム

 

◎実現不可能、深刻な自己矛盾がある

共産主義・自由放任資本主義・無政府主義リベラリズム

 

 

実現可能な「主義」の組み合わせと実例を、主観で列挙

ここも主観で列挙します。○○主義に完全に当てはまる社会なんてありませんから、細かいことを言えば実現していない、なんてのは無しでお願いします。私自身の勉強が進み次第、書き換えるかもしれません。ここが変だぞ!って指摘を待っています。

 

組み合わせ1:社会主義&資本主義&国家資本主義&全体主義帝国主義

実例1:中国(共産党)

 

組み合わせ2:資本主義&修正資本主義

実例2:日本

 

組み合わせ3:自由放任資本主義&グローバル資本主義新自由主義グローバリズム帝国主義

実例3:ユーロ圏

 

組み合わせ4:資本主義&株主資本主義&新自由主義帝国主義

実例4:アメリ

 

 

 

実現不可能な「主義」の組み合わせを、主観で列挙

ここも主観です。指摘・意見コメント待ってます。

 

組み合わせ1:社会主義共産主義

組み合わせ2:社会主義無政府主義

組み合わせ3:社会主義グローバリズム

組み合わせ4:全体主義リベラリズム

組み合わせ5:民主主義&グローバリズム

組み合わせ6:民主主義&グローバル資本主義

 

帝国主義グローバリズムは似ていますけど、グローバリズムが政府の仕事を否定しているのに対して、帝国主義は政府が民間とグルになるという点が違います。政府の仕事なしには民主主義は成り立ちません。民主主義と帝国主義は両立しますが、民主主義とグローバリズムは両立しません。とかなんとか、最後につぶやいたところで。

 

またいつか。

 

*1:リベラルは、保守の反対ではないです。本気時における定義では、保守とリベラルは、対立しない思想です。極左の連中は、個人の自由を維持するために政府の権力が必要だという事実を理解できないんじゃないかな。

現代の「国家権力」「財政主権」「通貨」「生産力」の関係について

赤字は誤りだと思っている部分。あと、あまり確かじゃない話が多く含まれている。その点ご留意の上。

 

 

はじめに

この記事で考察すること

 財政主権と為替制度、財政主権と通貨の主権、国家権力とインフラの間には、それぞれ強い結びつきがある。というのが、この記事の主張。現代社会の仕組みの一側面を説明できると思う。

この記事のキーワード

需要 供給力 通貨 租税貨幣論 国定貨幣説 貨幣 法定通貨 基軸通貨 税金  発展途上国 先進国 固定為替相場制 変動為替相場制 為替 財政主権 国家権力 予算制約 通貨発行権 金本位制 インフレ デフレ インフレ率 インフラ 

 

重要かつローカル?な単語の定義

 この記事で使われる単語のうち、重要であり、しかも、この記事や一部コミュニティでしか共有されない可能性が高い定義をとる言葉を、一覧しておく。日本語が通じる限りどこでも同じ定義になりそうな言葉は、ここでは触れない。

 

通貨

 債務の返済のために使われるすべてのハードウェアと、通貨単位を持った情報。預金や紙幣やコインだけでなく、江戸時代なら米、古代のメソポタミアなら麦、中には塩が用いられたケースもある。現代日本では、マネーストック(M3)=通貨、くらいの感じでOK。

 

(現代)貨幣

 通貨の一形態であり、債務と債権の記録によって発生するもの。難しい言い回しになってしまったが、現金・預金・小切手・手形だと思ってもらえば十分だ。(ほかにもありそうだけど、すぐには思いつかなかった)

 10円玉などの硬貨や江戸時代の米などは、債務と債権の記録という定義には当てはまらないため、この記事では貨幣と呼ばない。

 

インフラ

 この記事におけるインフラという言葉は、以下の2つの意味を満たす。

・ほとんどの人が同じモノやサービスを直接的あるいは間接的に使っている

・そのモノやサービスが生活の基盤となっている

 例えば水道を使う場合、水道そのものが直接的なサービスと定義される。水道を整備するための道具を作った仕事や、水道管の材料を作った仕事などは、間接的なサービスと定義する。サプライチェーンの消費段階は直接的なサービス、サプライチェーンの消費以外の段階は間接的なサービス、と思っていれば問題ないはず。生活の基盤になっているとは、それ抜きでは露骨に生活水準が下がるサービスのこととする。

 2021年現在だと、水道・道路・電力網などはもちろん、洗濯機や住宅もインフラであり、スマートフォンもギリギリ、当記事ではインフラに含まれる。一般的な意味のインフラよりも広い定義になると思う。

 

 

 

考察

通貨がその地域で流通する理由について

物々交換の円滑化説は間違い

 通貨が流通するのは、不便な物々交換を円滑化するため、ではない。物々交換の円滑化説を否定する理由は単純で、「一つのコミュニティの内部で物々交換をベースに成り立つ原始社会の存在証拠は、今のところ確認されていない」という、文化人類学?や考古学の研究成果があるからだ。よそのムラ・都市・国との交易においての物々交換は確認されているが、一つのムラ・都市・国の内部の取引においては、狩猟採集民のようにコミュニティ全体で共通の財産を分け合うか、贈与しあうか、物品交換するか、”債務と債権の記録=またの名をツケ”としての通貨を使う場合がほとんどだったようだ。物々交換がインフラとなった社会が存在した証拠は、通貨が普及する以前の時代では確認されていない*1

 物々交換がその地域のインフラになった原始社会は存在が確認されていないが、物品交換経済は、実在した。物品交換経済とは、それそのものが消費の対象である物品が、通貨として流通する経済である。たいていは、物品の一定の重さを通貨単位としていた(体積を基準にすることもあったらしい)。この場合、通貨に採用された物品は、自分や扶養者による消費の見込みがなくても、それを支払い手段として受け入れた。物々交換との決定的な違いはそこにある。物々交換では、余っているものを渡して不足しているものを手に入れるが、物品交換では余っているものを渡して余っているものを受け取る。

 

贈与交換と物々交換の違い

 贈与経済は、一見、物々交換のようにも見えるかもしれないが、本質は異なる。物々交換は自分が得するための取引であり、贈与交換は社会的なつながりによって生じる交換である。

 物々交換は、得することを目的する陣営間の取引である。片方が「得しない」と判断すると、自分の持ち物を他人に渡すことはない。ドライかつ、しばしば殺伐とした取引だ。

 「倉庫に大量の小麦を持て余している人がいる一方で、それと同時に餓死者が発生する」などという現象が、過激なレッセフェールの下で幾度となく発生してきたが、物々交換経済を実現しようとする場合、これと似た問題が常に付きまとう。一食分の牛肉が欲しい人と、一年分の衣服が欲しい人の取引が成立したとして、現実的にはどういった取引が行われるべきなのか?無事取引が成立した場合、残された牛の死体はどう処理するべきなのか?物々交換の相場が存在しない場合、交換レートを毎度交渉するのか?とても実用的な経済体制とは言えない。物々交換経済などという不便極まる経済体制が、そもそも実現するはずがないのだ。物々交換が不便だから「交換用商品」として通貨が導入されたのではない。物々交換経済そのものが(少なくとも確認できる範囲では)存在しないのだ。

 対して贈与交換は、気心知れた仲間とシェアし、絆を確認・維持・強化するという意味合いが強い。自分で消費しない余り物は特に積極的に、贈与に使われる。牛一頭を絞めて食す時、コミュニティに十分な人数がいれば、皆でその肉を分け合うことで、腐らすことなく消費することができる。贈与交換経済は、昔から当たり前のように存在したようだ。現代にもそのミームの末裔が生き残っていて、「お中元」や「田舎の実家に帰るとコメや野菜を受け取る」みたいな話が存在する。贈与を受けると、しばしば、お返しの義務感が生じる。義務感は時間差を伴う取引、すなわち信用取引の誕生の土台になったのかもしれない。通貨が発明され、譲渡可能な付けの技術が発達すると、贈与から生じるお返しへの義務感から解放される。通貨は、後ほど述べるように、社会的なつながりの力を使って流通するようになったが、通貨と市場経済の普及自体は社会的なつながりを切断する機能を持つ。

 

みんなが使っているからではないし、共同幻想を抱いているからでもない

 通貨が流通するのは、皆が使っているからではない。”皆が使っているから説”は、そもそも説明になっていない。なぜ皆が使うようになったのか説明してこそ、意味があるというものだ。「アダムとイブが使ってたんだ!」なんて言われたら、「そうですかー」としか答えられないが。皆が使っているから説では、江戸時代から明治時代にかけての通貨単位の切り替えすら説明できない。

 共同幻想が通貨の流通を維持していると主張する人もいる。これも説明になっていない。

 皆が使っているから使うという発想は、それで買い物ができるから使う、という生活に根差した感覚を反映しているのかもしれない。説明にはなっていないが、その発想に陥るのは当然なのかもしれない。私は嫌いではない。

 とはいえ、一度流通するようになった通貨がその後も流通し続ける理由には、皆が使っているから、もアリ。通貨の乗り換えは社会全体に破壊的な影響をもたらす可能性があり、それなりに抵抗が大きいし、習慣は簡単には変わらない。

 

歴史を通してみる、通貨の種類と、共通する本質

通貨は3つに分類できる。

1,麦、米、塩など、消費されることもある物品

2,コイン、株式など、消費の対象ではないモノおよび情報

3,預金、紙幣、小切手、債券など、債務と債権の同時発生によって生じた、譲渡性のある債権を表すモノおよび情報

である。

1の特徴は、物品自体が消費の対象になることがあるということ。ハードウェア自身の消費需要が担保されている以上、そのハードウェアが「無価値」にならないことは保証されている。このタイプの貨幣は商品貨幣と呼んで差し支えない。

2の特徴は、消費の対象ではないし、誰かがの負債として誕生するのではないということ。このタイプの貨幣も、商品貨幣と呼べる。

3の特徴は、債務と債権の同時発生を伴うということ。俗にいう信用創造の対象となる情報もここに含まれる。このタイプの貨幣は信用貨幣である。これ以降、この記事における「貨幣」という言葉は、3を意味する。

 

3種類に共通の性質も存在する。それが通貨の本質と言って差し支えないだろう。その共通の性質は、以下の2点だ。

・「決済するときに使われる単位である」こと。自身が消費の対象である1ですら、通貨として使用される際は、決済手段として使用されている。

・決済単位として使用することを強いる何かしらの存在があること。徴税を行う権力者かもしれないし、通貨として用いられるという習慣や確信的な期待そのものかもしれないし、それ自体が商品としての需要を持つからかもしれない。

 

発生した債務の弁済に、債務者のいない実物資産を使うのが1および2で、債務者のいる債権を使うのが3。

 

現代式の通貨の誕生まで

 通貨の本質は、債務の解消手段として用いられるハードウェア及び情報である。これを説明するために、少しだけ回り道させてほしい。

 狩猟採集民族として生きていたころの人類は、すべてをシェアする生き方をしていたとされる。狩りで肉を手に入れたらみんなで分け合う。住居も協力して建てる。性的なパートナーですらシェアする。ピラミッド型の権力構造が作られたのは、(イモやマメではなく)穀物の栽培に依存した生活形態をとるようになってかららしい。穀物は「徴税」によって独占できる作物であり、だからこそピラミッド構造を持つ国家の誕生を促した。逆に言えば、狩猟採集生活では、生活に必要な物資は母なる大地から拝借するものであり、たかが人間ごときに独占できるものではなかった。同様に、芋や豆を栽培する文化圏でも、食料の独占は難しかった。イモ類は特定の季節に収穫するものではないし、地中に隠すようにして保存することもできるので、徴税による独占ができない。豆類も、特定の季節に収穫するものではないので「確定申告」させることができない。特定の季節に収穫され、生産量が徴税官にも簡単に判断できる穀物の栽培に依存した地域で、食料の独占と国家誕生が可能になった。(と言いたいところだが、シュメール文明などの初期の都市国家が、権力者が平民や奴隷から生産物を徴収する統治機構をとっていたと考えるのは、早とちりかもしれないらしい。案外、ある種の平等主義がいきわたった都市国家が、社会を安定させるための非常食の備蓄として、民主的な意思決定のもとで徴税していたかもしれない。デビッド・クレーバーの書籍「万物の黎明」を読む途中で改心した。2024年2月2日追記。)

 穀物生産に依存した地域で初期の国家が発達し、ピラミッド構造が作られ、国家運営の中で徴税・司法・警察権力などに該当する制度も発達した。実は、「数字を含む文字は、宗教的な儀式や農耕に必要な天文学のためだけでなく、徴税(課税対象は必ずしも通貨ではない。農作物や労働や兵役義務を含む)を遂行するための会計技術として発達した」との説が有力視されている。国家が発達し、人口が増え、強固な権力ピラミッドが生まれ、分業化が進み、穀物その他の品目の独占と時間差配分が可能な社会になると、贈与による生活習慣は衰退した。贈与経済では、誰が誰にどの程度の貢献したかを、周囲が知っている必要がある(把握できなくなると、タダ乗りが横行する)。人口が増えると、客は顔見知りの常連だけではなくなるので、貸しや借りを人の記憶ではなく証拠として残る媒体に記録しておく必要が出てきた。贈与経済の衰退と同時に、債務と債権の記録の需要が高まった。

 徴税業務のために発達した文字や数字が民間にも降りてきた*2ことで、債務と債権の記録=契約書も残せるようになった。確かメソポタミア文明だかシュメール文明だかの粘土板だったと思うが、「農夫が飲食店での食事の支払いを、小麦の収穫期に小麦を支払う約束でツケにしていた」ことを示す資料が現存しているらしい。つけ払いに物品を用いていたとすると、原始通貨の単位は物品の量や質を表すものであって、現代社会のような通貨単位ではなかったことが想像される。

 ある程度賢い債権者なら、自身の債権を第三者に譲る代わりに何かを受け取る、という方法を思いつくだろう。ただ、債権者と債務者の2者間の関係に過ぎない債権を、第三者に振り替え、通貨として流通させるには、通貨単位がコミュニティ全体で統一され、受け入れられる必要がある。

 「通貨が最初に普及したのは、文字や身分制度や生産管理体制が真っ先に発達した大都市ではなく、比較的人数が少なく平等な社会を築いていた部落だった」という説がある。大都市を有する文明では、高度な生産管理体制が構築されていて、中央当局が食料やそのほかの生産物の一部を徴収し、集めた物資を再分配する、という経済だった。このような経済では、小麦の量の表現には小麦専用の単位を使い、魚の量は魚専用の単位を使い、反物の量は反物の単位を使うといったように、徴税において品目に固有の単位を使っていた。中央当局による生産管理が行き届いている経済では、異なる品目に共通の通貨単位を用いる必要がない。むしろ、品目毎に固有の単位を使って徴税するほうが便利だ。都市や原始国家を運営するための租税は、貨幣の誕生の条件である文字や数字の発明と普及を後押ししたが、都市や原始国家には通貨導入の動機となる生活習慣が存在しなかった。一方で、”野蛮人”の社会では、中央当局の指示を仰ぐことなく贈与が行われており、しかもコミュニティ全体が顔見知り同士なので共通の価値観が導入しやすかった。ここに、都市から文字や数字が輸入され、通貨誕生の条件がそろった。つまり、管理が緩い経済体制があり、コミュニティ全体で”通貨単位”を共有しやすく、通貨の運用に必要な文字と数字が輸入された結果、田舎で最初に通貨が流通し始めた、ということだ。

 2者間の債務と債権の記録が、コミュニティ内で共有された通貨単位を用いることで譲渡可能な債権に成長した。これが通貨の起源とみられている。

 ただ、債権が譲渡可能になるためには、単位の統一だけでなく、支払いを強制させる仕組みも必要だった。支払いを強制する仕組みが機能しなかったら、すべてをシェアする狩猟採集時代からの伝統的経済体制か、各自が生活必需品を自給自足する経済体制か、地域コミュニティ内での贈与経済体制か、ソ連のように実物の徴収と分配を公的機関が行う経済体制を、維持せざるを得ない。

 地域コミュニティが発達した場所では、支払いをしないとハブられるので、支払いを強制する力がある。村八分はめちゃ怖い。また、国家は徴税権力・司法権力・警察権力を持っていた。広い領土内で通過を流通させるのに必要な強制力が存在したということだ。通貨は、地域の社会的なつながりや国家権力のおかげで決済手段として保障され、流通するようになった。

 

国家権力が通貨を流通させるというMMTの説明は、通貨の流通の十分条件を示すものである

 MMT(Modern Monetary Theory : 現代貨幣理論)では、現代の法定通貨が流通しているのは国家の徴税などの権力のおかげだ、とされる。つまり、

中央政府が、誰か(以降Xと呼ぶ)に税を課すと、それの支払いのためにXは貨幣を求め、X自身の仕事の対価として貨幣を集めようとする。Xから財を手に入れたりXの労働力を利用したい人(以降Yと呼ぶ)は、Y自身が税を課されていなかったとしても、Xに支払うために貨幣を手に入れようとするだろう。市場経済は取引関係のネットワークだから、課税対象ではない人も、貨幣を求めることになる。

貨幣流通を開始するために必要だった課税の方法は、消費税や所得税のような貨幣単位で表現される収益と費用を基にした方法ではなく、人頭税や住民税といった、生きているだけで、そこにいるだけで支払いの義務が生じるような方法だったはずだ。そうすれば、贈与交換経済を生きていて中央政府が定めた単位による貨幣を必要としなかった人たちも、貨幣を手に入れる必要に迫られる。義務とは、権力者が権力を行使することによって生じる一種の暴力だ。果たさなければ痛い目を見る可能性が高い。

貨幣の需要を作った状態で、国家は貨幣を報酬として、自身のプロジェクトで支払いに使用する。

 

貨幣を納めさせるにはそれより多くの量を事前に民間にばらまいておく必要がある。例えば現代日本の政府は、「日銀にとっての円建ての債務」を、税の支払い手段として認めている。たいていの民間の経済主体は日銀や財務当局を相手とする口座を持っていないので、「日銀にとっての円建ての債務」を収めようとしても、直接納めることはできない。日銀に口座を持つ金融機関に間を取り持ってもらう形で、「日銀にとっての円建ての債務」を納税している。

政府が税を受け取るためには、それ以上の金額の「日銀にとっての円建ての債務」を事前に民間にばらまいておかねばならない。具体的には、財政支出に伴って増加する「日銀にとっての債務」の一部を、納税によって回収している。

日常生活で使われる銀行預金は、「日銀にとっての債務」と同じ単位であらわされ、交換レートが同じになるように保証された、「民間銀行にとっての債務」である。たいていの経済主体は日銀に口座を持たず、その上、現金だけでは色々と不便なので、「日銀にとっての債務」との交換レートが一定だと法的に保証された預金が、広く支払いに使われている。預金を直接納税しているのではない。

『税の支払い手段として需要を期待され政府当局や金融機関の間で流通している「日銀にとっての債務」』を手に入れるための手段として、「日銀にとっての債務」と交換レートが一定に保証された預金に需要が生まれる。われわれ民間人同士の決済手段には主に預金が用いられている。

という説明だ。ただ、MMTは、徴税権力が通貨を流通させる唯一無二の力、とは主張しない。あくまで、「現代の貨幣は国家の徴税をはじめとした貨幣回収能力に裏打ちされて流通している」と主張しているだけだ。現代貨幣理論いうネーミングは、十分条件としての性質を端的に表現している。

 MMTによる貨幣の説明は、過去に遡って全ての通貨を説明可能だとは主張しない(それでも、MMT的な貨幣の理解は、歴史上のかなり多くの通貨を説明可能である。権力の力を借りずに流通する通貨は、仮に存在していたとしても、相当珍しい)。考古学的な証拠ではとらえることができない貨幣や通貨が存在したという可能性もあるし。ちなみに、貨幣ではない通貨、すなわち誰の債務でもない通貨は、例えば金貨のような形で古くから存在していたし、今も硬貨などの形で現存している。日本円の硬貨は債務者が居ないので、国家権力がその流通を支えているにも関わらず厳密には貨幣ではない(通貨の一種、補助通貨)。ビットコインは、少なくとも表向きには国家権力に強制されていないことになっている。貨幣ではない。

 

多くの時代や地域で、貴金属が通貨に用いられた理由

 歴史上、世界各地で金属が通貨のハードウェアとして採用された。形を自由にできる&短時間で(情報保持という意味で)劣化しないことが、通貨のハードウェアには求められる。貴金属や銅はこれを満たしていた。だからこそ、貴金属が各地で通過として使われた、というのが一つ目の側面。貴金属が通貨のハードに選ばれた理由は他にもある。「各時代・世界各地の権力者が貴金属を求めたため、古今東西に貴金属の需要があった」という側面だ。いつの時代もどの地域でも、権力者は光る装飾品が好きらしい。権力者が集まるコミュニティでの贈与交換のほかにも、賄賂としても使えたはずだ。(法的に禁止されていたとしても)貴金属を含むコインを鋳造しなおすくらい、やる人はやる。

 「民主制都市国家の政府=ポリスが、敵対する特権階級を意図的に嘲笑する為に、権力者の間で贈与交換される貴金属を通貨にして、一般市民の間で流通させた」というエピソードも残されている。

 近世までは、貴金属が広く通貨として用いられていた場合でさえ、「貴金属の量がコインの価値を担保するのではなく、コインに刻まれた模様(=情報)がコインの価値を決める」という考え方が主流だった。いわゆる”名目主義”である。そのため、貴金属含有量が異なるコインや、端が盗削されたコインも、その地域の通貨を承認している権力者の権力が安定している限り、額面通りに取引に使われていた。通貨には、例えば石や紙のように、金属以外の媒体も広く使われていた。現代風に言えば紙幣や通帳や小切手といったところか。名目主義だから、情報の保存や伝達に都合が良ければ、媒体は何でもよかった。近世までは。ところが近代以降~金本位制が主流ではなくなるまで、貴金属が通貨の価値を担保するという考え(=”金属主義”)が主流になった。なぜだろうか?

 

金属が通貨の示す価値を担保するという”金属主義”の源泉

 近世から近代にかけて、名目主義から金属主義に覇権が移動した。以下のような歴史的経緯からだ。

 時の権力者は、新たな硬貨を鋳造する際、貴金属の含有量を時間とともに減らしていった。「貴金属の量に限りがある一方で、硬貨の流通量を増やそうとした結果」であり、また、「名目物価が上昇するにつれ、硬貨に使われる貴金属の価格が硬貨の額面よりも高くなる傾向にあり、硬貨をを鋳造しなおして金属として売る人が現れたから」だろう。とにかく、新たに発行される硬貨ほど貴金属の含有量が少なくなった。貴金属含有量が少ない新しい硬貨は、古い硬貨と比べて(少なくとも同じ体積ならば)軽くなる。

 また硬貨は(特に柔らかい金貨がそうだが)、使用されるほど端から欠けてしまったり、硬貨の端を意図的に削って金儲けする人がいたりして、硬貨は時間とともにその体積を小さくしていった。硬貨は時間とともに小さく、軽くなる。

 権力者*3は、削られたコインの存在や、コインを削って偽金づくりなどに使う人の存在を嫌い*4、対策をとるようになった。税金を集めるときに硬貨の重さを測り、より重たい硬貨を受け取るようになったのだ。端が削られていないかチェックするのではなく、硬貨の新しさをチェックするのでもなく、重さを測ったのがポイント。一枚づつチェックするのは手間だったのかな。とにかく、重さを測る方針の下では、軽すぎる硬貨を納めた者は、硬貨を削ったと勘繰られるリスクや、そもそも納税手段として許可されないリスクを負うことになる。人々は、できるだけ重たい硬貨を納めようと努力するようになった。その一方で、国王は新たな硬貨を発行する際、貴金属の含有量を減らしていった。

 市場では、貴金属含有量の違いに起因する、重たい硬貨と軽い硬貨が入り混じることとなった。納税者は、「重たい硬貨でないと納税に使えないかもしれないし、軽い硬貨を納めれば端を削ったと思われて最悪の場合重罪に処されるかもしれない」と考える。なんとしても重たい硬貨を手に入れたい。人々の間では、硬貨の重さをかなり正確に測ることができる秤が出回り、皆が重たい硬貨を欲しがるようになった。

 税金の支払いのために皆が重たい硬貨を欲しがり、貿易では貴金属を含む硬貨が使われる。そんな状況を見た人々は、「貴金属の価値が通貨の価値を担保している」という金属主義を信じるようになった。実際貴金属がもてはやされていたのだから、当然のことかもしれない。ともかく、人々は、「通貨の起源は物々交換の円滑化のために用いられた交換用商品である」という、誤った解釈を信じこむことになる。

 

通貨が流通する本当の理由

 通貨がその地域で流通する理由は何か。その答えは、究極的には、「その通貨の需要があるから」だ。なぜ「需要がある」のか?

 よく言われるのは、税や罰金をその通貨で払うため、というもの。租税貨幣論などと呼ばれる。もちろん税や罰金を払うためというのも重要な需要だ。徴税は権力によって成し遂げられるし、特定の通貨を使わせるのも権力だ。権力による需要という側面は、間違いなく存在する。

 通貨を流通させるための重要な需要は、ほかにもある。それは何か?「その地域内に、サービスの需要とそれに応える供給力があること」だ。

 以下、権力が通貨を流通させているという側面と、サービスの需要に応える供給力が通貨を流通させているという側面に、それぞれ言及する。

 

権力が通貨を流通させる

 国内で流通する通貨を定めるには、徴税権力や、国内の決済で特定の通貨を使用させる権力が必要だ。

 通貨を発行することは誰にでもできる。単位を決めて、それでおしまい。だが、その通貨を広く受け入れさせ、通貨として流通させるのは、とても難しい。試してみればその困難さがわかる。「なぜお前が管理する通貨を使わなければならない?俺にその通貨を管理する権利をよこせ!」とか、「おままごとに付き合ってる暇ないんだけど?」などの反応が返ってくることだろう。

 

権力の中でも特に徴税権力が、通貨を定めるときに効果的

 通貨を流通させるための権力の中でも最も重要なのが、徴税権力だと思われる。納税の義務を課すことは、「この国ではこの通貨を決済に使いなさい」と定めるよりも、通貨を流通させる手段として効果的だと思われる。なぜそんなことが言えるのか?私の知る限り、経験的にそうだったからだ。事例は面倒なので紹介しない。ごめんなさい。

 納税の義務を課す方が、決済に利用されているかどうか監視するよりも簡単だから、という雑な説明でよければ用意できるが、実際のところ理由はよくわからない。

 

通貨の流通は、法律と司法の整備と、それを実行する行政の権力によって可能となる

 通貨を流通させるために必要な権力は、徴税権力だけではない。現代国家風に言えば「警察」と「司法」も必要不可欠なのだ。金銭を伴う取引の約束が簡単に破られるようでは、取引の対価に金銭を受け取れないし、受け取る理由も弱い。支払いを強制する決まり(=法律)と強制力(=行政の権力、警察や司法関係など)が、通貨を流通させる原動力になる。

 ちなみに、ここで言う「警察」や「司法」は、国家が運営するものとは限らない。マフィアやギャングのような仕組みの中にも、「警察」や「司法」は存在するし、その成果として、下でも言及するように、地下経済で外貨が流通することを手助けする。

 

サービスの需要とそれに応える供給力が、通貨を流通させる

 サービスの需要に応える供給力が通貨を流通させている。通貨は、決済手段として流通している。通貨の交換自体が目的で流通するのではなく、商品やサービスの取引で生じる債務の決済手段として流通するのだ。なぜ決済手段になりうるかと言えば、そのコミュニティーのみんながその通貨を手に入れる動機があるからだ。その動機の一つが租税かもしれないが、租税以外の動機もありうる。

 

 租税と関係なく通過が流通する例は、実際にある。例えば発展途上国では、米ドルが、(中には禁止されている地域でさえ)貿易と関係なく流通することがある。「米ドルはアメリカ産の商品を買うときに使える。国内の供給が途絶えそうになったら、すぐにアメリカから買おう」と皆が考えれば、皆が米ドルを求める動機になり、やがて通貨として流通する。また、世界に関たる先進国として威張っているアメリカ様も、昔は地下経済でポンドなどの外貨が普通に流通していたらしい。アメリカ国内で生産されていないモノを買うときに、銀行で両替していたら、やましい取引が当局に見つかるからだろうか?

 国内で外貨が流通するなんて、直観的には受け入れがたいかもしれないが、条件次第では現実的な話。そして重要なのは、租税の対象にならない外貨であっても、コミュニティーの皆がそれを欲しがる理由があれば、その外貨は通貨として流通する。そして、商品やサービスの決済手段という需要が、その外貨を流通させている。

 

ビットコインも、サービスの需要とそれに応える供給力を理由に流通した

 ビットコインの流通も、サービスの需要に応える供給力があってこそ、実現した(ビットコインを通貨と呼ぶかどうかは、世間的に見て微妙なラインだ。私はビットコインを通貨とは思っていない)ビットコインは、徴税権力とは無縁だ。それでも一部界隈で流通しているのはなぜなのか。国際決済を安い手数料で素早く行いたいという需要や、為替を利用した投機の需要などに応える形で、両替サービスを供給する取引所が発達したので、ビットコインは国際決済において流通した。取引所が無かったら、(少なくとも両替目的では、)まともに流通しなかっただろう。また、違法行為の需要に応えた商品を販売する人がいるからこそ、ビットコインが違法行為の決済に使われるようにもなった。いずれも、サービスに応える供給能力が、ビットコインを流通させたといえる。

 

石油という需要が、米ドルを基軸通貨たらしめる

 アメリカの軍事力によって強制されている側面は確実にあるが、基軸通貨たるドルが貿易で流通するのも、世界各国の石油への需要とそれに応える産油国の能力に裏付けられた結果だ。ここでも、需要とそれに応える供給力が通貨を流通させた、という構図は変わらない。

 サウジアラビアの通貨やユーロなどで石油取引の決済をしてもいいのでは?なぜ米ドル?と思うかもしれない。私はそう思う。が、実際にドル以外で石油を取引をすると、なぜかその国の悪事が発覚したり戦争になったりするという、悪いジンクスがあるのだ。怖いなー。そんなわけで、各国そのようなジンクスを気にして、米ドルで石油を売り買いしているのだろう。知らんけど。

 

 

為替相場制度と通貨主権と、政府の財政主権の範囲についての考察 

為替相場の固定と高いインフレ率の両立は、慢性的な貿易赤字を誘発する

 固定為替相場制を採用する国は普通インフレ率が高い。仮に、固定為替相場制を採用する任意の国をX国と名付け、X国が自国通貨と米ドルとの為替レートを固定する場合を考える。アメリカのインフレ率とX国のインフレ率を比べて、X国のインフレ率が一貫して高かったとする。一定の購買力を持つ金額のドル――例えば飲料水1Lを買うときと同じ購買力――をX国通貨に両替したとき、X国内で購入できるサービスは、時間の経過と共に少なくなる。X国通貨の購買力が上がりすぎるのだ。アメリカドルから見れば、実質、過剰なX国通貨高だ。緊縮財政でインフレ率を引き下げたり、為替レートの変更をしない限り、X国の貿易収支は慢性的な赤字になる。

 

固定為替相場制の採用⇔財政主権の制限

 固定為替相場制には、その国の政府の財政運営の選択肢を制限するという側面がある。どういうことか?

 為替市場で自国通貨が大量に売り出された場合、中央銀行は為替を維持すべく、大量の自国通貨買いを行うことになる。やがて中央銀行の所有する外貨が底を尽きてしまった場合、固定為替相場は維持できない。したがって、貿易赤字などに伴って為替市場で自国通貨が大量に売られたとき、政府は中央銀行の所有する外貨準備を維持するべく、次の3つの選択を迫られる。

①交換レートの変更。自国通貨の切り下げ

②外貨を借入

③国内の需要を収縮

①を行った場合、中央銀行の外貨準備が実質で増加したような状態になる。ただし、これをやってしまうと、更なる交換レートの変更があるのではないか?と不安になった民間部門が、さらに自国通貨を売って外貨を買うオペレーションを加速する可能性がある。輸入物価が上がるので、国内経済が冷え込む可能性があるし、場合によっては、輸出物価が下がることで輸出先の国との貿易戦争に発展しないとも限らない。

②については、そもそも貸してくれる相手がいるかどうかという問題がある上、返済と利息払いの義務が生じる。外国に借金しておいて返済できませませんとなると、どんな要求をされるか分かったものではない。

③を行う方法は複数あるが、その手法は総じて”緊縮財政”と呼ばれる。国内経済の需要を減らすため、政府が国内の企業に発注する仕事を減らしたり、公務員の給料を減らしたり、増税したりして、国民を貧乏にさせることで、無理やり需要を減らすのだ。国内の需要が減れば、輸出はそのままに輸入が減らせるので貿易黒字になり、為替市場で外貨売り圧力が高まり、中央銀行は外貨準備を減らさなくて済むというオチ。

  また、”固定為替相場制と高いインフレ率は、慢性的な貿易赤字を誘発する”ので、現状の為替を維持するために、緊縮財政を行い国内のインフレ率を低下させる必要に迫られるかもしれない。これも、固定為替相場制を採用するリスクである。

 

 ①~③すべての方法で、その国は不利益を被る可能性が高い。金本位制を採用していた国は、「単純に金で価値を保証しないと誰も受け取らないだろう」という共同幻想ゆえに固定為替相場制を採用したかもしれないが、現在、金本位制とは関係なく特定の通貨との交換レートを守る発展途上国が数多く存在する。なぜ多くの発展途上国は、リスクを負ってでも固定為替相場制を採用するのだろうか?

 

発展途上国が固定為替相場制を採用する理由

 発展途上国とは、国内の生産力が低い国である。需要に対して国内の産業の供給能力が低すぎるあまり、自国通貨を持っていても国産のサービスには限りがある。需要が供給力を上回るため、インフレにもなる。そんな状況下では、税金や罰金を払う分より多くの自国通貨を持つ理由が弱く、みな外貨に両替したがる。外貨でモノやサービスを買うためだ。場合によっては、金融資産の目減りを小さくする目的もあるかもしれない。外貨に両替して外国のサービスを買うことを国民総出で続けると、為替市場で自国通貨の売り圧力が常に強くかかり、自国通貨安に歯止めがかからない。輸入物価が跳ね上がる。国内の供給能力が小さいところで輸入物価が跳ね上がれば、国民まとめて貧困化へまっしぐら。

 そこで、途上国は固定為替相場制を採用する。途上国の中央銀行が、為替市場で自国通貨と外貨を売り買いすることで、一定の為替レートを保つようにするのだ。

 途上国の民間企業や家計は「いつでも同じレートでドルに交換できるなら」ってことで、国内での自国通貨の流通が期待できる。

 加えて、高インフレのX国が為替レートを固定していると、時間とともにX国通貨高に向かうため、外資からX国内への投資も期待される(ここでいう投資とは、金融資産の両替ではない。財やサービスの生産に使われる「資本」をつくるために資金を消費する活動だ)。国内の生産活動を外資に依存すると、国内法で裁きにくかったり、突然撤退されても文句が言えなかったり、必要な規制を適応しにくかったり、様々なリスクを背負うことになる。それでも無いよりマシだということで、外資の投資に頼るということもあるだろう。固定為替相場制を維持しておけば、時間とともに実質X国通貨高に向かうので、外資の投資が実ってその企業に利潤(株式会社だと株主の取り分)が出た時、外貨建てで大きな利益になる。変動為替相場制だと、外貨建てで利益が出る確率が下がる。

外資が外貨をX国通貨に両替

外資がX国通貨を使って投資

外資が資本を使って生産活動し、X国通貨で利潤を得る

外資がX国通貨建て利益を外貨に両替

 

①、④の両替が同じ為替レートの時(=X国通貨の購買力が上がりすぎた、実質X国通貨高状態のとき)、外資は投資費用を上回る収益を上げやすい。 

 

なぜ主権通貨を好むのか、好むべきなのか

 政府の財政主権に注目して議論するときには、自国で流通する通貨の発行権を自国で有していて、変動為替相場制をとる国の通貨のことを、”主権通貨”と呼ぶらしい。ワードセンスがエクセレント!

 固定為替相場制が負うリスクは既に言及した。ここでは、共通通貨や外貨を使用する場合と自国通貨を使用する場合を比べることとする。

 なぜ多くの国が”主権通貨”を求めるのか。ワンフレーズで述べれば、「政府が採用できる政策手段の選択肢を増やすため」だ。

 外貨や共通通貨の利用者は、財政政策において、主権通貨を持つ国には存在しない制限が加わる。どういうことか?

 そもそも、経済成長する国には法則がある。経済成長する国は、インフレ率が上がり過ぎない限りにおいて、当局が通貨を大量に発行(日本だと、国会の決定をもとに財務省が支持し日銀が発行する)し、インフラや技術などに投資しまくっているのだ。社会福祉にも金を使う。投資は生産諸力の基盤となり、その成果として、国家単位で生産力を成長させる。共通通貨や外貨を使用する国では、GDP成長に必要な政府の支出が、公的な役割を負わない国債の債権者の気分にゆだねられるのだ。

 共通通貨や外貨を使用する国の政府は、新規国債を買う人がいる範囲内でのみ財政赤字が可能だ。新規国債を買う人がいないときは、(表面)金利を上げて買い手を募るだろうが、金利の引き上げで買い手を探すのにも限界はある。(表面)金利がどんなに高くても、返済や利払いの期待がゼロと思われてしまうと、だれも国債を買わない。国債を買う人がいない状況下で政府が支出を増やすためには、税収を上げる必要がある。税収を増やすと、その分民間の経済活動が鈍る。民需を抑制させずに政府支出を増やすには、経常収支(またの名を対外収支)を黒字にするしかない。それも、国家予算規模でだ。

 ある国の経常収支が黒字であれば、その分、経常収支を赤字にする国が必要だ。特定の国の政府が収入よりも支出を増やしてGDP成長を図ったとき、同じ通貨を流通させる国のいずれかが、「税収を増やすか、支出を減らすか、デフォルト宣言と同時に債権者からの要求に応えるか」の3択を迫られることとなる。税収を増やせば民間企業や家計の可処分所得は減るので、高確率で消費の増加を妨げることになる。未来のインフラを作るための財政支出を減らせば、GDP成長の機会損失が起こる。デフォルトを宣言した場合、債権者に何を要求されるか分からない。もしも自国で発行する通貨を流通させていれば、支出を減らす必要もなく、税収を増やす必要もなく、デフォルト宣言する必要も無いというのに。

 主権通貨を使用する国と比べ、共通通貨や外貨を流通させる国の国民は、財政主権を制限されるのだ。まあ、共通通貨の導入のそもそもの目的の一つが、国民から財政主権を奪うことなのだろう。

 

国債の「担保」とは、国内の生産力と権力への期待である

 「担保」という言葉を使っているのは、他に適切な言葉を思いつかなかったから。情けない。

 「担保」とは何か。それは、将来にわたって需要を保証する何かのことだ。需要があるなら換金できる。国債の担保とは、「将来にわたって国債を欲しがる経済主体が存在する見込」のことである。

 なぜ国債を欲しがるのか?それは、利回りをによる利益を得たいから。ではどんな時に誰も国債を欲しがらなくなるのか?通貨が流通しなくなりそうな時や、利払いや元本の返済が期待できなくなった時である。例えば、日本円建ての国債であれば、「日本円が近々流通しなくなるかもしれない」「税金の支払いに日本円が使えなくなるかもしれない」などと皆が思うようになると、誰も日本円建て国債を欲しがらなくなるし、「政府も日銀も満期を迎えた国債を償還・借換えしない」と思われた場合も国債を欲しがる人はいなくなる。

 簿記がわかる方は、こちらの記事で、「日本のような主権通貨を持つ先進国では、よほどのことが無い限り、満期を迎えた国債は借換えされる」ことを理解していただけると思う。

 通貨が流通するのは、上記の通り、「徴税・警察・司法などの権力」と「サービスの需要とそれに応える供給力」のおかげだ。先進国とは、その両方が強固な国と言っていい。一方で発展途上国は、マフィアの金には手を付けられないといった風に権力が弱かったり、国民が使う生活必需品の多くを自国で生産できなかったりする。

 

 

為替相場制度と政府の財政主権の範囲について、箇条書きでまとめ

・変動為替相場制の場合

 政策余地が最も大きい。政府は国内の供給能力が許す限り何でもできる。自国通貨建て国債がデフォルトするリスクは、政策当局が発狂しない限り無い。外貨建て国債を発行する理由もない。供給力不足でモノやサービスが不足すると、多くの場合インフレ率が上昇し、輸入が増えるので通貨安圧力の一つになる。

 

・固定為替相場制の場合

 政治的な理由を無視すれば、政府は自国通貨建ての支払い能力に制限がなく、国内の供給能力が許す限り何でもできる。しかし、為替レートの維持のために輸入を減らしたい場合、需要を縮小させるための政策を選択せざるを得ないことが多い。為替レートの維持が目的で外貨建て国債を発行した場合や、中央銀行の外貨準備が底をついて固定レートで通貨交換する約束が果たせなくなった場合は、債権者の気分次第で強制的にデフォルトする可能性がある。国家権力が及ばない外国人の債権者が相手の場合、デフォルトを理由に土地なり権利なり何かしらを奪われる場合もある。

 ちなみに、自国通貨建て国債にもかかわらずデフォルトした、とやり玉に挙げられるのがロシアのルーブル建て国債だ。ルーブル建て国債のデフォルトの場合、その原因は、ロシア政府にルーブルを支払う能力がなかったのではなく、「ロシアの生産力の乏しさに見合わない国内の消費活動」によるものである。詳しくは脚注*5にて。

 

・共通通貨を利用している場合

 政府は税収と新規国債の買い手がいる範囲内で支出できる。政府の財政収支赤字が続いた場合、債権者の気分次第でデフォルトする。最も緊縮財政を要求されやすい。

 

 

インフラこそが、国家権力を支え、主権通貨の流通を可能にする

 国家が権力を行使するには、インフラの整備が必要となる。同じ教育を施し、おなじメディアや言語を共有し、同じ道路や水道や電気を共有する、そういったインフラなしでは、役所も軍隊も機能しない。国家権力はインフラによって維持されている側面が強い。便利だから利用しているという感覚でいても、依存していることに変わりはない。支配の基本は依存させることだ。便利を提供することこそ、権力の源である。

 インフラの整備は自国通貨を流通させるためにも必要だ。通貨の流通が国家権力に支えられていることに加え、需要とそれに応える供給力が通貨を流通させるので、インフラが整えば整うほど、自国通貨が国内で流通する理由になる。需要とそれに応える供給力が通貨を流通させる。

 インフラが国家権力を支え、財政政策を通じて国家権力がインフラを支える、というループ構図がある。ループがより強固になっていくにつれ、財政政策の選択肢が増える。ループがより強固になるにつれ、インフラ以外の産業の供給能力も発展する。

 インフラを整備し、国家権力を強化し、供給能力を強化する過程で通貨制度の選択肢は、以下のように変遷する。

①よその先進国の通貨やユーロのような共通通貨を使うことを余儀なくされている段階

②固定為替相場制の下、国内では自国通貨とよその通貨が同時に流通する段階。税金や罰金や自国で生産できるものは自国通貨で、輸入品などの買い物は国内でも外貨で行われる。普通、固定為替相場制。固定為替相場を維持するために、外貨建て国債を発行したり緊縮財政を実行したりすることもある。

③固定為替相場制の下、国内ではほとんど自国通貨を流通させる段階。固定為替相場を維持するために、外貨建て国債を発行したり緊縮財政を実行したり。

④変動為替相場制の下、国内では自国通貨を流通させる段階。普通、国債を発行するときは自国通貨建て。 

 

 

主な参考書籍

 

 

注釈

*1:ロシア?ソ連?が計画経済を実行していた時代、一度普及した通貨の利用が、政策当局に制限されていたこともあり、物々交換が広がった時代があった、らしい。

*2:識字率が上がったことと同義ではない。文字が読めない人でも、文字による記録を委託できれば、ここでは「文字や数字が民間に降りてきた」ものとして扱う。

*3:ジョン・ロックが代表例

*4:偽札づくりは、殺人以上に重い罪に問われることが多い。通貨発行権は独占されていなければ、国家転覆につながる。「自由に通貨を発行でき、債務の返済が必要ない」という立場は、通貨を発行するだけで人を雇い、財を生産させることができる、とても強力な権力を伴う。

*5:

ロシアの銀行は、ルーブル建て国債を外国人が買いやすいように、「一定のレートで米ドルとルーブルを交換する」という約束を結びつつ、ルーブル建て国債を売っていたらしい。外国人は、変動為替に移行してルーブル安になって損するリスクを軽減できる。ルーブル建て国債は、その少なくない割合を外国人が持っていたようだ。それから、ロシア政府は大量の外貨建て債務を負っていた。ドルを借りないと為替レートを維持できなかったという側面もあるとかないとか。

そんな中、ロシアの中央銀行は米ドル準備の減少に直面し、為替レートの引き下げを余儀なくされ、変動為替相場制に移行した。

ルーブル建て国債の償還期限が来て、ルーブル建て国債を大量に所有していた外国人にルーブルを支払うと、その大量のルーブルが為替市場で売られて米ドルが買われ、さらにルーブル安になることが予想された。ルーブル安を放っておいたら輸入物価があまりにも上昇してしまう。

さらには、当時のロシア政府は外貨建ての債務を大量に背負っていた。ルーブル安になると外貨建て債務の返済が難しくなる。米ドルを買うときに、より多くのルーブルを売ることを迫られるからだ。外貨建て債務の返済のために大量のルーブルを為替市場で売ったりしたら、ますますルーブル安になる。ますます輸入物価が引きあがる。自国の生産力があまり大きくなかったロシアにとって、輸入物価の上昇は国内の物価の上昇を意味する。

急激で大幅なルーブル安よりはデフォルトの方がマシだ、という政治判断からであろう、ルーブル建て国債は、自国通貨建て国債であるにもかかわらずデフォルト宣言された。

国内で消費するサービスを輸入に依存し過ぎていたために、急激なルーブル安を嫌ったのだろう。急激なルーブル安の可能性を予測したのは、政府が外貨建て債務を大量に保有していて、その返済に伴うルーブル安の進行の可能性があったことも原因の一つだ。

 

そもそも国内の生産力が輸入に頼らないほど十分であれば、固定為替相場制を採用する理由が無いし、為替レートの維持のために外貨建てで債務を負う必要は無い。ロシア国内の生産力の欠如が、ルーブル建て国債債務不履行の根本的な原因だ。

ルーブル建て国債を外国人が大量に持っていたのは、利回りの良い金利商品を求める外国人が結構沢山いて、かつ、外国人が保有するルーブル建て国債の量をロシア政府が厳しく制限しなかったから、と思われる。また、別の見方をすると、ルーブル建て国債を新規発行することによって、一時的には為替レートをルーブル高に持っていけるので、為替レート維持のためにその場しのぎでルーブル建て国債を発行しまくっていた、という可能性もあるかもしれない。知らんけど。

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「ロシア政府がルーブル建て国債を発行して為替操作する」の図

アジア通貨危機とは何だったのか。その仕組みと原因を詳しく説明(編集中)

 

 

 

編集中。インドネシアと韓国にも言及せい。ナンバリングも 

 

 

0,記事の自己紹介

 アジア通貨危機の概要や原因を説明してくださる情報は、ネット上にも割とあるけれど、どれを見ても

「もっと細かく説明してよ~」

ヘッジファンドがタイバーツを大量に空売り?なぜヘッジファンドが大量に持ってたの?」

「通貨の価値ってなに?通貨の信用って具体的に何のこと?暴落したからみんな使わなくなりました、なんて聞いたことないぞ?」

通貨危機が波及したとは?どういう意味?どんな因果関係?」

「バブルの原因説明してくれ」

「貸出金利?誰から誰への貸出?」

「タイ国内の市場で貸出金利が高くて、海外の市場から借りてた?なぜタイ国内市場の貸出金利は高かったの?」

「恒常的な経常収支赤字になった理由を説明してほしい」

「わかった気がしてたけど、やっぱりわからん」

などといった感想を抱いてしまった。

 「通貨危機」もギリギリMMTの守備範囲な気がするので、自称MMT論者の私としては、なんとか説明できるようになりたくて、勉強を進めた。その成果をここに記録する。未だに、完全に理解したとは思っていないし、(勉強熱心な人のあるあるネタかもしれないけど、 )半年後に読み返すと恥ずかしくなってしまう予感がする。「ここが違うよ!」とか、「ここがわからん!」とかコメントいただければ、気が向いたときだけ時間ができ次第、読んで返信します。ぜひよろしくお願いします。

 

 

1,アジア通貨危機の自分なりの要約

 アジア通貨危機は、簡潔に分かりやすく説明しようとすると、かえって分かりにくくなる類の問題だと思う。だが、あえてシンプルに説明をすると、多分こんな感じ。

ヘッジファンドなどが為替市場でアジア通貨を売りまくり&米ドル買いまくった。それに対抗し固定為替相場を維持すべく、アジア各国中央銀行は米ドルを売ってアジア通貨を買い続けた。その結果、中央銀行の米ドル準備が枯渇し、固定為替を維持できなくなった。アジア各国は(少なくとも一時的に)変動為替相場制に移行し、通貨安が一気に進んだ。多くのアジア企業は、金利の安さを理由に、投資資金を海外からの融資に依存していたため、アジア通貨安が進んだ影響で債務の返済ができなくなり、多くのアジア企業が債務不履行に陥った。

東南アジアを中心とした数か国で似たような事態に発展した。影響だ伝搬したというよりは、おおむね同じメカニズムで同じ事態に発展し、しかも個別に発生した、という側面が強いようだ。

 自分で書いてても、説明が雑だと思う。しかも、「アジア通貨危機は、グローバリズムの弊害が表出した出来事の一つだった。」と私自身は信じているが、その説明が全くできていない。

 不甲斐ない。仕方がない。ここから詳しく説明していこうではないか。

 

 

2,アジア通貨危機を説明する前に、前程を整理

 ここで、この記事における言葉の使い方とか、前程の知識とか、一応書いておく。自分の言葉の定義が、人によってはクセが強いと感じるであろう。ということが一つ目の理由。もう一つの理由は、通貨危機の説明に避けては通れない為替関連の知識の復習。

 

 

2-1,輸出が増えれば国が豊かになるイメージ、実際どうなん?

 輸出を増やせば外貨を多く手に入れることになる。より多くの外貨を手に入れれば、より多くを輸入できる。国内で生産して消費する自給自足分が変化しなかったと仮定すると、輸入を増やす以前と以後を比べたとき、輸入を増やした以後の国民の生活水準は向上する。より多くの商品・サービスを消費したことになるのだからだ。「輸出産業のおかげで経済成長した」と思っている人の頭の中は大体こんな感じ。

 ここで重要なのは、「輸出が増えたからその国の住民の生活が豊かになった」のではなく、「より多くの商品・サービスを消費したから、その国の住民の生活が豊かになった」ということだ。輸出を増やしたことが生活水準向上の直接の原因ではない。輸出を増やさずとも、国内で商品やサービスのやり取りを増やすことができれば、国民の生活は向上する。GDPは成長する。

 実際、日本の高度経済成長期は、内需依存型だった(輸出金額対GDP比の各国比較より)。日本は輸出産業を成長させたことで経済成長したというよりも、国内の需要を伸ばしたことで経済成長したという方が実態に近い。輸入した資源の価格が高すぎて産業が育たない、などとならない程度に輸出して円高ならば、日本の場合、輸出産業のおかげで経済成長とはならない。

 そもそも、多くを輸出できるということは、多くを生産できるということでもある。「輸出したから豊かになった」ではなく「豊かだから輸出できた」という方が、多くの国では事実に近い。だから、「輸出を増やしたから豊かになった」は正確には間違いだ。正確には間違いだが、正しい場合もある。例えば以下の4つは、輸出を増やして豊かになったパターンだ。

①資源小国かつ自国通貨安すぎて、資源の輸入物価が高すぎる場合。自国通貨安を緩和するために、輸出を増やして為替市場における自国通貨の需要を増やし、自国通貨高を目指すべきかな?

②人口が少なすぎるせいで、規模の経済を利かせるサービス全般を輸入した方が良い場合。シンガポールなど、これに当てはまると思う(主観)。

サウジアラビアみたく自国でサービスを生産せずとも輸入すれば何とかなるくらい、過激な対外依存の資源大国。

④自国の産業やインフラが未熟すぎて、特定の産業しか発達していない場合。モノカルチャー経済。輸入品で生活し、その間に自国の生産力を上げていけられれば、ゆくゆくは輸出に依存せずに成長できるようになるだろう。

 

 

2-2,為替市場について

 使用している通貨が異なる国同士で貿易するとき、両替の必要が出てくる。両替の必要とはなにか?日本企業からアメリカ企業への輸出を例にとると、このようになる。

 日本企業は、アメリカで設備投資するなどの理由がない限り、基本的に収益を日本円で受け取ろうとする。従業員の給料を日本円で払い、税金を日本円で払うからだ。

 一方、アメリカ企業は普通、輸入の支払いを完遂できるほどの日本円を持っていない。

そのため、アメリカ企業が銀行で米ドルを日本円に両替する、あるいは、日本企業が銀行で米ドルを日本円に両替する必要がある。アメリカの銀行は勝手に日本円を発行することができないし、日本の銀行も勝手に米ドルを発行できない。両替に応じて銀行が保有する海外通貨の残高は増減する。十分な海外通貨の残高を維持するために、銀行は為替市場で海外通貨を買うことがあるし、他の理由で売ることもある。

為替市場における2つの通貨の間の交換割合のことを為替レートと呼ぶ。

為替市場では、異なる通貨同士の両替が行われている。日本円と米ドルの交換が行われる場合、日本円を売って米ドルを買う側は、できるだけ少ない日本円で多くの米ドルと交換したがり、米ドルを売って日本円を買う側は、できるだけ少ない米ドルで多くの日本円と交換したがる。そのため、現状の為替レートで日本円を買う人よりも売る人の方が多ければ、日本円は安くなり(1ドル100円から110円に)、現状の為替レートで日本円を売る人よりも買う人の方が多ければ、日本円は高くなる(1ドル100円から90円に)。

 

 

2-3,固定為替相場制・変動為替相場

 変動為替相場制とは、為替レートを成すがままにすること。固定為替相場制では、中央銀行が特定の為替レートを維持するために働く。自国通貨が安くなりそうなときは持っている外貨で自国通貨を買い、自国通貨が高くなりそうなときは自国通貨で外貨を買う。

 

2-4,通貨安・通貨高と、輸出入のバランスについて

 基本的には、輸入する商品・サービスの量が増えると自国通貨安、輸出する商品・サービスの量が増えると自国通貨高になる傾向がある。輸入のときには為替市場で自国通貨を売って相手国の通貨を買い、輸出のときは為替市場で自国の通貨が買われるためだ。

 通貨危機というのは、対外通貨の為替レートが暴落すること。為替レートの暴落って、聞きなれない間は意味が分からない。例えば日本円を例に出すと、日本円が暴落する=急激に円安になる という意味。「それなら暴落なんて言わずに、最初から通貨安になるって言えよ!」って?私もそう思う。

 

2-5,窓口指導・資産バブルへの影響

 今も現役で行われている国があるかどうかは知らないが、少なくともアジア通貨危機の当時、危機に陥った国の中央銀行は、同国の市中銀行に対して、今期はこの分野にこれだけ貸し出して構わない、というような指示を与えていた。窓口指導には、法的な拘束力はないが、慣習的に、みな従っていたとされる。(ちなみに日本でも、窓口指導は行われていた。公式にはバブル崩壊のころまでだったかな?)

 景気の良い国の銀行はたいてい、利息の儲けを大きくするために、ほぼ上限まで貸出したがる。そのため、窓口指導で示された上限まで貸し出すことが、習慣になっていたらしい。

 貸し出されたお金はどこかで使われる。通貨の流通量の増加率が経済成長率を大きく上回る場合、高いインフレ率を示す。(そのため、市中銀行の貸出は、GDPの成長に歩調を合わせつつ規模を拡大するのが望ましい。)

 窓口指導で不動産の分野でもっと貸出を増やしてよいとなると、長らく景気の良い国では上限近くまで貸し出す。日本のバブルの時期や通貨危機に陥る前の時期には、窓口指導でGDP成長率よりも貸し出しの増加率を大きく設定したため、貸し出された金は投資ではなく資産の購入、特に不動産購入へと向かった。こうして、不動産バブルを助長することになる。

 

2-6,インフレ率と固定為替相場

 発展途上国が米ドルで固定為替した場合、名目の為替レートは時間によらず一定だ。ここで、発展途上国のインフレ率が高く、ドルはインフレしなかったと仮定する。すると、貿易で手に入る商品やサービスの量を基準に考えたとき、時間の経過とともに、あたかも途上国通貨高になったかのようになる。発展途上国が高インフレのとき、1ドル分の買い物でも、発展途上国内で買えるものが少なくなっていく。発展途上国から見れば、あたかもドル安になったかのような効果が発揮される。ドル安は、別の言い方をすれば、発展途上国通貨高。(ちなみに、第3国から見れば、ドル安になっているようには見えないはず。発展途上国通貨高は、第3国から見ても発生している。)

 高いインフレ率を継続する発展途上国が、為替相場を維持し続けると、実質、通貨高になったかのような効果をもたらす。すると、輸出が伸びず、輸入物価が下がり、貿易赤字が常態化するようになる。それでも固定為替相場を維持しようとすると、中央銀行の外貨準備はいずれ底をつき、変動為替相場制に移行せざるを得なくなる。移行した途端、一気に途上国通貨安になる。このとき、外貨建て債務を大量に抱えていたとすると、途上国の経済主体にとっては、実質の債務が突然跳ね上がることになる。

 

2-7,公定歩合と貸出金利

 昔の日本では、公定歩合を基準にして、様々な種類の銀行預金の金利を制限していた。そのため、公定歩合を引き上げると市中銀行の貸出金利も高く、公定歩合を引き下げれば市中銀行の貸出金利も低くすることができた。貸出金利が高くなると、企業は借り入れが難しくなるので、景気を冷ます効果がある。貸出金利が低くなると、企業は借入のリスクが低くなるので、(インフレ率が低すぎない限りは)景気を加熱する効果がある。公定歩合はかつての日本で、景気のコントロール手段として用いられていた。

 

 

3,タイの通貨危機

 タイの通貨危機ではいったい何が起こっていたのか、詳しく説明する。時系列Tに従って、3-T-Xという風にナンバリングした。

3-1,危機の原因

3-1ー1,高度経済成長期・短期資本移動の規制緩和

 通貨危機以前のタイは、高い経済成長率を維持していた。タイの中央銀行は固定為替相場の維持を宣言していた。タイでは、法律の規制が緩和され、バンコック国際金融市場(BIBF)が創設された。これにより、タイの企業や銀行は海外から自由に借り入れできるようになった。ちなみに、BIBFの創設は1990年にタイの中央銀行が発案したらしい。

 当時、タイの通貨=バーツの貸出金利は、タイ国外の市場における米ドルの貸出金利よりも高く設定れていた。おそらく、当時のタイでは昔の日本のように、公定歩合を使って民間銀行の貸出金利を調節していたと思われる。仮にそうではなかったとしても、当時のタイの民間銀行の貸出金利アメリカのそれよりも高かったのは確かだ。

 タイの中央銀行が為替維持を宣言していたこともあり、「米ドルで融資を受ける方が支払う利息が少なくて得だ」という発想から、タイの企業は米ドルで融資を受けることが多かった。短期期限の米ドル建て融資が広く行われていた。

 

3-1-2,窓口指導と資産バブル

 タイの中央銀行が民間銀行に貸し出しの増加量を指示する、いわゆる窓口指導で、貸出の増加率は期待される実体経済の成長率より過剰に高く設定された。その結果、金融資産や不動産の分野での貸出しが過剰になり、不動産バブルが発生した。不動産バブルで利益を上げた人が消費を増やしたこともあってか、好景気が続いた。

 

3-1-3,貿易赤字と米ドル準備高の減少

 タイでは不動産バブルと同時に、それまでの米国より高いインフレ率の影響もあって貿易赤字が続いていた(高いインフレ率と固定為替相場を維持していれば、貿易赤字に向かいやすいのは前述した通り)。タイの中央銀行は、固定為替相場を維持するために、貿易赤字の分、為替市場で米ドルを売ってタイバーツを買った。タイの貿易赤字が続いたため、中央銀行の米ドル保有残高が減少し続けた。

 

3-1-4,タイミング悪く、アメリカが「強いドル政策」をとる

 強いドル政策とは、ドル高を目指す政策らしい。具体的な手法は知らん。基軸通貨たるドルが強くなったところで、特にメリットは無い気がするのだが、どうなのだろうか。私の勉強不足かな。

 とにかく、アメリカが強いドル政策をとった。米ドルと固定為替をとるタイバーツも、”強く”なってしまった。これでますます貿易赤字が膨らみ、タイ中央銀行の外貨準備も減る。

 

3-1-5,タイの中央銀行の方針

タイの中央銀行は、対ドル為替レートの維持を公式に宣言していた。一方で、国内の貸出金利アメリカよりも高く設定した。*1

 

3-2,通貨危機発生

3-2-1,ヘッジファンドのバーツ売り、中央銀行の米ドル枯渇、変動為替相場制への移行

 このままではタイの中央銀行の米ドル残高が底をつき、固定為替相場制を維持できなくなると読んだのか、それとも勝算があったのか、欧米のヘッジファンド空売りを仕掛けた。

 欧米ヘッジファンドは最初に、タイバーツ先物の売りの権利を爆買い。「いついつからいついつまでに、バーツをこれこれの割合でドルに交換できる」みたいな権利を爆買いしたのだ。

 次に、欧米ヘッジファンドは、手持ちの現物タイバーツを為替市場で爆売り。

 タイの中央銀行はドル準備残高を消費しつつ、為替市場に大量に売り出されたタイバーツを買い集める。やがて、タイ中央銀行は固定為替相場を維持することができなくなったと判断し、変動為替相場制へ移行した。

 変動為替相場制に移行し、対ドルで急落したバーツを、ヘッジファンドは大量にお買い上げ。あえて雑に言うと、高い時にタイバーツを売って、安い時にタイバーツを買ったということ。固定相場制時代の爆売りと、変動為替相場への移行後の爆買いによって、タイバーツ建てで差額分の利益を上げた。最後に、先物売りの権利を使い、固定相場制の時代のレートで手元のバーツを米ドルに両替。一連の騒動で、ドル建てで利益を上げた。アホほど儲けたに違いない。

 

3-3,通貨危機の症状とIMFの要求による深刻化

3-3-1,タイ企業の債務不履行が続出

 変動為替相場制に移行した直後、為替市場に過剰なタイバーツが供給されていたのでタイバーツは暴落。ここで困ったのは米ドル建てで融資を受けていたタイの企業たち。何せ、実質の返済額が一気に跳ね上がったのだ。特に短期の融資をし過ぎていたのも問題だった。欧米の金融機関や投資家は、タイの企業の返済能力を疑い、新たな借り換えを許さなかった。結局、多くのタイ企業が債務を返済できなくなってしまった。債務不履行祭り。当然、失業率が急上昇し、GDP成長率は一気に落ち込んだ。

 

3-3-2,資産バブルが崩壊、間の悪い人たちは債務返済、信用収縮

 米ドル債務が急に膨れ上がり、返済に追われだしたタイ企業が大量発生。これを引き金に、不動産バブルが崩壊。不動産を売って米ドル債務を返済したのだろう。ところでこの不動産バブル、もともと銀行の融資で不動産を購入していた人が多かったせいで(これぞバブル!)、間の悪かった人達は借金返済にいそしむことになる。銀行は銀行で焦げ付きが大変。民間の非金融部門も銀行も、投資熱が冷めた。不景気に拍車をかけることになる。

 

3-4-1,IMFの介入

 米ドルを手元に欲しくてたまらないタイ企業の様子を見て、タイ政府はIMFから米ドル融資を受けることにした。もともとは、IMFではなく日本に頼ろうとしたらしい。世界有数の米ドル保有残高をもつ日本は、これに応じる案を提案していたが、”ワシントン”とIMFの拒絶にあい、日本発案日本主導の融資支援は実現されなかった。とにかく、タイ政府はIMFに支援、すなわち米ドル融資を求めた。

 IMFはタイ中央銀行に米ドルを融資する条件として、ワシントン・コンセンサスに従う政策を次々と要求した。新古典派万歳!新自由主義万歳!グローバリズム万歳!小さな政府万歳!市場原理主義万歳!多国籍企業至上主義万歳!.......最後のやつは言っちゃダメなやつだったかな?

 IMFからの内政干渉を飲んだタイは、米ドルの融資を受けた。手に入れた米ドルは、タイ企業の米ドル債務の返済にあてられた。欧米の投資家も、焦げ付かずハッピーというもの。

 IMFが毎度の如く要求する融資の条件は、タイの場合にも当てはまる。例えば、政府の財政収支黒字を求めたことや、金融の規制緩和を求めたこと、さらには外国人が土地を購入したり、銀行などの重要な産業を買収できるように、法律の改正を迫ったこと、などがある。

 政府の財政黒字は、その国のGDP成長を強力に妨げるということでもある。これはMMTを知っている者の間では常識。*2

 金融の規制を緩和すると、金融の不安定化を促進することが多い。そもそも、タイの通貨危機も、欧米からの融資に対する規制を緩和したことが、原因の一端を担うというのに。

 

3-4-2,IMFの要求がタイの企業を追い詰めた

 IMFが米ドルを融資する際の条件

・高金利政策*3

・緊縮財政

この二つが、タイ国内の企業を苦しめた。

 海外の銀行や投資家がタイの企業への融資を止めたので、資金繰りに困ったタイの企業は国内の銀行から融資を受けたがった。しかし、残念ながらタイ国内銀行からの貸出金利は高い。銀行は銀行で、不景気な状態で高い金利で貸し付けると、企業が倒産して返済できなくなるものだから、銀行の経営も悪化した。

 緊縮財政で国内需要が小さくなったせいで、タイ企業の多くが仕事を減らした。これもまた不景気に拍車をかけた。

 

 

 

 

 

インドネシアも言及したい

 

5,韓国の通貨危機

かなり雑な言い方をすれば、韓国の通貨危機はタイと同じような事の顛末だった。しかし、通貨危機の引き金となった事象は異なる(3-2-1 の部分が違うと思ってもらえれば、大体合ってる)。タイではヘッジファンドが為替市場で暴れまわったのが引き金となり通貨危機に至ったのに対し、韓国の場合、ウォール街で韓国の悪いうわさが広まり、不安になった銀行が返済の繰り延べを許さなくなったために、多くの韓国企業が倒産した。

他にも違いはある。下に、韓国の場合だけに当てはまることを記す。

IMFは、金利を5%引き上げた場合どれだけの韓国企業が倒産するかを詳細に予測した。予測による倒産件数は莫大だった。IMFはそれを分かったうえで、韓国に5%の金利の引き上げを要求した。

 編集中

 

 

 

6,参考にした資料

この記事を書いたときの主な参考資料を一覧しておく。

まずはYoutube動画のプレイリスト。

www.youtube.com

 

続いて書籍。

bookmeter.com

bookmeter.com

bookmeter.com

bookmeter.com

 

*1:私が読んだ資料に、そのように書いてあった。国内金利を高く設定したとはいったいどのようなことを表すのか、詳しい言及はなかったが、「公定歩合を高く設定し、制度上公定歩合に伴って変化する様々な金利を高くした」という意味だと思われる。

*2:有名なのは、政府支出の伸び率とGDP成長率に強い正の相関関係があるという話だが、そんなものを持ち出さなくても、政府支出がそもそもGDPの一部だとか、政府の支出の多くはインフラ投資に使われるから民間の生産性を上げるとか、そんな風に考えても問題ない。

*3:中央銀行が金融機関に貸し出す際の金利、いわゆる公定歩合を高く設定する政策。私があたった文献では、当時のタイがどのような仕組みを採用していたのか明確な記述がなかった。ただ、「IMF金利の引き上げを迫った」という意味の記述から、昔の日本と似た仕組みが当時のタイでも採用されていて、IMFがタイの中央銀行に高金利政策を迫った結果、個人や企業への貸出の金利も上がった、という意味だと思われる

フィルターバブル対策:検索エンジン別のイデオロギーを考察

※この記事は2021/06/17に更新しました。

0,なぜこの記事を書くのか

同じ検索ワードを使っても、検索エンジンによって返す答えは違います。それぞれの検索エンジンには、それぞれの検索アルゴリズムがあって、ある種の情報が出やすかったり出にくかったりします。フィルターバブルです。情報源は少しでも多様に、という要求にこたえるため、同一の検索ワードに対する結果を、複数の検索エンジンで比較し、どの検索エンジン同士が似た結果を返すのか、考察します。あくまで具体的な検索結果を数通り用意して、帰納的に推測するだけですが。

フィルターバブルを完全に避けることは不可能ですし、フィルターバブルの回避≠多数派の採用です。肝心なのは、自分がどのような偏り方をしているか自覚することです。偏らないことではありません。

使用される検索ワードは、政治・経済・安全保障・歴史といった分野に絞ります。エンタメのような、フィルターバブルがあったところで特に問題ない分野は無視します。

 

 

 

1,簡単な結論

結論だけ先に言っておくと、

検索エンジンイデオロギーは、2つのクラスターと2つのボッチという構図になる。

と推測しました。

 

一つ目のクラスターは ノートン/SearX/Startpage/start.me/YAHOO! JAPAN

その近くに Gibiru

二つ目のクラスターは Bing/Ecosia/DuckDuckGo/metaGer/swisscows/yahoo!/metaGer

残るSAGOOLがボッチ。

 

こんな感じです。

 

 

2, 対象となる検索エンジン

検索アルゴリズムがほぼ同じだと公言されているものは、

検索エンジン名A (検索エンジン名B)

という風に表現します。また、私の主観的な検索の精度の評価を、良い順から◎○△×の4段階で表します。○あれば十分実用に耐えると思います。yahoo!は日本語検索に弱い感じ。検索エンジンAのアルゴリズム検索エンジンBと同じという意味です。比較対象になる検索エンジンは以下の通りです。

Bing ○

DuckDuckGo ○

Ecosia △

Gibiru △

Google ◎

metaGer ×

SAGOOL ×

SearX ○

Startpage (Google) ◎

start.me ◎

swisscows ○

Yahoo! Japan (Google) ◎

yahoo! △

ノートンセーフサーチ ◎

 swisscowsは地域の選択で日本を選び、DuckDuckGoは地域を指定していません。ほかのエンジンは、何も操作していない時の状態です。(yahoo!などは、ログインしてなくても位置情報をとっているように見える検索結果だったりします。詳しいことは知りません。各自調べてください。)

 

 

 

3, 実験

3-0,手法(読まなくても全然問題ありません)

「実験手順を公表しないのは怪しい」と思われたくないので書いておきます。手順に興味ない人はスキップしてください。

EcosiaとStartpageは、ユーザーによって検索結果を変えないようです(公式曰く)。StartpageはGoogleのパーソナライズしないバージョンらしい(使っていてもそう思います)ので、Googleを実験の対象から除外し、Startpageで代用します。YAHOO! JAPANの中身もほぼGoogleらしいですが、今回は別で扱います。また、トップに表示されるPR・広告は無視します。

 

検索結果の類似度の評価は、定量的に行うため、以下の方法で行いました。

検索エンジンごとに、検索準位1位に10点、2位に9点、3位に8点、、、、10位に1点を付けます。検索上位10位までのリンクを二つの検索エンジンで比較し、共通するURLへのリンクについて、それぞれの点数の積和を計算します。そして、この積和を、Σ i^2 (i=1~10) で割って、0から1の間に収まるように正規化します。なぜか同じページへのリンクが複数回出現することがあるります。その時は正規化後も1より大きい値になることがあります。

例えばyahoo!で1位のリンクがGoogleでは3位だったら、10点×8点=80点として、他のリンクについても同様に計算して和をとり、正規化します。

検索準位が上位のリンクほど、類似度の指標に大きく影響するようにしてあります。

類似度の評価の計算は、以下のPythonコードを走らせて実行しました。

f:id:rokaboNatttsu:20210615152042p:plain

Python関数の定義

私の技術不足により、URLの入力は手動です(泣)。

上の関数を使って計算を実行する様子がこちら。 

f:id:rokaboNatttsu:20210615141041p:plain

URLの入力の様子

類似度の評価計算は、以下のように出力します。似ていれば1に、違いが大きければ0に近づきます。

f:id:rokaboNatttsu:20210615141326p:plain

類似度の評価表の例

同じURLへのリンクではないからといって、違う思想とは限らないですが、検索エンジンイデオロギーを分類するのにこの手法がどの程度あてになるのかは、下に列挙する、実験結果の画像を眺めて、あなたが判断してください。私の感想は「いい感じ」でした。

コードをコピペして同じ実験をしてみたい方は、こちらのリンク先のmain.ipynbを開いて、中身をコピペして、Jupyter NotebookなりGoogle Colabなりで実行してみてください。URLをコピペする作業は地味に大変です。

github.com

 

3-1, キーワード:フィルターバブル 対策方法

まずは ”フィルターバブル 対策方法” で検索した結果を示します。この記事の存在目的です。最初に、類似度の評価表を挿入します。0に近いほど全然違う、1に近いほどそっくりです。

f:id:rokaboNatttsu:20210615165127p:plain

類似度評価表。キーワード=”フィルターバブル 対策”

一つ目のクラスターは ノートン/SearX/Startpage/start.me/YAHOO! JAPAN

二つ目のクラスターは Bing/DuckDuckGo/Ecosia/swisscows/yahoo!

Gibiru、SAGOOL、metaGerがそれぞれ独自路線

と評価します。

 

 

検索が似た結果だったものは同じ画像にまとめて提示します。

f:id:rokaboNatttsu:20210615165716p:plain

ノートン/SearX/Startpage/start.me/YAHOO! JAPAN



 

f:id:rokaboNatttsu:20210615165858p:plain

Bing/DuckDuckGo/Ecosia/swisscows/yahoo!

 

 

f:id:rokaboNatttsu:20210615170006p:plain

Gibiru

  

f:id:rokaboNatttsu:20210615170059p:plain

SAGOOL

 

f:id:rokaboNatttsu:20210615170152p:plain

metaGer

 

 

3-2, キーワード:Google 検閲 日本

続いて、 "Google 検閲 日本" で検索しました。類似度の評価表はこちら

f:id:rokaboNatttsu:20210615174048p:plain

類似度評価表。キーワード=”Google 検閲 日本”

一つ目のクラスターは ノートン/Startpage/start.me/YAHOO! JAPAN

その近くにGibiru、SearX

二つ目のクラスターは、 Bing/DuckDuckGo/yahoo!

その近くにmetaGer、swisscows

さらに少し離れてEcosia

残るSAGOOLは完全ボッチ

と評価しました。

 

以下は検索上位の画像キャプチャです。検索上位が似たものは同じ画像にまとめました。

f:id:rokaboNatttsu:20210615175033p:plain

ノートン/Startpage/start.me/YAHOO! JAPAN



f:id:rokaboNatttsu:20210615175111p:plain

Gibiru

 

f:id:rokaboNatttsu:20210615175147p:plain

SearX

 

f:id:rokaboNatttsu:20210615175253p:plain

Bing/DuckDuckGo/yahoo!

 

f:id:rokaboNatttsu:20210615175332p:plain

metaGer

 

f:id:rokaboNatttsu:20210615175413p:plain

swisscows

 

f:id:rokaboNatttsu:20210615175449p:plain

Ecosia

 

f:id:rokaboNatttsu:20210615175523p:plain

SAGOOL

検閲といえば中国が有名ですが、日本では行われていない、わけないですよね。。。日本では検閲なんてないと思っているなら、世間知らずもいいとこです。もっとも、日本で行われる検閲はそのほとんどがさりげないものであって、それは例えばコンプラNGだったり、情報発信元の自主規制だったりするわけですが。

 

 

3-3, キーワード:日本 借金

続いて、 "日本 借金" で検索しました。

類似度の評価表はこちら

f:id:rokaboNatttsu:20210615192400p:plain

類似度評価表。キーワード=”日本 借金”

一つ目のクラスターは Gibiru/ノートン/SearX/Startpage/YAHOO! JAPAN

比較的近くにstart.me

二つ目のクラスターは Bing/DuckDuckGo/Ecosia/yahoo!/swisscows

比較的近くにmetaGer

残りのSAGOOLは、過疎地で悠々自適な暮らしをしているようです。

 

上と同じく、検索上位が似たものは同じ画像にまとめました。

f:id:rokaboNatttsu:20210615193056p:plain

Gibiru/ノートン/SearX/Startpage/YAHOO! JAPAN



f:id:rokaboNatttsu:20210615193131p:plain

start.me

 

f:id:rokaboNatttsu:20210615193238p:plain

Bing/DuckDuckGo/Ecosia/yahoo!/swisscows

 

 

f:id:rokaboNatttsu:20210615193315p:plain

metaGer

 

 

f:id:rokaboNatttsu:20210615193351p:plain

SAGOOL

私自身、経済に関する知識が全くなかったころ、「日本の借金がこのまま増え続けると、いずれ経済が破綻する」とは、いったい何が起こるのか、前兆は無いのか、そのあたりを調べようとして、このようなキーワードを使っていた記憶があります。今となっては、アホなキーワードだなー と思っちゃいますね。懐かしい。最近は昔と比べてかなりまともな記事が増えてうれしい限りです。あとは、興味を持って調べてくれる人が増えさえすれば。というところですが。

 

 

3-4, キーワード:GDP成長率 政府支出 因果関係

経済のお勉強です。 "GDP成長率 政府支出 因果関係" で検索しました。

類似度の評価表はこちら

f:id:rokaboNatttsu:20210615204819p:plain

類似度評価表。キーワード=”GDP成長率 政府支出 因果関係”

一つ目のクラスターは ノートン/SearX/Startpage/start.me/YAHOO! JAPAN

比較的近くにGibiruとSAGOOL

二つ目のクラスターは分散が大きいですが Bing/DuckDuckGo/Ecosia/swisscows/yahoo!

比較的近くにmetaGer

 

 

検索上位が似たものを同じ画像にまとめました。

f:id:rokaboNatttsu:20210615210236p:plain

ノートン/SearX/Startpage/start.me/YAHOO! JAPAN



f:id:rokaboNatttsu:20210615210411p:plain

Gibiru

 

f:id:rokaboNatttsu:20210615210453p:plain

SAGOOL

 

f:id:rokaboNatttsu:20210615210645p:plain

Bing/DuckDuckGo/Ecosia/swisscows/yahoo!

 

f:id:rokaboNatttsu:20210615210807p:plain

metaGer

 

3-5, キーワード:地球温暖化 CO2 因果関係 証拠

類似度の評価表はこちら

 

f:id:rokaboNatttsu:20210616203125p:plain

類似度評価表。キーワード=”地球温暖化 CO2 因果関係 証拠”

一つ目のクラスターは ノートン/SearX/Startpage/start.me/YAHOO! JAPAN

その近くに二つ目のクラスター Gibiru/SAGOOL

三つ目のクラスターは Bing/Ecosia/DuckDuckGo/metaGer/swisscows/yahoo!

検索結果が近いものは1枚の画像にまとめて、以下に検索上位のキャプチャを示します。

f:id:rokaboNatttsu:20210616203853p:plain

ノートン/SearX/Startpage/start.me/YAHOO! JAPAN

 

f:id:rokaboNatttsu:20210616204023p:plain

Gibiru/SAGOOL



f:id:rokaboNatttsu:20210616204144p:plain

Bing/Ecosia/DuckDuckGo/metaGer/swisscows/yahoo!

 

 

こんな検索ワードを選ぶだけあって、私は、「地球温暖化の主要な原因は人間の排出したCO2だ」という説明を疑っています。

数千年レベルの長期間で温度と大気中のCO2濃度を推測した研究が、大気中のCO2濃度と気温に相関がないことを示している。

と知ったことと、

CO2よりも強い影響があるはずの水蒸気の影響を考慮した言説を、ほとんど聞いたことが無かったこと

がきっかけです。CO2が(弱いとはいえ)電気的な極性があり、赤外線→分子の伸縮や回転のエネルギー→分子の運動エネルギー≒温度 という感じで温室効果を持つんだろうなーとは思っていますが、主要な原因といえるかどうかはまた別の話。シミュレーションを使って証明されましたなんて言われても、現実を説明するシミュレーションを作ることがどれほど困難なことかを考えると、そして恣意的なモデルを作ることもできることを考えると、信じ切ることができないのです。「でも気温とCO2濃度が同時に上がってるじゃないか」というのは分かりますが、ヒートアイランド現象の影響が小さいと思われる地域に限定して気温変化を見ると自然現象の範囲を超えて温暖化している証拠がそもそもなかったり(数十年で1度程度の平均気温上昇は、地球の歴史上少しも珍しくありません。)、今よりCO2濃度が10~100倍程度高かったと推測される時代の気温が今とあまり変わらないと主張する論文が複数あったり、気温の変化が先・大気中のCO2濃度が後で変化したとの主張の論文があることなど、色々な反論材料があります。仮に地球温暖化が大問題だったとして、その原因を間違えて対策していたとしたら、人類はひどい目に合うわけですからね。そこで、今回のキーワード=”地球温暖化 CO2 因果関係 証拠” で検索。まぁ、この手の話を調べるときはScholar+英語使えって感じなんですけども。私自身は「温暖化の原因が人間の排出するCO2だ」とする説について態度保留(やや肯定気味)ですが、あなたはどうですか?

 

 

3-6, キーワード:グリホサート 残留基準 安全 証拠

次は食の安全。最近(2021年の感覚)、種子法種苗法が一部界隈で騒がれましたが、この国に食糧安全保障の概念は存在しないのでしょうか。食料自給率を下げるであろう法改正を繰り返すなど、イカレてる。そんな愚痴はともかく、キーワード、”グリホサート 残留基準 安全 証拠”で検索。グリホサートは、商品名ラウンドアップの除草剤の主成分です。ベトナム戦争の時に巻かれた枯葉剤の成分らしいです。残留濃度が高すぎる場合、健康を害することは間違いないのですが、ではどの程度の低濃度なら数十年間摂取し続けてもリスクを無視できるのか?規制値以下であれば間違いなく安全だと思えれば、数ある心配事の一つが解消されるのですが、果たして。。。。。

類似度の評価表がこちら

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類似度評価表。キーワード=”グリホサート 残留基準 安全 証拠”

 一つ目のクラスター Gibiru/ノートン/SAGOOL/SearX/Startpage/start.me/YAHOO! JAPAN

二つ目のクラスター Bing/Ecosia/DuckDuckGo/metaGer/swisscows/yahoo!

綺麗に二極化しました。検索上位のキャプチャがこちら

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Gibiru/ノートン/SAGOOL/SearX/Startpage/start.me/YAHOO! JAPAN

 

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Bing/Ecosia/DuckDuckGo/metaGer/swisscows/yahoo!

 

日本モンサント株式会社あたりが、一般向けに記事を書いてるかと思ってましたが、見つかりません。Google ScholarやScience Directなどの、論文を検索するエンジンを使わなければ、この手の情報は出てこないようです。論文あさりを少しだけしたことのある私の肌感は、「安全派も危険派も、正しいことを言っているように見える」でした。全体的に見て、モンサント関係者は安全派、関係ない人は危険派という傾向はあるようです。当然か。

 

 

 

 

4, イデオロギークラスターの推測

数パターンの検索ワードだけで、検索エンジンイデオロギークラスターを推測します。

検索エンジンイデオロギーは、2つのクラスターと2つのボッチという構図になると推測しました。

一つ目のクラスターは ノートン/SearX/Startpage/start.me/YAHOO! JAPAN

その近くに Gibiru

二つ目のクラスターは Bing/Ecosia/DuckDuckGo/metaGer/swisscows/yahoo!/metaGer

残るSAGOOLがボッチ。

こんな感じです。

 

 

5,個人的感想

以前と比べ、DuckDuckGoの検索の精度が向上してる気がします。あと、予測変換が出るものに限りますが、検索エンジンが変われば(例えばDuckDuckGoGoogle)、履歴とは関係なく予測内容が異なるのが、面白いところです。

あと、一時期からGoogleは、検索ワードそのままの記事を検索結果に反映させる確率が下がった気がします。検索アルゴリズムを大幅に変えたとニュースになった頃からです。検索ワードを一生懸命考えて、ワードそのままの答えを求めることが多いので、私にとっては使いづらい。

 

Google/Startpage/start.me/ノートンセーフティーサーチ/YAHOO! JAPAN

は、”行政機関&ニュース発信系企業の情報を優先します感” がムンムン。行政やマスコミの情報を優先すると、個人が発信する情報よりは確かなことが多いでしょうが、情報の多様性は低くなるんですよね。公的な機関ほど、アクセス数の多いサイトほど「コンプラNG」を気にするもので、そのコンプラを普及させているのは他ならぬ彼ら自身だったりするので。一長一短といったところ。最初にGoogle使ってメインストリームを知って、次にDuckDuckGoやBingを使って少数派を拾う、というのが正解かも。

 

SAGOOLとmetaGerは、単純に精度がいまいちかな。

 

Googleだけだと怖い。フィルターバブル対策で複数の検索エンジンを併用したいけど、全部使うのは面倒。そんな感性の持ち主は、

Google/Yahoo! Japan/Startpage/start.me/ノートンセーフティーサーチ の中から一つ、

Bing/Ecosia/DuckDuckGo/swisscows/yahoo! の中から一つ、

Gibiruを補助的に使う、

というのが良いしれません。

 

 

6, 終わりに

フィルターバブルを意識し、対策するための手助けになる情報だったと思います(自己評価高めで行かせてもらいますよ)。フィルターバブルの存在を実感するだけで、同じ情報を見ていても感想が違ってくるものですし、どの検索エンジンを組み合わせて使えば有効なフィルターバブル対策になるのか?という疑問に答えるときも、一定の参考資料になると思います。

 

 

この記事はVivaldiというブラウザを使って書いたのですが、このVivaldiは同じワードで複数手の検索エンジンを使うのが簡単です。ウィンドウを一つしか開いていない状態で画面分割もお手の物。

いちいち使い方説明するつもりはありませんが、便利さのあまり他のブラウザをメインにすることができない体になってしまったので、自信を持ってお勧めできます。最後に雑にVivaldiの宣伝してしまったぜ!

 

統計に基づく研究の信頼度や、統計詐欺の手法についての考察

 

 

0 前書き

「我々を惑わす罠一覧」がこの記事を書こうと思った理由だったりします。

データの解釈・論文とタイトルに書きましたが、この記事は、疫学・薬学・心理学・社会学・経済学などの分野を想定しています。物理・数学・化学・工学などの分野や、科学ではない分野は、この記事では想定していません。

 

 

 

1 用語の説明

擬似相関 - Wikipedia

擬似相関(ぎじそうかん、Spurious relationship, Spurious correlation)は、2つの事象に因果関係がないのに、見えない要因(潜伏変数)によって因果関係があるかのように推測されること。擬似相関は、客観的に精査するとそれが妥当でないときにも、2つの集団間に意味の有る関係があるような印象を与える。

 

交絡 - Wikipedia

交絡(こうらく、Confounding)は、統計モデルの中の従属変数独立変数の両方に(肯定的または否定的に)相関する外部変数が存在すること。そのような外部変数を交絡変数(confounding variable)、交絡因子(confounding factor、confounder)、潜伏変数(lurking variable)などと呼ぶ。したがって科学的研究では、第一種過誤(従属変数が独立変数との因果関係にあるという偽陽性の結論)と呼ばれるこれらの要因を避けるよう制御する必要がある。2つの観測された変数のそのような関係を擬似相関という。すなわち交絡が存在する場合、観測された現象の真の原因は交絡変数であるにもかかわらず、独立変数を原因と推論してしまう。

 

出版バイアス - Wikipedia

出版バイアス(publication bias)とは、否定的な結果が出た研究は、肯定的な結果が出た研究に比べて公表されにくいというバイアス(偏り)である[1]公表バイアスとも言う。単純には、否定的な結果に関する情報が公にならない[2]根拠に基づく医療EBM)における科学的根拠が強い根拠とは、個々のランダム化比較試験のデータを結合してメタアナリシスすること[3]、つまりバイアスのないデータのバイアスのない分析結果である[4]。出版バイアスにより、分析結果が異なってくることが問題である[2]

 

 

 

2 研究デザインの用語の説明

横断研究 cross-sectional study - 日本理学療法士学会

ある特定の対象に対して,疾患や障害における評価,介入効果などを,ある一時点において測定し,検討を行う研究です.過去にさかのぼったり,将来にわたって調査したりはしません.利点としては,時間的・経費的な効率が良く,いくつかの要因に着目して比較でき,様々な要因を一度に測定し,検討できるなどの点があげられます.欠点としては,バイアスの影響が入りやすく,原因と結果の因果関係が明確ではないなどの点があげられます.

 

縦断研究 longitudinal study - 日本理学療法士学会

研究を時間要因によって分類したときの一つで,横断研究のように現時点での暴露の有無・程度を調べるのではなく,過去にさかのぼって,または将来にわたって,ある特定の対象に対して暴露の有無などを調査し,ある程度の期間を経たデータをとる研究です. 
 後ろ向き研究症例対照研究)と前向き研究コホート研究ランダム化比較試験(RCT))が相当します.

 

前向き研究 prospective study - 日本理学療法士学会

一定の期間を経て前向きにデータをとる縦断研究の一つです.疾患の起こる可能性がある要因にさらされるかどうかに注目して群分けし,研究を開始してから将来(数ヵ月後,数年後)にわたって追跡を続け,疾病などの発生状況を比較する研究方法です.研究を開始する時点で,交絡因子などの影響を把握することができるといった利点がありますが,研究を終えるまで,かなりの時間と費用が必要となることが欠点としてあげられます.
ランダム化比較試験(RCT)コホート研究などが代表的なものです.

前向き研究では、結果を得る前に解析の手法を決めておくことが基本だそうです。

 

後ろ向き研究 retrospective study - 日本理学療法士学会

一定の期間を経て後ろ向きにデータをとる,縦断研究の一つです.研究を開始する時点から,過去にさかのぼって疾患や障害を引き起こした要因(人工股関節全置換術を施行された患者における転倒など)にさらされたかどうかを調べる方法です.起こったことを振り返って確認するので,交絡因子の把握が困難ですが,研究を終えるまでに要する時間が,比較的短時間ですむことが可能です.症例対照研究などが代表的なものとなります.

 

観察研究 observational study - 日本理学療法士学会

人為的,能動的な介入(治療行為等)を伴わず,ただその場に起きていることや起きたこと,あるいはこれから起きることをみるという研究方法です. 観察研究は,その場で起きていることを断面的に調査すれば横断研究,過去にさかのぼって起きたことを調査すれば症例対照研究,これから起きることを調査すればコホート研究と分類されます.

 

ランダム化比較試験 - Wikipedia

ランダム化比較試験(ランダムかひかくしけん、RCT:randomized controlled trial)とは、評価のバイアス(偏り)を避け、客観的に治療効果を評価することを目的とした研究試験の方法である[2]根拠に基づく医療EBM:evidence-based medicine)において、このランダム化比較試験を複数集め解析したメタアナリシスに次ぐ、根拠の質の高い研究手法である[2]。主に医療分野で用いられているが、経済学においても取り入れられている[注釈 1][3]無作為化比較試験 とも呼ばれている[4]

改善度に関する主観的評価を避けるための尺度であるエンドポイントを用いる、効果の差を計測するための治療していない偽薬などを施した群を用意する、二重盲検法によって研究者がどちらが治療群かわからないようにし、治療群と対照群をランダムに割り当てるといった手法をとる[2]

前向き研究の一つです。

 

非ランダム化比較試験(NRCT)|"健康を決める力"用語集

臨床研究では治療群(治療を行う群)と対照群(治療をせず観察のみの群)の2つに分けて比較するが、2つの群に分ける際に無作為ではなく分けている研究を指す。たとえば主治医、病棟、病院など恣意的に治療群と対照群を割り付けられることで、両者の性質に偏りが生じやすくなり、結果に影響が生じる恐れがあるためランダム化比較試験よりもエビデンスレベルが低いとされている。

明言された記述を見つけることができませんでしたが、おそらく前向き研究の一つと考えていいと思います。

 

二重盲検法 - Wikipedia

二重盲検法(にじゅうもうけんほう、Double blind test)とは、特に医学試験研究で、実施している治療法などの性質を、医師(観察者)からも患者からも不明にして行う方法である。プラセボ効果観察者バイアスの影響を防ぐ意味がある。この考え方は一般的な科学的方法としても重要であり、人間を対象とする心理学社会科学法医学などにも応用されている。この盲検化を含んだランダム化比較試験(RCT)は、客観的な評価のためによく用いられる。

行為の性質を対象である人間(患者)から見て不明にして行う試験・研究の方法を、単盲検法という。これにより真の薬効をプラセボ効果(偽薬であってもそれを薬として期待することで効果が現れる)と区別することを期待する。しかしこの方法では観察者(医師)には区別がつくので、観察者が無意識であっても薬効を実際より高くまたは低く評価する可能性(観察者バイアス)や、患者に薬効があるかどうかのヒントを無意識的に与えてしまう可能性が排除できない。そこでこれをも防ぐために、観察者からもその性質を不明にする方法が二重盲検法である。

 

メタアナリシス - Wikipedia

メタアナリシス(meta-analysis)とは、複数の研究の結果を統合し、より高い見地から分析すること、またはそのための手法や統計解析のことである。メタ分析メタ解析とも言う。ランダム化比較試験(RCT)のメタアナリシスは、根拠に基づく医療 (EBM) において、最も質の高い根拠とされる[2]

メタアナリシスという言葉は、情報の収集から吟味解析までのシステマティック・レビューと同様に用いられることがある[3]。厳密に区別する場合、メタアナリシスはデータ解析の部分を指す[3]。また、メタアナリシスとシステマティックレビューをまとめてリサーチ・シンセシスとも言う。

メタアナリシスとシステマティックレビューの違いはあまり明確ではないようですが、こちらの記事によると

結論から言うとシステマティックレビューとメタアナリシスの違いは、

ステマティックレビュー:課題に関してプロトコールに従った文献調査・選択、評価し、結果を統合し、課題に対する批評を行う総説

メタアナリシス:課題に関してプロトコールに従った文献調査・選択、評価し、統計学的な手法を用いて定量的に結果を統合・提示する

ステマティックレビューとメタアナリシスの定義はあいまいなので別のところでは異なる説明がなされているかもしれません。

ステマティックレビューは定性的でメタアナリシスは定量的ともいえます。

ステマティックレビューではエビデンスの質を重要視するのに対して、メタアナリシスは定量的に結果を表すために統計学的な手法を使います。

だそう。どちらも証拠能力が高いことは間違いないですが、メタアナリシスの方がやや優勢のようです。

 

 

一次研究の俯瞰的分類

 

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画像はこちらの記事から拝借しました

www.igaku-shoin.co.jp

 

 

 

3 我々を惑わす罠(思いつく限り)一覧

勘違いや思い込みの種になりそうなバイアスを思いつく限り列挙します。もちろん、これらが気を配るべきバイアスの全て、ではありません。

・因果関係があるからといって、相関関係があるとは限らない

これは直感的には分かりにくいですが、例えば以下のような場合を表します。

観測した変数W,Zと観測していない変数X,Yを考え、因果関係の向きが W → (X,Y) → Z ということにします。

X = - W + noise_X

Y = W + noise_Y

Z = X + Y + noise_Z

(noiseは正規分布の乱数とする)で表現できるとすると、実質、

Z = noise_X + noise_Y + noise_Z

と表現されることとなり、ZとWの相関関係はないが、因果関係はあるということになります。

 

・相関関係があるからといって、因果関係があるわけではない

下で言及する疑似相関の影響で、相関関係があっても因果関係がない場合が頻出します。

 

・疑似相関その1~~因果関係の向きが逆、あるいは循環している~~

 そのままの意味です。変数Xと変数Yを観測し、相関が確認されたとき、因果関係の向きがX→Yで説明できたつもりでも、現実はY→Xだった可能性があります。あるいは、X→Y と同時に Y→X だったということもあり得ます。もちろん、時系列などの理由で常識的に考えて、どちらかに確定できる場合もあります。

 

・疑似相関その2~~交絡因子~~

観測した変数XとYの間に相関がるものの、XとYの間に因果関係がない場合もあります。共通の因子Tからの影響をX,Yが受けている場合です。観測した2変数間に相関があって、それっぽい因果関係の説明ができたとしても、交絡因子が存在する可能性は残されています。

「メタボ検診に行った人の方が、その翌年の体重が減少していた。メタボ検診がダイエットに効果があるように見える。ところが実際は、検診に行く人が健康志向が強く、健康的な生活をしていただけで、検診に効果があったわけではない。」みたいな話です。実際そのような研究があるそうです。ここでは、メタボ検診に行ったかどうかを表す変数X、体重の減少量を表すY、健康志向の強さを表す共通の因子T、という座組になります。

一般に、交絡因子を取り除くためにはランダム化比較試験を用いる必要があります。観察研究や非ランダム化比較試験では、交絡因子は排除できません。

 

・疑似相関その3~~バークソンのパラドックス~~

3つの観測変数X,Y,Zを考え、本当の因果関係の向きが X,Y→Z 、3つの変数の間の関係をZ = X + Y + noise で表現できる仮定します。X, Y, noiseがいずれも平均0、分散1の正規分布に従うことにします。

そのうえで重大な操作を行います。母集団の中からZ>0の場合だけを選んで新しい母集団をつくるのです。すると新しい母集団において、XとYの間には疑似相関が表れます。このような疑似相関の現れ方をバークソンのパラドックスと呼ぶそうです。

とあるシンクタンクにおける新人採用試験を想像してください。採用試験で評価される項目は2つです。一つ目の項目Xは、新人候補の「同僚と協力して問題解決する能力の得点」です。二つ目の項目Yは、「その人の専門分野の能力の得点」とします。なお、XとYは互いに独立なことが確かめられていることとします。

そのシンクタンクの新人採用基準が「Z=X+Yとしたとき、Zが0より大きいこと」だったとします。すると、採用された新人を母集団とするとき、XとYに負の相関が表れることとになります。(専門分野の能力が高い人ほど、同僚と協力するのが苦手という傾向。)

合流点での選抜は、母集団の選び方の妥当性を検討するための項目の一つだと思います。あなたはどのように考えますか?

 

・「統計的有意差あり」は本当にただの偶然かもしれない

厳密にいえばバイアスではありませんが、リストアップしておきます。ある程度数学を理解しないと、統計的有意差の意味は分からないと思います。少なくとも私には、言葉だけで正確なニュアンスを伝えることはできません。知らない方はご自分で勉強してください。(ネットの無料の情報だと、私はこれしか知りません。【大学数学】推定・検定入門①(母集団と標本)/全9講【確率統計】 - YouTube)

 

・同じ実験を何度も繰り返せば、「統計的有意差あり」の結果が高確率で含まれる

欲しかった結論を得るために(?)似たような実験が何度も何度も行われると、いつか統計的有意を示す研究が出現するでしょう。逆に有意差無しの研究も出てきます。その結果がたとえただの偶然だとしても、実験結果は本物で解析手法も妥当、なんて話になりえます。

出版バイアスとコンボにすると、とてもタチが悪いバイアスになります

 

・出版バイアス

「特に効果はありませんでした。」と主張する論文がジャーナルを飾る可能性は低いですよね。出版社もアホではありません。画期的に見える研究を乗せたがるはずです。「効果なし」の方が頻繁に発生していたとしても、我々が読む論文が「効果あり」ばかりかもしれません。上の

・同じ実験を何度も繰り返せば、「統計的有意差あり」の結果が高確率で含まれる

とコンボにすると、かなりタチが悪いバイアスです。

 

・研究者の立場が、研究の内容や結果に影響を与えることが往々にしてある

多くの研究者は、民間企業で雇われていたり、行政で雇われています。研究者自身が仕事を追われかねない行動をとる可能性は低く、逆に、出世したり給料が増えたりする行動をとる可能性は高いです。結果、研究者自身とその所属組織が喜ぶ結果は公表されやすい一方、都合の悪い結果は日の目を浴びにくいものです。科研費をもらえるような研究しかしないのも、仕方ありません。研究者自身が所属する組織の利害関係や、予算を決定する人間の意志なども論文の内容や結論に影響することを忘れてはなりません。

しょうがないじゃないか、にんげんだもの

 

・データが主観的な指標の場合、人間の意図が結果に影響している

「因果関係を証明できない」というシロ魔法の呪文を唱えれば、状況的に十中八九影響が表れていたとしても、何もなかったことにできます。逆に「起こったことを正確に」というクロ魔法の呪文を唱えれば、全く関係なく起こった出来事も因果関係を説明しているように見せることができます。

X%が効果を実感しました?そんなのは質問する場面を変えたり言い回しを工夫したりすれば、いくらでも数字が上下するでしょう?

ってわけで。ひねくれた見方と素直な見方を両方試すことをお勧めします。まる。

 

・想定したモデルが現実離れしている

これは言葉のままの意味です。モデルを使ってフィッティングする時は、そのモデルがどの程度妥当か評価しなければ、偉い人に鼻で笑われること間違いなし。

例えば因子分析などの線形回帰モデルを使った場合、現実は非線形な関係だったとしてもそれっぽい結論を無理やりはじき出します。私の過去の記事、PyMC3でMCMCしてみた。線形一次のモデルへのアンチとして。でも似たようなことを言及しているので、興味があれば参考にどうぞ。あまりお勧めはしませんが。

 

・複数の原因が重なり合って一つの結果を生み出すとき、ランダム化比較試験ですら役に立たないかもしれない

以下は、架空のたとえです。最後まで読んでいただければ、何が言いたいか理解していただけると思います。

とあるアレルギー(以降キテレツアレルギーと呼ぶ)の発症の有無を表す変数Z(Z=0,1)が、二つの変数X,Y(X=0,1   Y=0,1)を用いて、Z = XY と表現できると仮定します。キテレツアレルギーの原因はXとYの二つが想定されなければなりません。そして、人類はまだそのことを知らないこととします。

Xをその人が住んでいる環境に起因する変数、例えば「自動車の排気ガスに含まれる有機物が、大気中に一定以上の濃度で含まれているかどうか」だったとします。ほとんどの地域で100年前は0、現在は1ということにします。

一方の変数Yを例えば、「その人の食べ物に一定以上の量の炭水化物(米・小麦など)が含まれるかどうか」だったとします。こちらは昔も今も Y = 0 の人が5割、Y = 1 の人が5割だったとします。

そんな条件の下、現代の研究者が Z と Y の関係を調べ、「キテレツアレルギーの原因は炭水化物の取りすぎだ」と結論付けたとしましょう。すなわち、Z = Y だと結論付けたのです。現代ではX=1ですから、間違ってはいません。しかし、100年前に同じ研究をしたら、Z=0 (∵X=0)となり、「キテレツアレルギーなどというものは存在が確認されていない都市伝説なのだから、炭水化物の摂取量とアレルギーの発症は関係ない」との結論になっていたでしょう。

このたとえ話の、100年前の研究や現代の研究者は、適切な母集団を選んでまともな実験デザインを使用し、滞りなく解析し結論したとしても、変数Xの存在を想定しない限り真実を明らかにすることができないのです。一次研究の中で最も証拠能力が高い実験デザインとされているランダム化比較試験であっても、それは変わりません。

因子分析などの線形回帰分析を用いた場合も同じです。人為的に操作できる変数x,y と  観測された変数 z の因果関係が、状況的に見て明らかに(x, y) → z だった場合を考えてみましょう。x, y, z 全ての変数が平均0分散1に正規化したとき、 z = ax + by + noise で表現される、と結論付けたとします。ここで、何らかの理由で、人為的に操作できる変数xの正規化前の定義域が、本来操作できる範囲よりもはるかに小さかったとします。すると、 z = ax + by + noise の a の値は、xの操作できる範囲をフルに使った場合と比べてはるかに小さくなります。「○○が結果の△%を決定している」という類の統計に基づく調査結果は、その調査とそっくり同じ条件でのみ成り立つということに注意しなければなりません。

 

 

・母集団の選び方&サンプルの選び方が、主張の根拠として不適切な場合がある

その母集団やサンプルは、ランダムに選ばれたものなのか、それとも特定の性質をもつものが多く集められているのか。その答え次第で、データの分析・解析結果から主張できることも変わります。

よくあるパターンの一つが、時系列データを用い分析するときに特定の部分だけを観測したり使用したりすることで、事実と真逆の主張が展開されるというものです。

 

・外れ値ではないデータが外れ値として除外されているかも

外れ値は、判断を誤らせることがあるため、無視した方が良い場合もあります。データの選択的な除外自体は悪ではありません。何が目的でデータを使うかによっても、外れ値判定の基準は変わるかもしれません。問題は、除外されたデータが外れ値ではなかった場合です。それは本当に除外してよかったデータなのか。はっきりしない場合は、導き出された結論を疑ってみるべきでしょう。

 

・データを不自然に分けている研究には要注意

データの分け方が不自然な研究は、その結論を大いに疑ってかからなければいけません。統計的検定の結果を慎重に選んで、都合のいい部分、都合の良い組み合わせだけを報告している可能性が高いからです。私の経験だと、「インフルエンザワクチンの効果を測るランダム化比較試験」を名乗る論文に変なのがチラホラと。。。。。だからって、ワクチンに効果がないとは思いませんけどね。いぇ、毎年摂取していたのに何度も感染した人を知ってるし、何十年も摂取していないのにその間感染しなかった人も知っていますが、ワクチンには絶大な効果があると思いますよ。えぇ、もちろん。

 

・コントロール群がなくても、因果関係があるかのように見えることがある

 反事実を想定しない調査(記述的研究)では、因果関係を証明できません。しかし、あたかも因果関係があるかのように見えることがあります。

かつて、胃冷却法なるものが使われていました。胃冷却法とは、胃潰瘍の治療法の一つで、胃にバルーンを挿入して、そこに冷却された液体を注入するという方法です。1950年代に進められた研究で、胃酸の分泌が抑えられ、痛みも減ったという報告がありました。この結果が権威ある医学雑誌「ジャーナル・オブ・ザ・アメリカン・メディカル・アソシエーション」に掲載され、胃冷却法はしばらくの間使われました。ところがこの報告は、比較するグループが無かったため、実際はその効果を示せていなかったのです。

ちなみに、胃冷却法の有効性を確かめるため、冷却した液体を注入するグループと体温の液体を注入するグループに分けて実験したところ、冷却した液体を注入された患者の34%、常温の液体を注入された患者の38%の改善が報告されたそうです。プラシーボ効果だったんですね。

 

・同じデータが元であっても、何を比較するかによって印象が大きく変わることがある

例えば、絶対値を比べた場合と変化量を比べた場合、変化率を比べた場合など、比べ方は様々です。何の意図をもって何を比べているのか、注意して考えましょう。

グラフの書き方次第で印象が変わることも多いです。変化を強調するような縦軸のレンジになっていないか?折れ線グラフは横軸等間隔で推移しているか?何の意図をもって何を比べているのか、確かめることが重要です。

 

・過去に当てはまる法則が未来にも当てはまるかどうかわ分からない

とある投資家が漏らした示唆的な言葉を引用します。

市場タイミングに関する興味深いアプローチをいろいろ見てきて、40年間の運用でそのほとんどを試してみた。しかし、自分がやる前は偉大な方法であったかもしれないが、私のときには、どれ一つとしてうまくいかなかった。何一つ!

これが、後ろ向き研究の証拠能力が低い理由(の一つ)です。つまり、無数の選択肢から偶然有意差が出たものをピックアップしたところで、それはあくまで偶然だということです。

 

・実験の対象となった母集団と性質が違う集団には、実験の結果を適応できない

読んで字のごとく。極端な話、動物実験が根拠として弱いのもこれですよね。ほかにも、遺伝子組み換えや製薬などでよくある話ですが、「試験期間2年間で悪い影響が確認できなかったので安全です」といって、まだ何年何十年も生きる人に勧める、みたいな感じですね。もしかしたら20年後に心臓病やガンなどが激増するかもしれませんが、そんなことは実験していないから無視するのです。....陰謀論じゃないですよ?だって、少しも陰で行われる謀じゃないですから。私としては、公的な機関でも構わないから、人種や生活習慣の多様な集団を用意して何十年の追跡を行うRCTを乱用してほしいんです。食習慣が崩壊していても運動習慣がなくても、2・3年で糖尿病になる人は滅多に居ないのですから。

 

 ・観測する変数の分散の大きさ次第で、相関が出たりでなかったりする

原因Xと結果Yが、Y = X + noise (noiseは平均0、標準偏差1の正規分布に乗ったノイズ)で表される場合を考えます。 Xの取りうる値の範囲が狭い時ほど決定係数が0に近づき、Xの取りうる値の範囲が広い時ほど決定係数が1に近づきます。母集団の取り方次第で、特定の変数の分散が小さくなり、相関が現れない、なんてこともあり得ます。

 

・回帰直線を引くことに意味はあるのか。検討すべき

直線に乗らない事象にもかかわらず、回帰直線を引いて傾きがどうこう、と議論していないでしょうか?そもそも回帰直線を用いて議論すること自体に意味があるかどうかを注意しつつ、回帰直線を用いた議論を検討する必要があります。

 

 ・時系列データでは、時間とともに条件が変化しているかもしれない

推移を表すグラフが急に大きく変化したら、集計上の定義の変化を疑うべきです。推移のグラフを見るときに気を付けるのはもちろん、「過去3か月のデータによると、○○の人の方が出来事の前後で××倍になった。」みたいな主張にも注意が必要です。例えば、

まず、一か月の時点で集計されるデータの定義が変わったとします。

二か月の時点で、全員に共通の出来事があり、○○になる確率が変わったとします。

 

最初の1か月は、○○の人が1000人

基準が変わった次の1か月は、○○の人が10人

共通の出来事があった以降の最後の1か月は、○○の人が20人

 

だったとします。共通の出来事以降の○○の人数は、それ以前の○○の人数の2%弱だったことなります。

共通の出来事が○○の人数を減らしたと言えるでしょうか?言えません。ですが、「基準が変わった」という情報を知らず、最初の2か月と最後の1か月を比較した場合、共通の出来事に○○の人数を減らす効果があったように見えることでしょう。

 

・細かすぎる数字には用注意。誤差を評価していない可能性が高い

国勢調査のような大規模で集計漏れが予想されるデータでは、細かすぎる数字に注意が必要です。5桁の数字なのに「約」がついていないとか、母集団が5桁に対して2桁以下の数字が主張される時など。

 

 

・「○○の△%は××で決まる」みたいな話は、同じ条件をそろえなければ再現されない&変数の独立性が必須

Z=X+Y で3変数の関係が表現でき、XとYが独立、かつ、因果関係の向きが(X, Y)→Z のときを考える。

Xの標準偏差が1,Yの標準偏差が2となる実験条件の時は、

ZはXで20%説明可能で、Yで80%説明可能

となる。

実験条件を変え(前回までは日本人大学生だけで母集団を作っていたけど、今回は国籍不問の20~70歳をまんべんなく集めた、みたいなこと)、Xの標準偏差が3,Yの標準偏差が4になったとする。このとき、

ZはXで36%説明可能であり、Yで64%説明可能

となる。○○は△%遺伝で、◇%運や環境で、×%が努力です、みたいな説明は、実験条件と同じ環境の世界でしか成り立たないし、遺伝と環境と努力が互いに影響を及ぼさない保証がなければいけない。

 

 

・集計してから判断したのか、判断してから集計したのか

同じ統計データであっても、

①個別の事例に対して判断して、その判断の結果を集計して統計にする場合(死因別の死者数の統計など。死んだ理由を判断することは、本質的に主観的)

と、

②誰でも同じ判断ができる事例を集計して、その集計結果から何かを判断する場合(「全死者数と行方不明者数の合計」や「超過死亡数」など)

で、適切な解釈方法は全く異なる。

個別の事例に、誰でもできる正確な判断基準を適応できる場合、すなわち①の場合、統計上の特定の数字が、実態よりも極端に大きくなったり小さくなったりする。判定の実態を詳しく知っていることが、統計を解釈するための必須事項になる。

 

 

4 研究デザインと証拠能力について

4-1 証拠能力のピラミッド

「金や名誉に目がくらんで実験データを改ざんしました」などの人為的なバイアス(割と重要な視点だと思います)を抜きにして考える場合、研究結果の持つ証拠能力に強さの序列は、下の画像が参考になります。(メタアナリシス - Wikipediaから画像を拝借)

f:id:rokaboNatttsu:20210308155747p:plain

この画像で使われている言葉は、医学とか疫学とか、そっち系の世界を想定していると思われます。ほかの分野ではコホートとか症例とか使わないんじゃないかな。

ピラミッドの上に行けば行くほど証拠能力が高いという目安です。

診療ガイドラインは、関係ない分野を考えるときは無視しましょう。

コホート研究は、前向きの観察研究または非ランダム化比較試験と言い換えます。

症例対象研究は、後ろ向きの観察研究と言い換えます。

医学や疫学以外の分野でも使える言葉で、それぞれの研究デザインの証拠能力を比較すると、以下のような序列になります。

 

1位:メタアナリシス

(1.5位:システマティック・レビュー)

2位:ランダム化比較試験

3位:前向きの観察研究と非ランダム化比較試験

4位:後ろ向きの観察研究

5位:専門家の意見、記述的研究

?:横断研究

 

4-2 横断研究の証拠能力について

ニューヨーク州立大学が作成した証拠能力のピラミッドには、横断研究が含まれていないようです。私の個人的な意見では、後ろ向きの観察研究と同程度(=4位)か、後ろ向きの観察研究と専門家の意見・記述的研究の間(=4.5位)くらいが適切だと思うのですが、どうでしょうか?

 

4-3 後ろ向きの観察研究の証拠能力について

後ろ向きの観察研究は、前向き研究と比べて証拠能力が低いとされます。私の理解する限り、理由は以下の通りです。ほかにも複数あるかもしれません。

後ろ向きの観察研究が、前向き研究と比べて証拠能力が低いとされ理由。それは、「偶然その結論に至った可能性が、前向き研究よりもはるかに高まるから」です。つまり、どういうことか。

後ろ向き研究では、結果に対する原因の候補が、理論上無限に用意できます。本来ならば相関関係や効果量が0の関係であっても、ノイズの乗ったデータの統計である以上、「偶然相関があるように見えた」「偶然効果があるように見えた」ということは起こり得ます。原因の候補が無数にあれば、偶然を引き当てる可能性が高いわけです。

(理由は統計的有意差の意味を知っていれば理解が速いと思います)

 

4-4 前向きの観察研究の証拠能力について

後ろ向きの観察研究よりも前向きの観察研究の方が、証拠能力が高いとされています。4-3で前述したような、「偶然の結果を引き当てる可能性」が低いからです。

一方で、ランダム化比較試験よりは証拠能力が低いとされます。観察研究は、元々性質が違うグループを比較している可能性が高く、いわゆる「反事実」を想定しているとは言えないからです。

 

4-5 ランダム化比較試験の証拠能力について

一次研究の中で最も証拠能力が高いとされるのはランダム化比較試験。その真価は、数ある変数の中から特定の変数だけを変化させるられることにあります。これにより、厳密ではないものの、反事実を用意することができるので、ランダム化比較試験は証拠能力が高いとされるのです。

 

4-6 二重盲検法によるプラシーボ効果の排除について

証拠能力のピラミッドになぜか含まれていないので、二重盲検法への言及を追加しました。二重盲検法は、プラシーボ効果を排除するための手段として用いられています。

ランダム化比較試験を行う際にセットで使われていることがほとんどだ、という認識で合っていると思います(←主観。少なくとも後ろ向き研究では使えない気がする。ランダム化比較試験ではない前向き研究でも、多分使えない?私の勉強不足ゆえ、わかりません)。

 

 

 

 

 

 

 

5 参考文献

5-1 参考にした書籍

データや論文の解釈に関して詳しく知りたい方は、以下の本を読んでみるといいかもしれません。読んでほしいという意味ではありませんからね?ね? |д゚)

 

bookmeter.com

bookmeter.com

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5-2 参考にしたWebページ(ただし上でリンクしたものを除く)

www.krsk-phs.com

riklog.com

dnpa.s3.xrea.com

事実を直視する覚悟はあるか?:認知バイアスを回避したい我々への提案

認知バイアスを自覚する意義

バイアスを取り除くには、バイアスの存在に気付けるようになることが近道の一つです。認識することが出来れば、一度立ち止まって、科学的な思考を起動できます。(ここでいう科学的な思考とは、観察・観測⇒仮説の設定⇒仮説の検証⇒観察・観測 のサイクルを回す思考方法です。)*1

今から羅列するバイアスは、なるべく過不足なく、なるべくダブらない組み合わせで選んだつもりです。「自分の信じたいものを信じる」みたいな抽象的な表現はできるだけ避けています。

あと、類似する内容として、クリティカルシンキング チェックリストという記事もあります。ご興味あればどうぞ。

 

 

目次 

 

 

バイアス(思いつく限り)一覧

ここから本番です。バイアスの存在を認識するために、代表的なバイアスを以下に一覧してみます。

・みんながやっているから確かだろう、皆が信じているから間違いないだろうと感じる

常識=正解ではありません。我々は常に、ガリレオやセンメルヴェイスの悲劇を思い出す必要があります。

「常識は常に間違っている」だなんて中二病なお言葉を残した有名人もいらっしゃるようです。一般化し過ぎな感は否めませんが、心意気としては悪くありません。

 

・過去に自分が主張した内容は正しい気がする

俗にいうセンメルヴェイス反射です。一貫性を守りたがるとも言えます。何かを主張するときは慎重に。我々は、自分自身の主張に対する数々の反論を理解し、それでも自分の主張が正しいことを説明できる状態になってから、意見を主張すべきなのです。一度間違ったことを公衆の面前で言い放ってしまった場合、それが一生の呪縛になりかねません。

ただ、過ちは誰にでもあります。人生で一度も間違ったことがない人がいたとすれば、きっと戸籍は土星の環のどこかだと思います。土星の環には、「すべてを見通す目を持つ一族」が暮らす集落があるとの噂です。一緒に役所に行って、戸籍を見せてもらいましょう!

「過去の間違いを認めて方向転換できることは美徳だ」という価値観を持てるといいですね。カリスマ性にこだわるなら主張が変わらないことが大切かもしれませんが、真実の探求者が不変にこだわる必要はありません。

 

・仲間の主張は正しく敵の主張は間違っていると感じる

あなたにもきっと経験があると思います。あなたを尊敬する人やあなたと仲の良い人は、あなたが自信なく呟いたことをすんなり信じてくれる一方、あなたを軽蔑していたり仲が悪い人は、どれだけ正しいことを言っても取り合ってくれない。こんなこと、よくあります。え?みんな素直に頷いてくれる?御見それしました。

 

・誰かの主張は、その人自身の思想を強く反映している。にもかかわらず、使われた言葉次第で客観的事実に聞こえる

「科学的にわかった」とか「統計的事実だ」とか。根拠をよくよく調べてみると、後ろ向き研究のくせにp値が0.01程度だとか*2、交錯因子の可能性が排除できないとか、データの母集団がそもそも偏ってるとか、だれも確かめたことがない前提を置いているとか、因果関係の向きが逆だとか、使うモデルを変えると逆の結論に至るとか。ほかにも色々あるものです。極論、すべての根拠は誰かの主観に過ぎないかもしれません。それでも、客観的な指標に聞こえる言葉の前提を把握する努力が必要です。

 

・思いつきやつさ/分かりやすさ/思い出しやすさと、その説明の正しさを混同する

思いつきやすさや分かりやすさと、その説明の正しさは、しばしば混同されます。専門家は視野が狭くなるなどと言われたりしますけど、これが原因だと思われます。彼ら自身が知っている方法で説明できると感じると、(本当は誤りであっても、)その方法で事象を説明するのだと思われます。「専門家の視野の狭さ」と「機械学習過学習」は同じような概念ですね。

思い出しやすさと、その説明の正しさを混同することもよくあります。注目しているものが、そのまま説明に使えるように見えるのもこの項目ですし、初対面の人の目立った特徴に基づく第一印象によって、まだわからないはずの側面も推測&思い込む、いわゆるハロー効果もこの項目です。

システムエンジニアの世界では「ハンマーしか持っていなければすべてが釘のように見える」という素敵な言葉が有名らしいですよ

 

・自分で思いついたこと・自分で発見したことこそが真実だと思い込む

そもそも自分で思いついたかどうかを判断するすべはありませんし。世の中にはプロパガンダというものがあるのですから。

自分で思いついたこと・自分で発見したことは、簡単に連想したり思い出したりできる故に、良くも悪くも強力な力なのです。

 

・真実を知っているのは少数の仲間だけだと感じた時に強い快感を感じ、意見を変えることができなくなる

これに関しては、何の説明もいらないかな?少し説明するなら、正義感や使命感に燃えているときは、特に、自分と違う考えに対してオープンでいることを意識した方が良い、という話です。正義感や使命感が悪いとは思いませんよ?すべての感情は使い方次第で良くも悪くも働くと思います。

カルトにはまるのはこれが原因になることが多いです。カルトって言葉は別にオウム真理教のためにつくられたわけではなく、認識共同体のマイノリティーバージョンのことです。反社会的なカルトは危険カルトという言葉で表現されます。カルトの本来の意味に従えば、あなたの趣味のコミュニティはカルトですし、SNSコミュニティもカルトですし、あなたが所属する職場や学校の独自文化もカルトですし、別に珍しくもなんともない、空気のように存在するものだということを意識してほしいところです。

 

・直面している問題を、自分の知っている情報・知識で説明できたと思い込む

複雑な問題には必ず、単純で間違った答えがあるものです。非の打ち所がない説明ができたと思っても、バイアス回避が目的であれば、注意深く因果関係の根拠を確かめる必要があります。それは通常、とても時間がかかるし、とてもしんどい作業です。そこまでして事実を見つけたくないというのであれば、それはそれでアリではないでしょうか。( ゚д゚)ポカーン

 

・自信はあるが、よく考えると根拠が弱い

根拠のない自信?すばらしい。行動を促す力となって、ときに頼もしいあなたの守護神となるでしょう。だがしかし、根拠のない自信は白内障を悪化させ、真実が見通せなくなってしまいます。これに関しては説明いらないよね?

 

・自信があるように見える人の主張は常に正しい気がする

根拠のない自信?すばらしい。だがしかし、それもまた目を曇らせる。

まぁ、カリスマ性を出したいならば、自信ありげに見せる方がよい場面はよくあります。特に仲間内での決断や提案する場面。ただし、常に自信があるように演出するのは危険です。断定口調の専門家よりも慎重な口調の専門家の方が信頼されやすいとか、懐疑的な取引相手へのプレゼンの場面で自信を前面に押し出すと、「何かウソや見落としがあるのでは?」と思われたりするので。

 

・自分の持ち物や自分の好きな人は個性にあふれ、しかも優れている気がする

なぜ差別が亡くならないのか?これですよ。この項目はあまり回避しない方がよきかも。仲間を作って協力するにはとても役に立つバイアスだし。オキシトシンの分泌目的だといわれてたりしますが、実際のところはよくわかりませぬ。

 

・めったにない出来事の頻度を大きく見積もる

滅多にない出来事は、驚きの感情を伴って記憶されます。よくあることのような錯覚はそのためかもしれません。

それは、本当によくあることなのですか?

類似の出来事との相対的な確率の違いを把握すれば (例えば自動車事故死の確率と旅客機の墜落による死の確率の比較。自動車事故死がそもそも珍しい?確かに!)、あなたの誇大妄想を少しは和らげることができるでしょう。

 

・我々の判断は、我々の感情次第で大きく揺れる

同じ体験をしても、昨日葬式だった人と、今日婚姻届けを提出する人では、とらえ方が違います。当然ですよね?

誰かの話を聞くときは、その人が今どのような状況に置かれていて、どのような感情を持っていると推測できるのか。想像するだけで全然違います。

自分で考えるときは、今の自分がどのような感情を伴っているのか、それによってどのように判断が変わりうるのか。確認するだけで全然違います。

悲しい時は過去も未来も悲しく見えるし、幸せな時は過去も未来も幸せな気がするし、嫉妬しているときはなんでも邪悪に見えるということを忘れないで。

 

・偉い人が言ってるんだから間違いないと思う

よく言いますよね。専門家の意見よりも証拠能力の低めな論文の方がマシだって。

偉い人も所詮人ですから、ポジショントークだって当たり前ですし、当人がそうと信じていたとしても、証拠がセットになっていなければ、そういうことですよ。

 

・一部の情報の真偽によって、全体の情報の真偽を判断する

10の話をされたとき、真偽のほどがわからない話が9つだったとしても、1つが何らかの理由で正しいと分かる場合、9つの方もすべて正しいと感じるものです。逆に1つだけ誤っていると分かれば、残り9つも間違っていると思いやすいことでしょう。

嘘ばかり主張する人は少ないし、事実しか主張しない人もいないのです。

「この人を信じる」ではただの一神教。それが悪いとは言いませんが、バイアス回避が目的ならば、大罪の一つに数えられるでしょう。

 

・時系列でランダムな事象が発生しているときでも「今度こそは違う結果になるだろう」と感じる&時系列で発生するランダムな事象にも、パターンがあるように感じる

コイン投げでいうならば、2,3回連続で表が出ても、次は裏になりそうだとは感じないかもしれませんが、10回連続で表が出た後だと次こそは裏になる気がするものです。そもそも1/2の確率でランダムに表裏が出ているのだから、そろそろ逆の面が出なければおかしいという感覚です。

「今度こそ」の感覚は、ランダムな事象にパターンがあるかのような感覚を引き起こすことにつながります。今からコイントスを10回行ったとします。すべてが表になる確率と、奇数回目は表&偶数回目は裏になる確率は同じなのですが、そうは直感できないものです。良いことと悪いことが同じくらい起こって、人生はバランスが取れるようになっている。なんてことはありません。

 

・時系列でランダムな事象が発生しているときの「平均への回帰」の傾向を忘れる

平均への回帰がわからない方は平均への回帰 - Wikipediaをどうぞ。

よくある例の一つは、上司が部下を育てるには叱って育てるのが正解だとか、褒めるとダメになるとか妄信している。というものです。何しろ、「失敗を叱った直後は失敗しない」という成功体験や、「ほめた直後は成功しない」という失敗体験を積み重ねるのです。視野が狭ければそう思っても仕方がないところです。

両親がともに長身だった場合、生まれる子供はさらに長身になるかというと、むしろ、同性の親よりも低身長に育つことが多いというのも、よく言われる例ですね。

あとは、過去十年で業績が特に良かった企業が、これから十年で同程度の業績を出せないことが多い一方で、過去十年で業績が特に悪かった企業は、これから十年で業績を改善することが多い、というのも、平均への回帰の一つの具現化といわれています。

もちろん、回帰は傾向で合って絶対ではありません。「今回は極端だったから次回は平均に近づくか?」と問われると、「多分」としか答えられないものです。

 

 

 

P.S.

「我々はバイアスまみれであり、常に誤った判断・解釈・説明をしている可能性が高い」と、定期的に思い出すこと。

それだけで、バイアスに気づく確率が上がります。嘘のようなホントの話。

 

この記事は、バイアス回避のためにまずはその存在に気づこうぜよ。という立ち位置です。そして、人間の認知というソフトフェアにしか注目していません。これこれこうすればバイアス回避できます!みたいな安直(決して楽とは言ってない)なノウハウは、他のだれかに任せます。私と同じように安直が大好きなら、クリティカル・シンキングとか、統計とか勉強するといいんじゃないかな。

 

バイアスの回避がうまくいっているなら、我々は普通の人とは違う情報を探し、違うことを考え、違う価値観を持つことになります。世界は嘘まみれですから。

バイアスの回避は、時間と体力を消費する、とてもつらく苦しい作業です。その過程で、屈辱感や焦燥感・孤独感・焦り・失望感・怒り・無力感など、ネガティブな感情を頻繁に掻き立てられることとなるでしょう。その苦しみも、あなたの見解の正しさを保証してくれないのですから、救いようがありません。

知ろうとすることは戦いです。

 

 

参考にした文献(書籍のみ)

バイアスに関して詳しく知りたい方は、以下の本を読んでみるといいかもしれません。読んでほしいという意味ではありませんからね?ね? |д゚)

 

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*1:観察の方法がそもそも存在しない場合や、仮設の検証ができない場合など、科学的な方法で扱うことができない問題も世の中には無数にありますから、その時は直感に頼らざるを得ません。直感でしか扱えない領域で活動するのは芸術家の仕事です。それはそれでかっこいいですが、少なくとも私にその能力はありません。

*2:選択肢バイアスとでも呼ぶべきかな?本来全く関係がないことであっても、とある結果に対して100個の原因の候補との関係を調べたら、p値が0.01以下の関係が一つくらいは見つかるものです。詳しいことは、統計でも勉強してください

PyMC3でMCMCしてみた。線形一次のモデルへのアンチとして。

因子分析をはじめとする線形一次のモデルに現実味を感じなかったので、MCMCを勉強してみた。だって、現実の出来事は複数の要素の掛け算だったりエクスポネンシャルだったり、とにかくいろいろな種類の関係があるはずでしょう?

 

こちらのYoutube動画で、MCMCの中身を数学的になんとなく理解したつもりになってから、PyMC3でシンプルなモデルを作ってMCMCしてみた。モデルの適応範囲や、どの程度のことを主張できるか知っていたとしても、使えなきゃ面白くない。

まあ、白状すると、自分で書いたコードとはいえ、コメントアウトの内容が不適切かもしれないので、間違ったこと言ってるんじゃないかと疑いつつ読んでほしかったりする。

 

以下、実際に書いたコードと結果。

まずは必要な道具をインポートしておいて、

f:id:rokaboNatttsu:20210212163006p:plain

サンプルデータを自前で生成。

f:id:rokaboNatttsu:20210212163119p:plain

んで、サンプルデータを作った時と同じモデルを作って、MCMC

f:id:rokaboNatttsu:20210212163404p:plain

実行結果、こんな感じ。

f:id:rokaboNatttsu:20210212163647p:plain

オレンジと青の2本の線があるのは、まあ、あまり気にしなくていいと思う。MCMCはそもそも確率的にパラメータを動かしてるので、2回同じことをやって、試行毎にどのくらい差が出るかの参考にしてるんじゃないかな。y=(x - 2.99)**2 あたりが適当なんじゃないかな?って結果。

 

続いて、無理やり線形のモデルでMCMCしてみた様子がこちら。

f:id:rokaboNatttsu:20210212164021p:plain

f:id:rokaboNatttsu:20210212164048p:plain

y=4.05*x - 8.0 あたりが適当なんじゃないかな?って結果。

 

さて、サンプルデータの生成と同じ関数(二次関数)のモデルでMCMCした場合と、サンプルデータ生成の方法とは全く合わない一次関数のモデルでMCMCした場合、それぞれのパラメータの尤度が出そろった。各パラメータで、最も尤度が高いと思われる数字を適当に選んで、サンプルデータと一つ目のモデルと二つ目のモデルを、同じグラフにプロットしたら、こんな感じ。

f:id:rokaboNatttsu:20210212164621p:plain

青がサンプルデータの散布図、

オレンジが1つ目のモデルでMCMCして、パラメータに適当な値を選んだもの、

緑が2つ目のモデルでMCMCして、パラメータに適当な値を選んだもの、

 

 

2つのモデルの優劣は一目瞭然ではないかな?因子分析みたく、線形一次でモデリングするのが嫌にならないかな?

 

話は以上。またいつか。

チームの生産性を上げるため、ニワトリ社会から学べること

示唆的な実験を見つけました。進化心理学者のウィリアム・ミューアの実験です。彼は、生産性に興味を持ち、ニワトリを用いた面白い実験を思いつきました。ニワトリは10羽ほどの集団で生活します。そこで、もっと沢山の卵を産むニワトリの集団をつくるのに効果的な方法を探るため、以下の2つの方法を比較したのです。

方法A (以下、エリート戦略と呼ぶことにする)
複数の集団から、各集団内で最もたくさんの卵を産むニワトリを選び、選ばれたニワトリたちの子孫で次世代の集団を複数つくる。以上を繰り返す。

方法B (以下、連帯戦略と呼ぶことにする)
複数の集団から、最もたくさんの卵を産む集団を選び、その集団を繁殖させ、次世代の集団を複数つくる。以上を繰り返す。

2つの方法で6世代にわたって選別を行い、どちらのニワトリの方が、より多くの卵を産むようになったのかを調べたわけです。その結果。
エリート戦略(方法A)で6世代選別したとき、ニワトリはたったの3羽になり、その他のニワトリは集団内の他の個体に殺されてしまいました。残った3羽もつつき合って喧嘩ばかり。羽がほとんど無くなる有様。卵の生産量は大きく下がってしまいました。
一方、連帯戦略(方法B)で選別したとき、6世代後のニワトリたちはどれも発育がよく、卵の生産性は大きく向上していました。

なぜこんなことになったのでしょうか。
実は、集団の中で最もたくさん卵を産むニワトリは、ほかのニワトリを攻撃して産卵を抑制することで、最もたくさんの卵を産むエリートになっていたのです。

ここまで読んでくださった感の良い方であれば、もしくは以前からこの実験を知っていた方であれば、「人間にもこの実験のエリート戦略みたいなことが起こる可能性があるのでは?」と思ったのではないでしょうか。

「チームのメンバーを攻撃・搾取することで、チーム内の地位や評価を得ている事例が多数あるのではないか?」と感じませんでしたか。

少なくとも私はそう直感したわけです。話はそれだけ。それだけで、人間社会への実用の基本的な方針は決まると思いますが、具体例や関連する情報源を下に列挙しておきます。最も貢献した者が最も評価されるわけではありません。



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複式簿記っぽく財政支出を説明。日本政府が未だに財政破綻しない理由について。

0,この記事の目的と注意点

 この記事は、国債発行を伴う財政支出の手順や結果を理解することを目的とします。国債を発行して財政支出するとは、具体的に何をしているのか、複式簿記っぽく図にしました。正確な勘定項目は知らないので便宜上の名称だと思ってください。自分が調べて解釈した範囲でつくったものです。大筋正しいはずです。

全ての図表や説明において、簡単のために

・債務者が同じ項目を同じ色で塗り

・手数料や金利の支払いなどは無視

・受注した企業の、生産活動に伴う資産の消耗を無視

・簡単のために、民間企業の活動の費用で、国営公営のサービスを使わないという仮定

しています。

編集用メモ1:民間企業に仕事を外注するタイプの財政支出しか考えていなかった。けど、公務員への支払いや、医療費の補助などは、小切手ではなくほかの方法が使われているはず。これらを追加して、幅広く網羅したい。

編集用メモ2:財政支出や徴税によって増減する準備預金を、国債の売買でどの程度吸収したり放出したりしているのかを調べなおす。政策金利(今は長期国債の利回りのコントロールイールドカーブ・コントロールらしい)

 

1,目次

 

 

2,国債発行しない場合の、財政支出と税金徴収

2-1,財政支出は民間の預金を増やす

 最初に、国債を発行しない場合の財政支出と税金徴収の説明です。まずは財政支出についてです。政府が民間企業に事業を発注し、代金を支払う場合を例にとるとこうなります。

図1.1:国債発行を伴わない財政支出

 ①政府から受注した企業だけの収益ではなく、その企業が原材料を購入した企業など、サプライチェーンの全ての民間企業をまとめて考えていること②簡単のために、民間企業の活動の費用で、国営公営のサービスを使わないという仮定していること に注意してください。

 財政支出は民間の預金を増やし、準備預金(政府預金口座)を減らしています。民間企業は儲かりました。儲かった人が消費を増やせば、他の誰かの収入も増えるというものです。

 年金を振り込むような場合でも、医療費などの補助の場合でも、決済の過程は異なれど結果は同じになります。(政府名義の小切手なんてものは使いませんし)

 民間銀行は預金を増やし、同額の、金利を受け取れない準備預金を増やしています。

 

 2-2,税金の徴収は民間の預金を減らす

 続いて税金の徴収についてです。

 税金は、一応、日銀の負債を収めなければならないことになっているようです(日銀の負債とは、非金融機関たる我々家計が使えるものに限定すると、現金(お札)だけだと思います。お札には日本銀行券って書いてあるでしょう?あれってバランスシート上では日銀にとっての負債です)。ただ、預金取扱期間たる民間銀行が日銀にとっての負債(お札や準備金など)と1:1で交換することを約束した負債、すなわち預金を、納税に使うこともできます。銀行が、政府や日銀と我々非金融機関の間を取り持って、預金を消す代わりに納税しといてくれるって感じです。

図1.2:税金の徴収

 ご存じの通り、徴税は民間の預金を減らします。これに対応して、政府の準備預金口座は残高を増やします。

 

 

3,国債発行を伴う財政支出のパターン

 次は国債発行を伴う財政支出を見ていきます。

3-1,国債発行を伴う財政支出の簿記的表現

 ①政府から受注した企業だけの収益ではなく、その企業が原材料を購入した企業など、サプライチェーンの全ての民間企業をまとめて考えていること②簡単のために、民間企業の活動の費用で、国営公営のサービスを使わないという仮定していること に注意してください。

3-1-1,政府短期証券を発行して支出した後、新規国債発行によって準備預金の貸付金利国債の利回りを維持

ここでは、政府が民間企業に事業を発注し、代金を支払う場合を例にとりますが、年金や医療費補助のような場合でも、結果は同じ形になります。

図2.1.1:政府短期証券の発行によって準備預金を調達して行う財政支出
3-1-2,政府短期証券を使わず、国債の売買で準備預金を調達

図2.1.2:国債の売買によって準備預金を調達して行う財政支出

 

3-2,財政支出は民間の預金を増やす。国債と関係なく。

 2-1,2-2を見ると、財政支出と収入(税金)が同額の場合、民間の預金は変化しません。財政支出の方が多い場合に、民間の預金が増えるのです。財政支出の方が多い時、国債市場における国債の利回りをコントロールしたいという理由で、新規国債発行や日銀による既発国債の売買が行われます。その辺はイールドカーブコントロールで検索。

 2-1,3-1ー1および3-1-2の結果から、財政支出は、新規貨幣発行して財政支出をしていると分かります。政府が財政支出すると、新規国債を発行しているかどうかにかかわらず、民間の非金融機関の預金が増えるのです。

 ほかに気になることとしては、市中銀行の準備預金残高が変化しないことを上げておきます。民間銀行は、その気になれば、財政支出と同額分まで、発行された国債をいくらでも保有できるということです。

 


4,国債の償還のパターン3つ

 3-1ー1または3-1-2の後で起こることだと意識しつつ進んでください。時系列0に、3-1の結果を示しています。国債は満期までに償還されます。その手順を3パターン見ていきます。

4-1,税金による国債償還

 国債の償還に税金を充てるパターンです。多分、滅多にありませんけど。

図3.1:税金を国債償還にあてる

 税金で国債を返済すると、預金が消失することが示されています。国債発行を伴う財政支出で、民間銀行の貸方と民間企業の借方に新たに発生していた預金が、税金で国債を償還する際に消えているのです。

 国債も償還されて消えています。国債発行を伴う財政支出で、政府の貸方と民間銀行の借方に新たに発生していた国債が、税収分、消えています。

 

4-2,政府による借り換え

 償還期限が来た国債を政府が買い戻し、民間企業は国債と準備預金を交換します。民間銀行は普通、金利が付かない準備預金を、「準備預金制度で定められた量」や「スムーズな決済を行うために必要な量」を超えて余分に多く持つより、利回りがある国債保有したがりますから、借換えは成立します。

図3.2:国債の借換

借り換え前後で特に変化は起こりません。

 

4-3,日銀による国債の買取りと借り換え

 国債は、日銀が民間銀行から買い取って、日銀の手元で償還期限を迎えることもあります。

図3.3.1:日銀による国債の買い取り

 日銀が国債市場で国債を買い集めると、国債の価格が上がり、利回りは下がります。日銀が民間銀行から国債を買い取るというのは、量的緩和と同じ作業だと思います。国債を手放した方が得な状況に追い込むことで、量的緩和を実現したらしいです。詳しいことは知りませんけど。

 国債が日銀に移動しただけ?償還されていない?その通りです。日銀保有国債が満期を迎えたときの処理を見ていきましょう。

図3.3.2:日銀の持つ満期の国債の借換

 税金による国債償還を行わず、新規国債発行と償還期間が来た国債の借換を続けると、国債発行残高は増え続けます。財政破綻論者のエネルギー源です。実際には国債発行残高がいくら増えたところで、何の問題もありません。自国通貨建て国債の発行残高が問題になることは、(日銀がクーデターを起こしたり現状の仕組みを改悪したりしない限りは)あり得ません。償還期限が来たら借換すればいいだけですから。

 

5,税の財源は過去の財政支出である

 上の図でわかるように、準備金の発行・国債の発行・国債の借換は税収とは関係なく行われ、財政支出は銀行の預金や準備金や国債を増やしています。徴税はその逆で、銀行預金を減らしたり、国債を減らしたり、準備預金を減らしたりします。

 財政支出の財源が過去と未来の税金というのは間違いで、実際は、税の財源が過去の財政支出なんですね。直感的にも、世界中から金という金すべてを徴収したら、それ以上税金をとることはできなくなりますよね。無いものは取れないんだから、まずは出さないといけないんですよ。

 

6,愚かなる日銀破綻論への反論(ついで)

 ついでに、日銀破綻論に反論しておきます。そもそも日銀は、債務超過になったとて債務不履行に直結しません。そもそも株式会社(日銀はその中でも立場が特殊ですが)って、債務超過になったら破産しなきゃいけないわけでもないみたいです。債務超過ではなく、必要な支払いを完遂する能力がなくなった時、言い換えれば債務不履行になった時、破産するのです。現状の精度を維持する限り、外貨の支払いはともかく、日本円の支払い能力が枯渇することは有りません。

 

7,政府の債務不履行?なにそれ?おいしいの?

 あとは、政府の債務超過債務不履行(一般向けにマスコミなどで「財政破綻」といわれることが多い)を気にする方がいらっしゃるかもしれませんが、これもナンセンスです。政府は営利団体ではありませんし、法律や憲法や国際条約で利益を上げることを義務付けられているわけでもありません。債務超過債務不履行の間に関係がないのです。何もないところから円を創造できるので、円で債務不履行に陥るわけがありません。

 

8,円を発行しすぎたら信認が落ちてハイパーインフレ?とりあえず落ち着けって

 モノの値段って、高い値段でも買いたい人があふれているときに上がるんですよね。当然なんですけど。お金が増えてもそれだけじゃ物価は上がらないんですよ。日本でも1990~2020の30年間はそうでした。マネーストックが増える一方で物価はほぼ変わりませんでした。

 それでも通貨が増えすぎたらハイパーインフレ、なんて思ってる人は、マンキューの教科書とかフリードマンとかに洗脳されすぎです。必需の輸入品の価格が超高騰したり、大災害や戦争で資本が大規模に破損したりしない限り、言い換えれば商品が圧倒的に不足しない限り、ハイパーインフレにはなりません。大金を支払ってでも買いたいと思わなきゃ、物価が上がるはずがないんです。世の中には金持ちがいて、彼らは消費性向低いので、周囲から金を吸い集めています。金持ちに金が集まると、消費に使われる金額が少なくなって、ある種のインフレ抑制効果を発揮します。それに、通貨流通速度一定の下で通貨の流通量が増えたら、税収も増え、その分通貨の量が減ります。通貨の量が増えた程度では、ハイパーインフレなんて起きないようになっているし、だからこそ実際に、通貨の量が増えた程度ではハイパーインフレにはならないんですね。お金の量が増えてハイパーインフレになるとしたら、それは国民の大半に同じ額を、それもかなりの額を分配した時だけです。原油が上がったり小麦が不足したり水際作戦でサプライチェーンが毀損した、物価が上がりやすいタイミングだったにもかかわらず、コロナの給付の時は、さしてインフレになりませんでした。財政支出の額としても大規模なプロジェクトでしたが。

「治験の結果、副作用なし」はどこまで安全なのか、数学的に考察

前程と本記事の立ち位置

・治験は通常、長期(10年以上のスパン)の影響を考慮していない、この記事でも無視する
・治験に参加している短い期間であっても、自覚できない副作用を考慮していない、この記事でも無視する
・この記事の考察で用いる、任意の治験ワクチンを母集団全員に投与するときの、母集団内で副作用発現する人数の確率分布が、現実のそれを表現していないと考えられる
・副作用が発生しなかったワクチンのみ実用化する場合を想定して、シミュレーションを行う

などがこの記事の議論の前提です。

 

 

この記事の目的

治験の結果副作用が出た人数が0人だったとき、そのワクチンは果たしてどの程度の副作用の発現率が期待されるかを考察します。

 

 

この記事の土台、元ネタ

今回の考察のきっかけがこの2つの動画

www.youtube.com

www.youtube.com

 

以上の2つの動画で大橋先生は、ワクチンの治験で副作用がなかった場合、どれくらいの人に副作用が表れるのかを考えておられます。これらの動画内では、治験で副作用がなかった場合の、治験に参加しなかった人々の副作用発現の期待値は、以下のように計算されています。

f:id:rokaboNatttsu:20201021190653p:plain

ここで

N:治験参加人数

P:治験で副作用がでた被験者の人数が0人のとき、母集団からランダムに選んだN人の副作用発現数の期待値

i:母集団のすべての人が摂取したとき、その母集団からランダムに選んだN人中、副作用が出る人数の期待値。

 

です。

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の部分が、「N人中 i 人に副作用が出ると期待される母集団から選ばれた一人の被験者」に注目したとき、その人に副作用が出ない確率です。これをN乗することで、治験を受けたすべての人に副作用が出ない確率を表します。

この式は母集団の大きさが治験を受けた人数Nに対して十分に大きい時のみ、近似的に成り立つと思ってよいでしょう(母集団がNに対して十分に大きくない場合、治験に参加する人を選ぶたびに、母集団から新たに選ぶ人の副作用発現確率が大きく変動してしまいます)。

また、「母集団全員にワクチンを打ったとき副作用が表れる人数をMとすると、Mがどのような値をとる事象も、発生する確率は変わらない」ことも前提になっています。

 

 

ちょっと新しいモデルを構築

動画内の議論において、PはN人当たりの副作用を発現する人数の期待値ですが、この記事ではこれ以降の便利の都合上、この値PをNで割って、一人当たりの副作用発現確率に直しておきます。

f:id:rokaboNatttsu:20201021194050p:plain

これが母集団からランダムに選んだ一人が、副作用を発現する確率Pになります。この計算方法を「学びラウンジモデル」と名付けます。

 

私自身、初めは学びラウンジモデルは直観的に厳密解であるかのような気がしましたが、よく考えると近似的であることがわかります。母集団が十分に大きくなければ誤差が大きくなることに加え、例えば、N=1すなわち治験を受けた人数が一人のときを考えると、P=0、すなわち副作用が発現する確率が0になり、直感的にも精度が悪いことがわかると思います。

 

より厳密な近似式をここから考えます。

 

学びラウンジモデルでは、副作用が出る人数 i は自然数に限定していますが、i は本来「十分に大きい母集団からN人ランダムに選んだ時に i 人が副作用を発現することが期待される」という意味ですから、自然数に限定するのは不自然です。そこで数学的に言うところの離散的(自然数に限定)な状態から連続な分布を考えます。

i が連続に分布するときの期待値を計算するにあたって、以下の積分を導入します。

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P:治験で副作用がでた被験者の人数が0人のとき、母集団からランダムに選んだ1人に副作用が発現する確率

N:治験参加人数

x:母集団のすべての人が摂取したとき、その母集団からランダムに選んだN人中、副作用が出る人数の期待値。

 

解釈の要領は、学びラウンジモデルと同様です。この式に基づく、母集団一人当たりの副作用発現確率を、積分モデルと名付けます。積分モデルも、「母集団の人数が治験を受ける人数より十分大きいことが前提の近似式」で、「母集団全員にワクチンを打ったとき副作用が表れる人数をMとすると、Mがどのような値をとる事象も、発生する確率は変わらない」という、学びラウンジモデルの前提を受け継いでいます。

ちなみに、x=Nyで変数変換すると以下のように多少すっきりした形で表せるようになります。

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仮想的な治験による、治験人数と副作用発現確率の関係

ワクチンの中身が異なる仮想的な治験シミュレーションを無数に行い、それぞれの治験から結果副作用が一人もみられなかった場合を100例を選び、その100例の時の母集団の副作用発現率の平均値を計算しました。

計算と言っても解析的に解く方法が思いつかなかったので、あくまでシミュレーションです。

まず前提として、100例の平均値が期待値と近い値を取ると考えます。

「母集団全員にワクチンを打ったとき副作用が表れる人数をMとすると、Mがどのような値をとる事象も、発生する確率は変わらない」

ことを前提とします。母集団の人数100000人に対して、治験参加者の人数を1, 2, 5, 10, 20, 50, 100と変化させ、母集団の任意の一人の副作用発現確率の平均値(≒期待値)をシミュレーションしました。

 

治験人数と母集団の任意の人が副作用を発現する確率の関係は、以下のようになりました。

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横軸が治験に参加した人数、縦軸は母集団の任意の一人の副作用発現確率

(解析的に解いたものではなく、シミュレーションした結果なので、試行毎に少しづつ結果が変わることに注意)

 

上に散布図はPython×Jupyterによって出力した。以下ソースコードのキャプチャ。

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(汚いコードを見られるのは誠に恥ずかしいものです。これでも私は完全独学の素人。汚いことには目をつぶってほしいです。という心の声)

 

 

学びラウンジモデルと積分モデルの比較

治験から結果副作用が一人もみられなかった場合の、母集団の副作用発現率の期待値を、学びラウンジモデルと積分モデルでそれぞれ計算しました。

 

学びラウンジモデルによる計算で求めたものがこちら

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上:ソースコード、下:横軸は治験を受けた人数、縦軸は副作用発現確率

 

続いて積分モデルで計算したものがこちら

f:id:rokaboNatttsu:20201021211103p:plain

上:ソースコード、下:横軸は治験を受けた人数、縦軸は副作用発現確率

2つを重ねたグラフを作るのがマナーですが、時間が押していて面倒なのでパスします。すみません。2つを比較したところ、積分モデルの方が全体的に副作用発現率を高く計算することが分かります。

 

また、これら2つのモデルとシミュレーションによるものを比較すると、治験を受けた人数が5人以下のとき、

シミュレーション値 > 積分モデル > 学びラウンジモデル

です。大きい値だとどのくらい一致しているか、どのような大小関係か分かりにくいので、最後に治験人数が10,50, 100, 200人の場合の、シミュレーションと学びラウンジモデルと積分モデルがどの程度一致しているかを調べます

 

 

現実的な治験人数における、シミュレーションと学びラウンジモデルと積分モデルの比較

まずは、治験人数10人で副作用が出なかった場合の、母集団における任意の一人の副作用発生確率

シミュレーション :0.08168

学びラウンジモデル:0.06779

積分モデル    :0.07576

でした

f:id:rokaboNatttsu:20201021212908p:plain

シミュレーションによる副作用発生確率の計算のソースコードキャプチャ

f:id:rokaboNatttsu:20201021213114p:plain

学びラウンジモデルによる副作用発生確率の計算のソースコードキャプチャ

f:id:rokaboNatttsu:20201021213010p:plain

積分モデルによる副作用発生確率の計算のソースコードキャプチャ

 

 

続いて治験人数20人

シミュレーション :0.01982

学びラウンジモデル:0.01727

積分モデル    :0.01885

でした

 

100人では

シミュレーション :0.00962

学びラウンジモデル:0.00891

積分モデル    :0.00971

 

200人では

シミュレーション :0.00494

学びラウンジモデル:0.00453

積分モデル    :0.00493

 

 

 

最後に

一貫して、積分モデルが学びラウンジモデルよりもシミュレーションに近いようです。いずれのモデルも近似値ですし、そもそも記事のトップで書いたように、前提条件が厳しいので、現実の説明や予測の役には立たないですが。散々書いておいて悲しくなる。滅びの呪文でも唱えてしまおうかしら。

 

 

 

 

またいつか。