好奇心の横断歩道を創る!

自分の思考をラバーダック・デバッグするためのブログ

○○がイノベーションを奪うとき(仮)

 

官僚制がイノベーションを奪うとき

官僚制とは、古代文明における役人に始まり、現代の大半の企業(よく例に挙げられるのはマクドナルド)に至るまで見られる、下っ端発案の意思決定のために書類や上官の許可を必要としたり、仕事の多くがマニュアルに従うだけでこなせるような体制のこと。官僚制は、少なくとも短期的には、特定の目的のために効率よく動作する組織を作る力がある。型にはめることによって思考リソースを節約したり、一貫性のある意思決定や生産ができる。官僚的ではない組織や個人が十分に活動するためには、官僚制の組織が必要となることも多い。ただ、官僚的な組織自体は試行錯誤を抑制するため、イノベーションを起こしずらい。加えて官僚制は、手段の目的化が極めて発生しやすい体制でもある。時間とともに官僚制が組織の隅々まで浸透すると、目的を見失わず柔軟に対応することができなくなっていく。イノベーションが要求される組織には、官僚制のノウハウを導入するべきではない。

官僚制の下では、イノベーションを起こすことを期待されるような仕事、例えば研究者や一部の技術者が、自身の仕事の価値を資金提供の意思決定を行う人物に向けてプレゼンするために、多大な時間と労力を費やす羽目になる。行動のインセンティブイノベーション志向から資金調達志向に変化してしまうのだ。イノベーションを促進したいのであれば、彼らを本来期待される役割に集中させるべく、言い値で投資費用を出すべきだ。もちろん、見込みが全くない人には、金を出す必要はないが、現代社会にはあまりにも官僚制が浸透しすぎている。

実用性至上主義がイノベーションを奪うとき

純粋な好奇心によってしか生まれないアイデアが、この世界には多く存在した。かつて数学は、”頭の良いニート”の娯楽あるいは宗教として発展してきた。長く引きこもり同然の生活をしていたニュートンしかり、ピタゴラス教団しかり。田畑を耕すわけでも家を作るわけでも傭兵部隊に参加するわけでもない、実用性のない活動をしていた人たちが、現代社会を支える技術に必須の基盤を作った。基礎研究をおろそかにしたとき、長期的に画期的なイノベーションが生み出しづらくなる。

後々の世に大きなインパクトを与える発見の多く(アインシュタイン絡みだと、光電効果相対性理論など)は、純粋な好奇心から生まれた。

知的怠慢がイノベーションを奪うとき

イデアは、これまでに組み合わせたことのない前提知識が組み合わさったときに生まれやすい。

奇人変人への冷遇がイノベーションを奪うとき

純粋な好奇心に突き動かされて何かを探求するような人種は、普通の人から見ると、奇人変人である可能性が非常に高い。理由はよくわからない。

彼らに対し、普通の人が定義する社会性の欠如を理由に冷遇することは、大きな機会損失になる。テスラはある意味正真正銘の気違いだったが、我々はいまだに交流電源をインフラに使っている。ニュートンは一時期錬金術にはまっていた。

人には得意不得意がある。何でもそこそこできる人を育成することも大事だが、イノベーションを促すには、好奇心星人を育成することもまた大事なのだ。

過度な競争がイノベーションを奪うとき

競争は、アイデアやノウハウなどの資産の囲い込みを促す。情報の断絶はイノベーションと大変相性が悪い。イノベーションを生み出すことが最大目標なのであれば、競争と協力が入り混じる環境が理想だ。

稼げるが社会の役に立たない仕事の肥大化がイノベーションを奪うとき

代表例はアメリカだが、最も優秀な人たちの多くがヘッジファンドなどの本質的に何かを生産しているわけではない(下手をすればバブルと不況のサイクルを生み出す反社会的な効果すらある)仕事に就く社会が現実に存在する。同機は単純、稼げるから。その優秀な頭脳を学問や技術や教育に振り向けることができれば、どれだけのイノベーションにつながるかわからない。

ある水準(おおむね、投資のための資金調達が民主化される水準)までは金融部門の肥大化がGDP成長を促すが、一定水準を超えると金融部門の肥大化がGDP成長を鈍らせるように見える、という主張の論文が、「金融部門の規模の対GDP比」と「GDP成長率」の関係を調べた研究から出ていたりする。