好奇心の横断歩道を創る!

自分の思考をラバーダック・デバッグするためのブログ

自由と制度の関係について。自由と規制は両立することも多いという話。

 

 

この記事では、2種類の意味を内包するものとして「自由」という言葉を定義する。

・検討に値する選択肢が複数あること

・従来より良い選択肢が提示されること

を、自由と呼ぶ。前者は、例えば、スマホの機種やプランが複数の中から選べるようなこと。後者は、例えば、これまでの上位互換の使い勝手と信用を誇るこれまでよりも安いスマホが売り出され、買い替えるときにそれを選べるようなこと。

自由という言葉は、人や分野によって様々な意味を持たせて使われているが、上の定義は、多くの人が自由と聞いて真っ先に思いつくイメージと近いものではないかな。

 

続いて、制度という言葉を以下のように定義する。

・ルールとそれに従うインセンティブがあり、行動に対する影響力が大きいとき、そのルールを制度と呼ぶ

法律・会社組織・家族・同調圧力・習慣・倫理観・道徳観・宗教観など。制度の中でも特に法律や利用規約などは、規制と呼ばれる場合も多い。

 

制度と自由は常に対立するものでもなければ、常に協調するものでもない。

経験上、(規制を含む)制度が、人の行動の予測可能性を上げ、長期的に資本・財産・経験を蓄積することを可能にし、結果的により魅力的な選択肢を創造できた場合が多い。選択肢を制限されることを通じて、より魅力的な選択肢が与えられるという現象が、現実には起こりうる。

銃の所持を免許制にしたり殺人その他を取り締まることで治安の維持向上ができるかもしれない。逆に言えば、日常的に自警団の一員として活動しなければ自分や家族や友人の命が危ない社会では、身辺警護のために効率の悪い分業体制を敷かなければならず、生活水準向上の足かせになる。

交通量の多い交差点に信号を設置することで流通をスムーズにできるかもしれない。

万引きを犯罪にすることで小売店は商売が続けられるかもしれない。逆に言えば、法律や倫理観がなければ小売店は屈強な警備員を複数人常駐させなければならなくなる(労働力が余分に必要になると同時に小売価格も上げざるを得ない)。

時間を守るのも制度の一つだ。電車のダイヤが意味をなくす程度ならまだマシ、人が他人と協力関係を築くにあたって期限を守ることが必須な場面は非常に多い。普通の人はサイキックでもメンタリストでもないので、関わる人の行動を推定可能にするには自分と相手の時間を縛る必要に迫られる。

 

個人の行動に制限をかけることで社会全体でできることを増やし、結果的により魅力的な選択肢が個人に提示されるようになる、そんなパターンが現実には多々ある。

すべての制度に当てはまるわけではないものの、制度が、我々をより一層自由にすることもある。

露骨で煩わしい規制ですらも、自由のために一役買っている場合は多い。規制と自由は対立する概念ではないし、どちらかがどちらかの部分集合になるわけでもない。

 

我々が豊かに生きていきたいのであれば、知恵を絞るべきは、どのような目的でどのような制度をデザインし多くの人の協力を取り付けるのかという議会制民主主義的な方法論、あるいはルールを作り他人に強要するにはどうすればよいかという帝国主義的な方法論であり、リバタリアンとして生きていくために何をするかではない。