好奇心の横断歩道を創る!

自分の思考をラバーダック・デバッグするためのブログ

需要と供給、限界収益と限界費用は、権力の一部として価格に影響を与える(仮)。

 

 

ここでいう権力とは、行使することも含めた意味。いざとなれば強力な力を発揮できるとしても、それを行使するまでは権力とは呼ばないことにする。

 

機会費用と収益の差を認識して、その差が最も大きくなるように意思決定する。これが、「競争市場において需要と供給のバランスで価格と数量が決まる論」や「独占市場では限界費用と限界収益のバランスで価格と数量が決まる論」の前提の一つ。(経済学における機会費用という言葉の意味は、日常的に使われるものとは異なることに注意。)

ただ、機会費用を認識できるという前提、収益を正確に予測できるという前提、さらには機会費用と収益の差を最大化するような意思決定をするという前提は、すべて現実的ではない。人の認知判断能力はさほど高くはないし、「金はとても大事だが金がすべてではない」。

価格を左右する原因は、もっと他に数多く存在すると考えるべきだろう。そしてそれは、人間の認知判断能力や感情や習慣や組織の仕組みやしきたりなどと関係するはずだ。経済を語る人間は、ツールとして数学を扱う能力だけでなく、社会学・心理学・地政学・歴史・法律・現場の人たちが持っている世界観をも、ある程度は知っておく必要がある。

 

(少なくともマンキューの教科書レベルの)経済学の世界観では、市場を非効率にする規制がないとき

費用と収益についての合理的な判断→需給均衡・価格の決定

が一般的。数式を使って表現しやすいので、「科学ですけど何か?」って顔をするためには、確かに都合が良い。ただ、市場を成立させるためには規制が必要だという事実をなぜか過剰に軽視している。契約に法定期拘束力を持たせているのは誰なのか。なぜ先進国では内乱が起こりづらく、そのおかげで安定してビジネスができるのか。そこに法律や慣習に基づく不文律があって、利他的な主体が自分以外の利益まで行動基準に含めているからこそ、健全な市場が成立することを、経済学の教科書は忘れてしまっているかのようだ。「最初はシンプルなモデルを使って理解するべきだ」との考えもわからなくはないが、それであれば、「現実の説明には使い物にならないレベルの単純化が行われています」って類の説明を但し書きしておくのが、学問を名乗るうえで守るべき誠実さである。数学を使った体系を作ることを優先して現実を見失うくらいなら、あやふやであっても現実の表現としての適切さを優先するべきではないか?

 

価格の説明として、実態はこちらのほうが近いだろう

限定的な能力しか有さないエージェント同士の、目的志向な意思決定・価格設定をめぐる権力バランス→価格の決定

 

権力の有無は、需給バランスから大きな影響を受けるが、需給バランスだけが権力バランスに影響するのではない。

タクシー業界や電力業界のように規制によって治安と高価格がある程度保証されている市場には、売買の当事者だけでなく行政の権力が大きく影響している。

寡占・独占企業がある業界では、価格主導者たる企業がいて、その企業の意思決定が業界内のほかの企業の価格設定にも大きな影響を与える(価格を主導する企業は多くの場合、技術的にも先んじている)。

株主が高い利潤を求め、経営陣がそれに従う場合は、その分価格が上乗せされうる。

労働組合が賃上げ交渉に勝ちまくった場合も、その分価格が上がりやすい。

取引先の選択肢が少ない下請け企業や、プラットフォーマーにコンテンツ提供する生産者はしばしば、取引先の選択肢が少ないため価格交渉力が弱く、価格を上げづらい。

価格水準と権力は、切っても切れない関係にある。そもそも、需要と供給のバランスも、権力のバランスに直結するからこそ、価格を上下させることができるのだ。

 

ゲーム理論を導入することで、「習慣や情動的反応などを極力排除した、経済学の限界主義的説明」を肯定しようとする人も多いことだろうが、ほとんどの人はゲーム理論をまともに勉強したことがない。仮に勉強していたとしても、損得をどのように定義するべきかの部分がどうしても、ゲームのプレイヤーに特有の立場や、人間的な思想や道徳観や情動反応を反映することになる。それらをうまく反映した理論を使いこなすことができるのか?いったい何%の人間にそれができる?テキサスホールデムのプロならば、勝率を上げるためにゲーム理論を役立てることもできるかもしれない。ただ、日常生活に、ゲーム理論ができる人間ができない人間よりも優越する場面はほとんどない。ゲーム理論で最適解を出せるのは、すべてのプレイヤーがゲーム理論的な意味で合理的であるなどの前提が必要だからだ。「確率pで選択肢A、確率1-pで選択肢Bを選択すると良いです」などとナッシュ均衡が教えてくれたとして、それを知った人間げがその通りの確率で行動するかどうかも、定かじゃない。そもそも、ゲーム理論を導入する時点で、価格交渉力に関連する権力を考慮し始めているし、限界主義の説明を見失っている。ゲーム理論は使いどころを間違わなければ素晴らしく役に立つツールだが、ニュー・ケインジアンの価格に関する説明を肯定する理由には使えない。

 

もちろん、価格の原因は、権力だけではない。一任時間労働当たりの生産量など、重要な要素は他にもある。そのあたりは他の記事に外注。

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