元ネタ
この記事には元ネタがあります。この論文です
https://www.worldscientific.com/doi/abs/10.1142/S0219525918500145
なんでも、イグノーベル賞を受賞した研究なんだとか。
「”成功者”になるのは必ずしも能力が高い人ではないのではないか?むしろ本人に帰属しない要素、言い換えれば運が、決定的に重要なのではないか?」「過去に成功した人に資本を多く配分すると、社会全体では大きな機会損失を生むのではないか?」などといったことを示唆した、シミュレーションの論文です。この論文がアツいポイントは、いくつかのシンプルな仮定に基づくシンプルなモデルが、現実の資本の格差社会を再現しているってところです(資本の集中を再現するような仮定が採用されただけとも解釈可能。私自身はこの立場をとるため、「格差を再現できたからといって、このモデルが現実的な過程に基づいているかどうかは別問題」と考えている)。まぁ、詳しい条件などは、ここでは説明しません。知りたければ論文を読んでくださいね。専門分野の知識がなくてもおおむね理解できると思います。
この記事でしたいこと
この記事では、論文の「”成功者”になるのは必ずしも能力が高い人ではないのではないか?むしろ本人に帰属しない要素、言い換えれば運が、決定的に重要なのではないか?」を示唆している部分について、論文と少しづつ異なる条件を採用しつつシミュレーションを試みて、結果や示唆される結論がどのように変わるか(変わらないか)を見てみました。プロットするグラフは、論文とは違うものです。私の興味関心や、技術的な能力が理由です。
シミュレーションにはJulia×Jupyter Notebookを使用しました。
才能と運の説明
以下、「才能」と「運」のニュアンスを、論文の説明に沿って書きます。
才能
幸運に遭遇した時、それを生かして”資本”を増やすことができる、個人の資質。ここでいう資本は、必ずしも価格がつく物事とは限らない。画期的なアイデアや友人関係みたいなものも含めた、広い意味での資本である。論文では、才能の程度は1人に一つのスカラー量で表現され、正規分布に従っている。IQが正規分布していることなどから、妥当な仮定だと言いたいようだ。IQが正規分布するのは、「人の能力が正規分布するから」というよりもむしろ、「IQテスト自体が正規分布するような評価基準を採用したから」というほうが正しい気はするが、まぁそれは別の話。
運
人々は、不定期に、幸運や不運に遭遇する。幸運に遭遇した人は、才能と同じ確率で資本を増やす可能性を得る(論文では、資本が2倍になる)。幸運に遭遇しても必ずしも資本は倍増しない。不運に遭遇した人は、才能と関係なく資本を減らす(論文では、資本が半分になる)。不運が才能と関係なく資本を奪う設定なのは、事故や病気などの多くの不運が個人の能力と関係なく発生する様に見えるから。
条件別シミュレーション結果
論文と概ね同じ条件
論文内の表記に従ったときの、各パラメータの値は、注釈*1
まず最初に、”論文と概ね同じ条件*2”を採用してみたところ、以下のような結果が得られました。
才能は、幸運に遭遇した時にそれを生かせる確率です。
一部の人が多くの資本を所有する状態になりました。
才能の有無と資本の所有量には、さほど明確な関係はありません。もっとも才能がある人が最も資本を得るわけではないし、最も才能のない人が最も資本を失うわけでもありません。
才能と最終的に所有する資本の間に、それほど強い関係がないことがわかります。
幸運に遭遇すればするほど、その人の資本が増加する明確な傾向があります。
不運に遭遇すればするほど、その人の最終的な資本が少なくなる明確な傾向があります。
才能のばらつきが小さい条件
論文内の表記に従ったときの、各パラメータの値は、注釈*3
続いて、我々人間の能力差が論文より小さい条件を採用しました
才能のばらつきを小さくしています。
才能の有無が最終的な資本の量に与える影響が、ますます小さくなっています
才能のばらつきが大きい条件
論文内の表記に従ったときの、各パラメータの値は、注釈*4
人の能力差が論文より大きい条件を採用しました
才能が両極端に分布する場合です。才能=1であれば、すべての幸運を資本倍増に生かします。才能=0であれば、すべての幸運が無駄になります。
才能格差を大きくしたのだから当然ではありますが、才能の有無が最終的な資本の保有量に比較的大きく影響しています
才能格差を大きくしてもなお、遭遇する幸運の回数が保有する資本の量に与える影響は大きいままです。
才能格差を大きくしてもなお、遭遇する不運の回数が保有する資本の量に与える影響は大きいままです。
幸運と不運に遭遇する確率がともに低い条件
論文内の表記に従ったときの、各パラメータの値は、注釈*5
幸運及び不運に遭遇する確率が論文より低い条件を採用しました
幸運と不運を、ともに頻繁に経験する条件
論文内の表記に従ったときの、各パラメータの値は、注釈*6
幸運及び不運に遭遇する確率が論文より高い条件を採用しました
資本の格差は大幅に拡大しました。
最終的に保有する資本に、才能の影響が少なからずありそうです。さほど強くはありませんが、才能があるほうが資本を多く得る傾向があります。
幸運への遭遇回数が増えると、幸運に遭遇した回数の倍率が1に近づき、結果として幸運に遭遇する回数の差が資本保有量に与える影響は小さくなるようです。
不運への遭遇回数が増えても、不運が保有する資本に与える影響は大きいままです。幸運とは対照的になりました。
まとめ
論文のモデルは、
・才能格差の大小は、資本の保有量の分布にさほど大きな影響を与えなかった
・幸運or不運の頻度(言い換えれば、ターニングポイントを経験する頻度)の多少は、資本の保有量の格差にとても大きな影響力を持っていた
・才能格差が大きくなるほど、資本の保有量の格差を才能の有無によって説明できるようになる
・幸運や不運を経験する頻度が多いほど、資本の保有量の格差を才能の有無によって説明できるようになる(二項分布のNが大きくなるほど、「分布の分散」÷N の値が小さくなるようなもの)
・「資本の保有量」と「任意の資本保有量の人に限定した時、その人たちが遭遇した幸運の平均回数」の関係や、「資本の保有量」と「任意の資本保有量の人に限定した時、その人たちが経験した不運の平均回数」の関係は、資本の初期値の近辺で”相転移”を起こしている。資本が増えた人だけに限定すると、幸運を経験した回数が増えるほど資本が増えていると同時に、不運を経験した回数が一貫して低く推移している。資本が減った人だけに限定すると、不運を経験した回数が増えるほど資本が減ると同時に、幸運を経験した回数が一貫して低く推移している。これは、モデルが幸運と不運を空間的に配置し、少しづつ移動させているからだろう。資本を減らす人は不運が多く降りかかる”地域”にいて、資本を増やす人は幸運が多く降り注ぐ”地域”にいる(余談ですが、『年収は「住むところ」で決まる』なんてタイトルの本があります。内容はタイトルの通りで、アメリカを舞台にした観察研究だったと記憶しています)
といえるでしょう。
注釈
*1:
N=1000,
N_E=500,
p_L=50%,
σ_T=0.1,
m_T=0.6,
I=80,
C(0)=10.0,
_Xの表記は、Xが下付き文字。
*2:「概ね」とは何かというと、「event-pointsの移動の仕方」と「intersectionの対象になる基準」がわからないので、こちらで勝手に決めたということ
*3:
N=1000,
N_E=500,
p_L=50%,
σ_T=0.02,
m_T=0.6,
I=80,
C(0)=10.0,
_Xの表記は、Xが下付き文字。
*4:
N=1000,
N_E=500,
p_L=50%,
(σ_T=0.5) Tが0以下の時はT=0、Tが1以上の時はT=1,
m_T=0.6,
I=80,
C(0)=10.0,
_Xの表記は、Xが下付き文字。
*5:
N=1000,
N_E=500,
p_L=50%,
σ_T=0.1,
m_T=0.6,
I=80,
C(0)=10.0,
_Xの表記は、Xが下付き文字。
幸運・不運に遭遇する確立が0.4倍
*6:
N=1000,
N_E=500,
p_L=50%,
σ_T=0.1,
m_T=0.6,
I=80,
C(0)=10.0,
_Xの表記は、Xが下付き文字。
幸運・不運に遭遇する確立が100倍