好奇心の横断歩道を創る!

自分の思考をラバーダック・デバッグするためのブログ

ユリ熊嵐 作中の言葉の解釈の一部

取っ散らかっています。編集長不在でして。m(__)m

下に書くのはすべて、私の主観的解釈です。根拠を示せと言われると困る。

 

 

 

クマは自分の欲望を使って他人に押し付ける存在

透明とは、好き嫌いの感覚がない状態

 

クマに食われるとは、他人の欲望に振り回されたり、軋轢を経験すること

クマは自身の欲望を他人に押し付けることで空腹(=「空き」、スキの一側面)を満たす

 

集団の中で「スキをあきらめ」て忘れていくことで、何が好きだったのかを思い出せなくなる。この状態は透明と表現される

 

クマが透明ではない人を「おいしい」と感じるのはなぜ?わからん。

 

クマに食われる、すなわち他人からの欲望に利用されるのは、普通に鬱陶しいし面倒だから、人はマナーや空気を守ることによってクマを排除してきた。同時に、空気を守ることによって透明になってきた。

 

クマのスキ(=空き=渇き?)とは別に、その人自身の中で完結するタイプのスキ(=好き)もある。「好き」は、相手の承認なしに相手との関係を成就させることはない。

そして、「好き」は、透明な嵐の前に、もろい。同調圧力は、相手の承認を求める「好き」と対立関係にあるからだ。

空きは透明な嵐をものともしない。他人に欲望を押し付ける「空き」と同調圧力は相性が良いのだ。様々な種類の同調圧力の中には、特定の個人の欲望がそのまま表れる。

 

好き嫌いの感覚を失った状態を透明と呼ぶ。透明な人だらけの集団の中では、好きを維持することができない。


透明な嵐と断絶の壁は似た意味。

断絶の壁は、マナーや空気の象徴。他人からの欲望の押し付けを回避するためにつくられた。「我々が生きる現実の世界において、マナーや空気が押し付けをなくすことができない」のと同様に、「断絶の壁もまた、クマの侵入を食い止めることができない」。

透明な嵐は、いわゆる同調圧力の象徴。好き嫌いの感覚を失った人達(=透明な人達)が、何度も何度も同調を求める様子のメタファー。

 

「閉じられた世界」を断絶の壁の内部のことだと仮定すると、「閉じられた世界の秩序は透明な者たちが決める」とは、「空気が支配する集団の秩序は、好き嫌いを失った人たちが決める」くらいの意味になる。


好きは、透明な嵐ですり減らされて、やがて消えてしまう。消える前に、透明になるか、空きになるかの選択を迫られる。

好き=ユリ、空き=クマだとすると、ユリを承認するときに「人を食うか?」と問うのは、「純粋な好きをあきらめて空きを混ぜるのか?」と問うことである。

「好きを保つために、好きと空きを混ぜろ」と。「切ないけど現実的な落としどころを認めろ」と、「お前らの感情は綺麗なものばかりじゃないだろう」と、そういう話だったんじゃないかな?

タイトルがユリ&熊&嵐なのは、「好きと空きが混同した嵐を認めろ」「透明な嵐の代わりに使え」ってことなんじゃないかな。知らんけど。