好奇心の横断歩道を創る!

自分の思考をラバーダック・デバッグするためのブログ

「競争させれば上手くいく」というほど現実は単純ではない。チームでも経済でも。

協調*1が競争*2よりも良い結果をもたらすことは多い。協調を促すには、別の言い方をすると拘束力を持って強調させるにはゲームの外の権力*3が必要になることが多い。この記事はそのあたりを説明する。

 

 

囚人のジレンマからわかる、「競争させればうまくいく」が半分間違いの理由

ja.wikipedia.org

囚人のジレンマは、囚人1と囚人2が個別に、独立に意思決定することで、両者にとって損な結果(両者とも自白する)をもたらす。

ところが、囚人1と囚人2が固い絆と信頼関係に結ばれていた場合は、良い結果(両方とも自白しない)が得られるだろう。あるいは、釈放されたときに仲間を売ったと判明したら組織から制裁を加えられる場合(ホワイト犯罪組織w)も、囚人のジレンマは良い結果を出力する。囚人1があまり賢くなくて黙秘し、囚人2が自白した場合は、上位互換の結果が存在しないパレート最適ではある。もちろん、二人とも黙秘した場合もパレート最適

囚人全体から見れば、パレート最適な行動(二人とも自白する場合以外)をとることが適応的だが、個人にとっての最適な行動を促すと、唯一のパレート最適ではない行動、すなわち二人とも黙秘の下位互換の結果に帰着する。囚人全体でみて得するために、自己責任論は使えないし、競争市場も使えない。協力が必要だ。協力に必要なのは、

①「自分が組織の一部であり、同じ組織に属する人は守るべき仲間である」という意識

または

②「仲間を打ったら組織から制裁を加えられる」という競争市場的なゲームの外部からの圧力、すなわち規制

である。競争すれば万事解決というほど、世の中は単純でない。

市場を導入した国のほうが経済発展したように見えるのは、「市場の外の権力(≒囚人のジレンマにおけるホワイト犯罪組織のボス)が保証した仕組み」としての「市場(≒囚人が相手を売るかどうかの選択)」が、多くの人たちの試行錯誤・創意工夫の努力や分業による効率化を促したからであって、競争そのものが重要だったわけではない。競争が良い結果をもたらす場面も多いが、常に良いものでもない。実際、理化学研究所DARPAのような基礎研究を積極的に行い成果を上げてきた機関は、人事的な競争は熾烈かもしれないが、(価格によって調整される)市場競争が組織の成果に直結したとはいいがたい。

 

心理的安全性の効果からわかる、「競争させればうまくいく」が半分間違いの理由

協力・連携しなければうまくいかない場面は多い。(法人・会社の名のもとに、多くの人たちが寄り集まって、分業体制を作っている主な理由の一つだと思われる。) Googleが行った「成果を上げている組織の特徴な何か」を調べた調査を発端として、組織が成果を上げるための重要な要素として広く認知され、バズワードにまで上り詰めた”心理的安全性”だが、なぜそれが重要なのかを一言でいえば、「協力させることが適応的だから」だ。心理的安全性の高い組織は、問題の報告・失敗の共有が大きな強みの一つとなる。第一に同じ失敗をほかのだれかが侵す確率が下がり、第二に組織の問題への対処能力が上がる。組織の構成員が「問題の報告が自身の評価を下げる」と思っていては、心理的安全性の高い組織は作れない。心理的安全性は自己責任論とは相いれず、チーム内で競争よりも協調を促す。成果を上げるチームの特徴の一つとして心理的安全性があげられるのは、心理的安全性が組織全体の改善努力を促す仕組みだからだ。

 

大事なのは、試行錯誤を生み出す仕組み

ソ連やかつての中国共産党のような計画経済が、日本や西ヨーロッパや南北アメリカや今の中国のような市場と公共事業の混合経済よりも劣っていた(ように見える)のも、計画経済が多くの人の改善努力を促せなかったのに対し、市場と公共事業の混合経済が多くの人の改善努力と試行錯誤を促す仕組みだったからだ。どんな天才でも、複雑な事象を扱う場合、試す前から良い方法を見つけることはできないし、少人数でできることの上限はたかが知れている。だから隅々まで統制された計画経済は(長期的には)失敗する運命にあった。

心理的安全性が高い組織が、心理的安全性の低い組織よりも高いパフォーマンスを出しているように見えるのも、おそらく、心理的安全性が組織全体で見て試行錯誤を増やす仕組みだからだろう。もちろん、心理的安全性のメリットには、組織の構成員が自身の功績を証明するために時間と労力を費やす必要がなく、本来の仕事に集中できる、という部分もあるが、組織そのものの改善努力を促す側面もまた重要だ。

個人の集まった組織が競争よりも協調によって発展するなら、組織の組織である国家の発展もまた、競争よりも協調によって発展する。護送船団方式の下で日本が高度経済成長したのも、おそらくは偶然ではない。分業や専門特化は、競争の結果ではなく協調の結果とみることができる。市場原理主義的な学者の説明と反し、世の中は複雑だ。「市場の失敗をフォローするために政府などの非営利団体を使う」との発想は、市場の機能を高く評価しすぎているし、市場が良い結果をもたらすためには市場を管理する権力とお膳立てが必要である事実を無視している。

 

 

 

 

 

 

*1:個人の成功や失敗をチーム全体の功績の一部だとする姿勢や、非競争的市場で倫理的・道徳的なプレイヤーがとる行動

*2:個人の成功や失敗をその人の責任だとする姿勢や、完全競争市場(完全競争市場という言葉自体が、各経済主体が自身の利益を追求するという前提を含んでいる) 

*3:責任の追及よりも改善策を求める習慣や、市場のプレイヤーの行動を良心的にさせるための、市場にとっての規制