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プラットフォーマーはいつの時代も存在し、いつの時代も強かったですよね という話。

GAFAじゃないけど、プラットフォーマーが強いっていうのをよく聞きますよね。少なくとも自分はよく目にする文句なのです。ただ、プラットフォーマーが強いのは何も今に始まったことではないはずなんですよね。確かに、コンピュータをガンガン使ってネット上でサービスを提供するプラットフォーマーが出てきたのは比較的最近ですが、プラットフォームという発想自体はずいぶん昔からあります。気づいてました?

 

といっても、言葉の定義をしておかないとちぐはぐですから、今回のこの記事におけるプラットフォーマーとは、こちらの説明によって定義されるものとします。

プラットフォーマーとは何? Weblio辞書

 

 

プラットフォームは昔から存在したといってもピンとこない方もいらっしゃるはずです。かつての私自身がそうでした。ですから、例を挙げましょう。

 

例1:楽市・楽座

例えば、日本史の教科書の定番の一つである城下町、その中でも今回は織田信長などが行った、当時最先端の経済政策である、楽市・楽座を考えてみましょう。

プラットフォームとは、ここでは城下町という土地、コンテンツは各店舗です。城下町には領主様が定めた法律みたいなものがあって、これが独自の生態系を作ります。そして、楽市・楽座の言い出しっぺであるお偉いさんは、城下町の商売のルールを定めますが、商売自体は商人や職人たちに任せます。その上で、税金を取ります。人々は、生活のために城下町で商売や買い物をします。当時の売れ筋は、食品や武器や農具などでしょうか?わかりませんが、たくさんの種類のサービスが提供されます。

この政策で一番得したのはだれなのか。言わずもがな、生態系を作ったお偉いさん方です。人と経済の中心をおひざ元に収めたことで、特に働かなくても軍資金を手に入れることができる仕組みを作ったのです。コンテンツ提供者の商売人は、以前より活動しやすく、そして儲かるようになったことと引き換えに、楽市・楽座という仕組みに生活を依存することになります。買い物する人たちにとっては、城下に行けばほしいものがことごとく手に入るので、これは便利だとなるわけです。

ね、Amazonっぽいでしょ?Amazonみたいに城主様が人々の購入履歴を持ってたりはしないですけども。プライムビデオ的なエンタメはあったかもしれませんが。

城下町ってのは、立派にプラットフォームなのです。

 

例2:本屋

日本初の本屋は京都で生まれたとか。真偽のほどはさておき。その当時の本屋というのは、作家や出版社を兼ねていて、自分で作ったコンテンツを自分で売ってるんだから、プラットフォーマーではないのです。そして、世の本好きたちに共通の悩みがあったはずです。金が足りないってのは今回は無視するとして、その共通の悩みというのは、欲しい本を手に入れるのが面倒くさいということ。人づてに目的の本を持つ人を聞いて回り、見つかったら今度はそれを借りに行くとか写しに行くとか買いに行くとかするわけです。交渉の必要すらあったかもしれません。あぁ、本好きの下剋上ここにあり!

んで、時代は進み、出版技術が出来上がると、人が手書きで行っていた出版を専門の業者がやるようになります。*1大量の本を安く売れるようになります。これに対抗しようとして、一人で作家・出版・販売を行おうとしても、時間も金も足りません。したがって、従来の方法で本を売ることはなくなります。作家が文章を書いて、出版社が出版して、小売り専門の本屋が大衆に売るようになるのです。金さえ払えば本を売ってやる(もしくは貸してやる?)などと言い出した元祖小売り専門の本屋は、従来の、作家と出版社とを兼ねる本屋と違い、複数の出版社から届く、さらにたくさんの作家さんの本を同じ場所で扱うことができます。本を買う人にとっては、そこに行けばどんな本でも手に入る便利な場所だったはずです。また、各種出版社も、どこで本を売ろうかと悩んだときに、小売り専用本屋は頼もしいメディアでした。たくさん売るには様々な場所で売る必要がありますが、自前で各地に直売店を用意しようものなら、費用がバカになりませんから。

こうして、本をコンテンツにするプラットフォーマーである本屋はやがて全国に広まります。

ほとんど同じやり口で、各種仲卸業者は、プラットフォーマーとして機能しています。彼らに共通するのは、生産者と消費者のコミュニケーションコストを極限まで小さくし、様々な種類のコンテンツをより多くの消費者に届けるパイプとしての価値を提供したことです。そして、あとで書くのですが、コンテンツの生産者が仲卸業者を選べなくなったとき、彼らは高い利益を手に入れるようになります。

 

例3:銀行

銀行だってプラットフォーマーです。ここでいう銀行というのは、不特定多数の相手と金を貸し借りして、金利や手数料を取るビジネスのことです。コンテンツは金。信用や期待をコンテンツにしているといってもよいでしょう。一時的に大量にお金が必要なのに、手元にそれがないとき、銀行が手を差し伸べます。そしてこのビジネスのすごいところは、ほとんど同じやり口が長い時代通用し続けてきたことですね。しかも、かなり高確率で、銀行利用者よりも儲けることに成功してきました。ほんと、どうなってるんだろ。

 

 

 

そんなこんなで、

プラットフォームはいつの時代も存在してきました。これからも存在し続けるでしょう。

 

 

 

 

 

話を変えます。

歴史上、プラットフォーマーがクリエイターよりも儲けるという構図は、しばしば発生してきました。多くの場合、クリエイターにはほかの人にはない特殊な能力がある一方、プラットフォーマーにはそれがないのにもかかわらずです。よく言われているクリエイター搾取問題です。本当に搾取なのかという議論は今はとりあえず横に置いておくとして。なぜプラットフォーマーは儲けることができるのか、なぜクリエイター搾取が起こるのか。私の残念な脳みそはちょっと考えました。

 

 

以下がその仮説です。

 

 

プラットフォームが提供する価値というのは、コンテンツ提供者には幅広い顧客を、消費者には幅広いコンテンツを届けるというものです。そして、よく言われていることですが、このプラットフォームというものは、利用者が増えれば増えるほどその便利さを増していきます。ですから、最初にプラットフォームを成功させたものは、似たようなプラットフォームを作ろうとする後続と比べ、圧倒的に有利です。*2スピード勝負なのです。

 

スピード勝負という概念について、本屋とAmazonの関係を例に見ていきます。

かつての小売り専門の本屋は、全国規模・世界規模で見ると、同系列の本屋が急激に拡大することができませんでした。そのため、同じ手法をとる同業者が各地に乱立しました。最初はそれでも、本屋はその地域で、寡占・独占を実現するプラットフォーマーだったのですが、後に人の流れが流動的になり、消費者が本屋を選べるようになってしまいます。隣町に買いに出るなど当たり前になってしまいました。必然的に、本屋同士が競争する必要が出てきます。この競争は未だに続いています。

一方のAmazonは、世界規模での急速な拡大を、同じ手法をとる後発が出てくる前に、成功させました。*3もしもAmazonが急速な拡大を最大の目標にしていなかったとしたら、世界中のあちこちで、同じ手法でプラットフォームをつくる人たちが表れ、現在の本屋と同じ目にあっていたでしょう。

GoogleAppleFacebookなども同様に、サービスの普及速度に過激なまでのこだわりを見せていますが、プラットフォーマーとしては当然の考え方です。

「なぜプラットフォーマーは急速に拡大できるのか」という疑問は的外れで、「急速に拡大できる方法を見つけたからこそプラットフォーマーになれた」というべきなのが分かっていただけたでしょう。

 

このようにして、プラットフォーマーは、その分野で寡占・独占することが多くなります。

そして。寡占・独占すると、消費者と生産者は、特に生産者は、特定のプラットフォーマーに依存せざるを得なくなります。ほかに選択肢がなくなれば、多少割に合わなかったとしても、交渉に応じる必要が出てきます。コンテンツをより多く売るためには、よりたくさんの人の目に触れて、よりたくさんの人に知ってもらうことがどうしても必要です。そのため、コンテンツ生産者は、多くの消費者にとってのメディアとして機能するプラットフォーマーに対して、サービスを採用してもらう立場になります。

同じことですが、別の視点から言い換えると、下のようになります。

コンテンツ生産者はにとって、まだ未熟なプラットフォームが相手であっても、販売ルートは多い方が良いので、プラットフォーマーがコンテンツを売りましょうという提案を受け入れます。十分に成長したプラットフォームは、コンテンツ生産者にとって、そこで売らないと現状と同じ利益を上げることすら難しいという状況を作ります。すなわち、プラットフォーマーの規模・成熟度とは関係なくコンテンツはプラットフォームに提供されやすく、プラットフォームは成長する一方、十分に成長したプラットフォームにコンテンツは頭を下げざるを得なくなるのです。簡単なゲーム理論ですね。

 

こうしてクリエイター搾取問題が発生します。クリエイターはプラットフォーマーを選べず、交渉がプラットフォーマー有利になるのが当たり前になります。

 

仮説は以上です。

 

 

話を変えます。もとい、話は以上です。ほかに書きたかったことがあったはずなのだけど、忘れてしまったし長くなるし。

 

最後に。

究極のプラットフォーマーは、プラットフォームの最終形態は、生活スタイルそのものをコンテンツにするものになるはずだ

と思っているのですが、どうでしょう。まあ、そこら辺のことも機会があればかきたいです。「そんないつかは絶対に来ない」って神の声が聞こえるぜ!

 

今日はここまで。またいつか。書けたらいいな。

*1:このページを参照

*2:コンテンツだとそうはいきません。草分けだろうが後発だろうが、良いものを作って宣伝に成功すれば、誰かが必ず飛びつきます。参入の時期はそれほど大きな意味を持たず、したがって同業者との競争を続ける必要に迫られやすいのです。

*3:「まだ一部の国や地域だけではないか」という反論は、ごもっともですが、流通網が発達した国でしかAmazon流のサービスは展開できないことを考えると、ほぼすべての通販市場を寡占・独占しつつある言えると思います